第106話 【照会】
一月。
年が明けた。
住宅型施設は変わらず動いていた。
利用者は暮らし。
家族は面会に訪れる。
職員は働く。
いつも通り。
少なくとも表面上は。
午前十時。
施設長室。
施設長は一通のメールを見ていた。
差出人。
行政機関。
件名。
『資料提出のお願い』
施設長の表情が止まる。
何度も読む。
内容は簡潔だった。
訪問看護実績について確認したい事項があります。
関連資料をご提出ください。
それだけ。
監査ではない。
処分でもない。
だが。
施設長には分かった。
何かが始まった。
昼。
西田が呼ばれる。
施設長室。
「どうしました?」
施設長は資料を渡した。
西田は目を通す。
そして眉をひそめる。
「行政?」
施設長は頷く。
「照会です」
「何かあったんですか」
施設長は答えない。
いや。
答えられなかった。
心当たりがあるからだ。
「資料を集めます」
西田が言う。
施設長は頷いた。
それしかない。
午後。
ナースステーション。
主任も呼ばれる。
看護記録。
訪問実績。
勤務表。
次々と準備が始まる。
若い看護師が聞く。
「監査ですか?」
主任は首を横に振る。
「まだ違う」
まだ。
その言葉が重かった。
夕方。
施設長は一人で残っていた。
机の上には提出資料。
訪問実績一覧。
複数名訪問実績。
会議資料。
数字が並んでいる。
見慣れた数字。
今までは誇らしかった。
利用者も増えた。
職員も増えた。
利益も出た。
良い施設になった。
そう思っていた。
だが。
今は違う。
数字を見るたびに、
別の感情が浮かぶ。
その時だった。
スマートフォンが鳴る。
榊だった。
「お久しぶりです」
施設長が言う。
「状況は聞きました」
榊の声は落ち着いていた。
施設長は苦笑する。
「早いですね」
「仕事柄」
短い沈黙。
施設長が聞く。
「あなたは知っていたんですか」
榊は少し考える。
そして答える。
「可能性はありました」
それ以上は言わない。
高梨の名前も出さない。
施設長も聞かない。
聞く必要がないからだ。
二人とも分かっている。
「施設長」
榊が言う。
「今やるべきことは一つです」
「何ですか」
「事実を出すことです」
施設長は目を閉じる。
正論だった。
隠すな。
ごまかすな。
事実を出せ。
それだけ。
電話が終わる。
施設長は窓の外を見る。
冬の空。
静かだった。
だが。
その静けさの下で、
確実に何かが動いている。
夜。
帰宅前。
西田は一人で資料を見ていた。
訪問実績。
勤務表。
複数名訪問。
何度も見てきた数字。
だが。
今日は違った。
ふと。
高梨の顔が浮かぶ。
そして。
あの日の言葉。
私は見ないふりができません。
西田は資料を閉じる。
胸の奥が重かった。
初めてだった。
高梨が辞めた理由を、
少しだけ理解できた気がしたのは。




