第26話 【暗闇の声】
真っ暗なカルテ庫。
非常灯だけが赤く点滅している。
遥の呼吸が浅くなる。
今、確かに聞こえた。
女の声。
すぐ近く。
> 「……真司くん」
榊真司の動きが止まる。
柴崎刑事はすぐ懐中電灯を点けた。
白い光が棚を横切る。
だが、誰もいない。
古いカルテ棚。
埃。
積まれた段ボール。
静寂。
遥が小さく言う。
「……誰か、いましたよね」
榊は答えない。
ただ、暗闇の奥を見ている。
その時。
“カタン”
また音。
カルテ庫のさらに奥。
柴崎がライトを向ける。
そこには半開きの扉があった。
古い防火扉。
さっきまでは閉まっていたはず。
「隠し部屋か……?」
柴崎が近づく。
榊も無言で後に続いた。
扉の先は細い通路だった。
古い配管。
剥がれた壁紙。
どうやら旧研究棟へ繋がっている。
遥の背筋が寒くなる。
「病院の中に、こんな場所……」
榊が低く言う。
「昔の増築部分ですね。図面から消されたんだ」
通路の奥に、ぼんやり灯りが見える。
誰かいる。
柴崎が小声で言う。
「下がってろ」
だが榊は止まらない。
ゆっくり進む。
その先。
小さな研究室のような空間。
古いデスク。
薬品棚。
そして中央に、一人の女性が立っていた。
白衣姿。
長い髪。
三十代後半くらい。
遥は息を呑む。
写真の女性だった。
——榊原玲奈。
生きていた。
玲奈は静かに榊を見る。
驚いている。
だが怯えてはいない。
むしろ。
ずっと来るのを待っていたような顔だった。
「……久しぶり」
榊は数秒、何も言えなかった。
柴崎も状況を理解できていない。
遥だけが混乱している。
「え……亡くなったって……」
玲奈は苦く笑った。
「そういうことにされたの」
その言葉で、空気が一気に冷える。
榊がようやく声を出す。
「玲奈さん……なんで……」
玲奈は視線を落とした。
「修司が隠した」
沈黙。
遥が震える。
玲奈は続けた。
「私はMK-47のデータを止めようとしたの」
研究室の古い机を指差す。
そこには大量の資料。
未承認薬データ。
事故報告。
患者記録。
「でも、もう止まらなかった」
玲奈の声は静かだった。
疲れ切った人の声。
「病院だけじゃない。介護施設も、精神科も、製薬も絡み始めてた」
柴崎が険しい顔になる。
「……人体実験か」
玲奈はゆっくり首を横に振る。
「最初は違った」
そして小さく言った。
「“暴れる患者を安全に抑える薬”だったの」
遥の顔が変わる。
確かに現場では、
興奮、せん妄、自傷、暴力。
抑制が必要な場面はある。
玲奈は続ける。
「でも途中から、“問題を静かに処理する薬”に変わった」
沈黙。
その時。
研究室奥のモニターが突然点灯した。
全員が振り向く。
映像。
病院の監視カメラ。
そして画面中央。
管理棟ロビー。
そこに映っていたのは——遥だった。
今ここにいるはずの遥が、
ロビーで誰かに話しかけられている。




