第23話 【自主退職という名の処理】
午後十時。
病院の屋上は風が強かった。
フェンスが軋む。
遠くで救急車のサイレンが聞こえる。
榊真司は、一人で屋上扉を開けた。
遥も柴崎も止めた。
だが榊は、「これは俺の問題です」とだけ言って上がってきた。
屋上には誰もいない。
暗い。
冷たい。
ただ、フェンス際に古い折り畳み椅子が一つ置かれていた。
その上にスマホ。
画面が光っている。
榊は近づく。
スマホにはビデオ通話アプリ。
着信中。
数秒見つめた後、榊は通話ボタンを押した。
画面が切り替わる。
映ったのは、スーツ姿の男。
四十代後半。
整った顔立ち。
銀縁眼鏡。
穏やかな笑み。
——榊原修司。
兄だった。
遥はその場にいない。
でももし見ていたら、驚いただろう。
榊真司と、少し目元が似ている。
修司が笑う。
『久しぶりだな、真司』
榊は無表情だった。
「七年ぶりですか」
『もっとかな』
風が吹く。
数秒、互いに何も言わない。
ようやく榊が口を開く。
「片桐を消したの、兄貴ですか」
修司は否定もしない。
ただ静かに言った。
『片桐は失敗した』
その言い方に、榊の目が細くなる。
“人”として話していない。
完全に“案件”として扱っている。
修司は続けた。
『お前は昔から変わらないな。余計なところで感情を持つ』
「感情?」
榊は乾いた笑いを漏らす。
「人が死んでるんですよ」
修司は少し首を傾けた。
『病院では毎日人が死ぬ』
静かな声だった。
だが寒気がした。
『問題は、“どう死ぬか”じゃない。“どう広がるか”だ』
榊は何も言わない。
修司は続ける。
『現場は壊れる。職員も壊れる。だが組織は止められない』
『だから我々みたいなのが必要になる』
風が強くなる。
榊は兄を見つめた。
「人の死を処理して、病院守ってるつもりか」
修司は小さく笑った。
『違う』
そして静かに言う。
『医療を守ってる』
その言葉に、榊の呼吸が少し止まる。
修司は続けた。
『七年前、お前が内部資料を流した時。現場がどうなったか覚えてるか?』
榊は黙る。
『救急閉鎖。看護師離職。患者搬送不能』
修司の声は穏やかだった。
『理想だけでは病院は回らない』
榊が低く返す。
「だから隠すのか」
『時には必要だ』
沈黙。
その時。
修司がふと表情を変えた。
『真司。お前、まだ自分を外側の人間だと思ってるだろ』
榊の目がわずかに動く。
『でも違う』
修司は笑った。
『お前は昔、一度こちら側にいた』
風が吹く。
フェンスが鳴る。
『だから理解できる。組織が何を優先するか』
榊はスマホを見つめたまま動かない。
修司は最後に静かに言った。
『USBを渡せ』
「断る」
即答だった。
修司は少しだけ笑う。
怒らない。
むしろ納得した顔だった。
『なら次は、“病院の外”で起きる』
榊の目が細くなる。
「何をする気だ」
だが修司は答えない。
代わりにこう言った。
『真司。お前、今どこまで知ってる?』
通話画面が少し揺れる。
その奥。
修司の背後に、一瞬だけ誰かが映った。
白衣姿。
若い女性。
遥に似ていた。
榊の表情が変わる。
修司はその反応を見て、小さく笑った。
そして通話が切れた。




