第29話 【非常灯】
病院全体の照明が落ちた。
一瞬の暗闇。
そして、赤い非常灯だけが点灯する。
研究室の空気が変わる。
遥の鼓動が速くなる。
柴崎刑事が即座に立ち上がった。
「来るぞ」
その声と同時に。
通路の奥から足音が響いた。
複数。
ゆっくり。
慌てていない。
榊真司は銀色のUSBをポケットへ入れる。
玲奈が低く言う。
「修司直属じゃない。“回収班”よ」
遥が息を呑む。
その呼び方が異様だった。
まるで業務名称みたいに。
足音は止まらない。
一定の速度で近づいてくる。
柴崎が小声で言う。
「警察呼ぶか」
玲奈は即答した。
「間に合わない」
その時。
通路奥にライトが見えた。
白色LED。
一つ。
二つ。
三つ。
そして。
スーツ姿の男たちが現れる。
病院職員には見えない。
全員インカム装着。
無表情。
先頭の男が静かに言った。
「榊さん」
まるで普通の会話だった。
「それを渡してください」
榊は動かない。
男は続ける。
「こちらも荒事は望んでいません」
柴崎が前へ出る。
「警察だ。止まれ」
だが男たちは一切反応しない。
玲奈が小さく呟く。
「……本当に来た」
遥の背筋が寒くなる。
この人たちは、
感情で動いていない。
“回収”しに来ている。
それだけ。
先頭の男が言う。
「玲奈さんも戻ってください」
玲奈は笑った。
乾いた笑い。
「まだ“保護”って言うの?」
男は否定しない。
その時。
榊が静かに聞いた。
「兄貴の指示ですか」
男は少しだけ視線を動かした。
それだけで十分だった。
榊は理解する。
修司は来ていない。
絶対に前へ出ない。
でも全部を見ている。
その構図。
遥は気づく。
これが怖いんだ。
敵の中心が、
常に一歩後ろにいる。
先頭の男が再び言った。
「最後です。USBを」
榊は答えない。
代わりに。
玲奈へUSBを渡した。
全員の空気が変わる。
玲奈も一瞬驚く。
榊は静かに言った。
「玲奈さん、あなたが持っててください」
「真司くん……」
「俺が持ってると、狙いが集中する」
柴崎が低く呟く。
「囮になる気か」
榊は少し笑った。
「慣れてます」
その瞬間。
通路奥の男たちが動いた。
速い。
一気に距離を詰める。
柴崎が叫ぶ。
「下がれ!!」
研究室の照明が再び点滅した。
非常ベル。
警報音。
混乱。
遥は思わず目を閉じる。
次の瞬間。
“バン!!”
大きな音。
研究室横の防火シャッターが落ちた。
轟音。
通路が完全に分断される。
男たちの姿が遮られる。
静寂。
遥が息を切らす。
「……た、助かった?」
だが玲奈の顔色は悪かった。
「違う」
榊がシャッターを見る。
柴崎も気づく。
この閉鎖。
偶然じゃない。
修司が助けた。
いや。
正確には。
“今はまだ回収するな”と判断した。
その時。
研究室の古い内線電話が鳴った。
一回。
二回。
誰も動かない。
三回目。
榊が受話器を取る。
ノイズ。
そして。
榊原修司の声。
> 『真司』
>
> 『それ、持って逃げ切れると思うか?』




