第25話 【中央研究棟】
「……兄貴の妻です」
榊真司の声は静かだった。
だが遥にはわかった。
今までで一番、感情が揺れている。
写真の中。
白衣姿の女性は柔らかく笑っていた。
年齢は二十代後半くらい。
知的で落ち着いた雰囲気。
榊原修司の隣に自然に立っている。
そして、若い頃の榊真司も写っていた。
三人とも普通に笑っていた。
今の状況からは想像できないくらい。
柴崎刑事が低く聞く。
「亡くなったんじゃなかったのか」
榊は写真を見つめたまま答える。
「……そう聞かされました」
「誰に」
「兄貴に」
空気が止まる。
遥がゆっくり聞く。
「名前は……?」
榊は少し間を置いた。
「榊原玲奈」
その名前を口にした瞬間。
榊の視線が、机のノートへ向く。
古いリングノート。
表紙に何も書かれていない。
榊はゆっくり開いた。
中には細かい字。
日付。
患者番号。
薬剤名。
そして、“MK-47”の文字。
遥の顔色が変わる。
「これ……未承認薬の記録?」
榊はページをめくる。
そこには、複数の病院名。
投与後の反応。
鎮静時間。
副作用。
まるで治験データだった。
柴崎が険しい顔になる。
「……病院で人体実験してたのか」
榊は首を横に振る。
「正式な治験じゃない」
遥が小さく言う。
「じゃあ何なんですか……」
榊の声が低くなる。
「事故処理用の検証だ」
空気が凍った。
「転倒」
「興奮状態」
「自傷」
「急変」
ノートにはそんな単語が並んでいた。
つまり。
“患者や職員をどう静かに抑えるか”。
その記録。
遥が吐き気を堪える。
「こんなの……」
その時だった。
ノートの間から、一枚の紙が落ちる。
古い新聞記事。
見出し。
> “中央研究棟 火災事故”
>
> “研究員一名死亡”
遥の呼吸が止まる。
死亡者欄。
――榊原玲奈。
だが。
記事の日付を見た瞬間、榊の目が細くなる。
「……違う」
柴崎が聞く。
「何がだ」
榊は記事を指差した。
「玲奈さんが亡くなった日、兄貴は海外出張だった」
「それが?」
「なのにこの記事、兄貴のコメントが載ってる」
空気が変わる。
柴崎も気づく。
記事にはこう書かれていた。
> “夫の榊原修司氏は、
> 『妻は研究熱心だった』とコメント——”
だが時系列が合わない。
つまり。
この記事自体が、後から作られた可能性。
遥が震える声で言う。
「……じゃあ、生きてるんですか」
榊は答えない。
その時だった。
カルテ庫の電気が突然落ちた。
真っ暗。
遥が息を呑む。
直後。
“ピーーー”
どこかで電子音。
非常警報。
柴崎が舌打ちする。
「停電か!?」
だが榊だけは気づいていた。
違う。
これは。
“ロックダウン”。
そして暗闇の中。
誰かの声が響いた。
女の声。
すぐ近くから。
> 「……真司くん」




