第104話 【傷付く人たち】
十二月。
高梨は新しい職場で働き始めていた。
病院。
急性期病棟。
以前働いていた環境に近い。
忙しい。
だが。
仕事に困ることはなかった。
看護師免許は変わらない。
経験も変わらない。
患者もいる。
同僚もいる。
生活も続いていた。
昼休み。
休憩室。
同僚たちが雑談している。
高梨は一人でスマートフォンを見ていた。
画面には、
あの施設のホームページ。
クリスマス会の写真。
利用者たちの笑顔。
職員たちの笑顔。
西田も写っていた。
少し痩せた気がする。
思わず笑う。
その時だった。
「何見てるんですか?」
隣の看護師が聞く。
「前の職場です」
「へぇ」
画面を覗き込む。
「綺麗な施設ですね」
高梨は頷く。
「良い施設ですよ」
その言葉に嘘はなかった。
本当に良い施設だった。
少なくとも。
利用者から見れば。
家族から見れば。
多くの職員から見れば。
夕方。
仕事帰り。
車の中。
助手席には例の封筒。
まだある。
捨てていない。
通報もしていない。
高梨は封筒を見つめる。
そして思う。
もし通報したら。
何が起きるだろう。
本社は困る。
施設長も困る。
主任も困る。
西田も困る。
利用者家族も不安になる。
職員たちも傷付く。
もしかしたら。
施設の運営そのものに影響が出るかもしれない。
その結果。
本当に誰かが幸せになるのだろうか。
答えは出ない。
夜。
住宅型施設。
西田は残業していた。
利用者対応。
家族対応。
職員相談。
管理職候補になってから仕事は増えた。
だが。
不思議と嫌ではない。
利用者のためになっていると思えるからだ。
記録を終えた時。
施設長がやってくる。
「まだいたんですか」
「施設長こそ」
二人とも笑う。
そして少し沈黙。
やがて施設長が聞く。
「高梨さん元気ですかね」
西田は驚いた。
施設長から名前が出るとは思わなかった。
「どうでしょう」
「元気だといいですね」
施設長はそう言った。
西田は頷く。
そして思う。
施設長もまた、
高梨を嫌っていたわけじゃない。
誰も嫌っていなかった。
ただ。
同じ場所で働けなくなっただけだ。
その頃。
高梨は自宅の机に座っていた。
封筒を開く。
資料を取り出す。
訪問実績。
会議資料。
記録。
何度も見た資料。
そして最後に。
一枚のメモ。
自分で書いたものだった。
そこにはこう書かれている。
『良い看取りだった』
高梨は目を閉じる。
佐伯の顔が浮かぶ。
家族の涙が浮かぶ。
職員たちの笑顔が浮かぶ。
そして。
その下に続く文字。
『だからこそ過程も正しくあってほしい』
高梨は長い間その文字を見つめていた。
傷付く人はいる。
確実に。
だが。
傷付く人がいるからと言って、
事実を隠していい理由にはならない。
その考えが、
少しずつ形になり始めていた。




