第七章 怪しい若当主たち
マッケンジーはアボット姉妹の瀟洒な応接間にどっかりと居座り、
「おーいミセス・カーティス、お茶には蜂蜜をつけてくれと何度も言っただろうが!」
と、朗らかかつ傍若無人に要求してから、特に問われてもいないのに、自らがこのファンテンベリーに住みつくまでの半生およびここしばらく北部へ発っていた理由を、主にエレンとジゼルに向けて滔々と語り始めた。
「名前とこの赤毛で分かりますでしょうが、私はカレドニアの生まれでしてな、ご一族が――ああ、勿論マスグレーヴのご一族ですよ? これが北にも持っていたちょっとした地所の管財人の家に生まれましてな、1774年にご一族の直系が絶えてカーリーにお住まいの遠縁の御家系が財産を相続したとき、ご本宅一帯の財産の管理のために呼ばれてきたんですわ」
マッケンジー老人が得意そうに言い、まるでエールでも干すようにぐいっと紅茶を飲み干して気持ちよさそうなげっぷをした。
アンが「ウウっ」と右胸を抑え、さっきからずっと持っている気付けのアンモニアの小瓶を鼻先で振り回す。
「――このファンテンベリー周辺の、マスグレーヴ一族の不動産というのは、どの程度ございますの?」
エレンが慎重に訊ねると、マッケンジーは鮮やかなブルーの眸をキラキラと輝かせ、指折り数えながら並べ立てた。
「まずはクリーク下橋の傍の水車小屋の土地ですな。それからウォーターサイドに貸倉庫が二軒。中央大辻にも二か所貸店舗があります。―-こちらのアボットのお嬢さんたちが買い取るまでは、勿論このお邸もね。それから南の森ですな。私は妻と一緒に南の森の入り口の田舎家に住んでおりますが、この家も勿論ご一族からの借家です」
「まあ、かなりの財産ですのね!」
「そりゃマスグレーヴ一族ですからねえ」と、マッケンジーは得意そうに応えたが、ふっと表情を曇らせると、やるせなさそうなため息をついて厚い肩を落とした。
「ミスター・マッケンジー、どうなさいましたの?」
エレンが訊ねると、ますます深いため息をつき、用心深い獣のように室内を見回してから、腹を決めたような表情で頷くと口を切った。
「ここにおいでなのは皆さまお生まれのよろしい良家のご婦人ですからな、お話したって世間に悪い噂が広まるってこともないでしょう。――実はですな、今カーリーに住んでいる当代の若当主さまが、これがなかなかの放蕩者のようで、二年前に家督を相続してこの方、手放せそうな財産を次から次へと売り払っているのです」
「ああ、カーリーのクリス・マスグレーヴね!」と、アンが疎ましそうに眉を顰める。「あの若い放蕩者の噂はわたくしも聞いているわ。六年前、まだカトルフォードの大学生だったころからずいぶん素行が悪くて、御父君は苦労をなさっていたみたい」
「そうなんですよアンお嬢さん!」と、マッケンジーが我が意を得たりとばかりに頷く。「幸いあっちの執事がちゃんとした男だから、本当に金になりそうな大事な地所はまだ手放さずにすんでいますがね、北部のちょっとした借家や農地はもう軒並み人手に渡りました。この頃じゃこっちの南の森まで!」
「え、南の森を?」
バーバラがぎょっとしたような声をあげる。「あの森を手放してしまうの?」
「バーバラお嬢さん、哀しいことに『もう手放してしまった』のですよ」
マッケンジーが深い、ふかいため息をつき、とろりとした琥珀色の蜂蜜を冷めた紅茶に注いで、ガシャガシャと匙でかき回してから飲んだ。
「ミスター・マッケンジー、南の森を買い入れたのはどこのどなたですの?」
アンが興味津々の面持ちで訊ねる。
するとマッケンジーは悍ましそうに眉をしかめた。
「それが秘密なんですよ!」
「秘密?」エレンは聞きとがめた。「買い取り手が秘密って、一体どういうご事情ですの?」
「麗しきご婦人がた、こいつはくれぐれも他言無用ですぞ?」と、マッケンジーはフサフサした眉毛をあげて念を押してから、得意そうな面持ちで女性一同を眺めまわした。「実はですな――南の森を買い入れた北部の準男爵家の御当主ってのが、地所にはお住まいにならず、タメシスで何やら事務所を開いて金を稼いでいるんですと!」
「――まああ」
アンがおぞましそうに応じて口元を掌で抑える。
アルビオン&カレドニア連合王国のせせっこましいミドルクラスの階級意識にとって、地主はアッパーミドルの最高峰である。
次男三男ならいざ知らず、準男爵家の一族の当主が町で事務所を開いて金稼ぎをするなど!
それはもう階級的堕落というものだ。
「その御家系、本当にちゃんと存在する一族ですの? 準男爵家を騙った詐欺じゃありませんの?」
聡明ながらも時代の制約たる階級意識からは逃れられないバーバラが心配そうに訊ねる。
マッケンジーは不本意そうに頷いた。
「私もそう思って、わざわざ北部のイーブラクムまで確かめに行ったのですけれどね、ご一族はきちんと存在いたしました。古い大きなお城みたいな邸宅にお住まいでね、不在の御当主に代わって叔母さまにあたる貴婦人が地所の切り盛りをしておいでで」
「--それじゃ、よっぽどお金に困っているのかしら?」
「でも、それならなんで南の森を買い入れられるの?」
アボット姉妹が訝しんでいる。
聞きながらエレンは思った。
――何もかも怪しすぎる。
禄でもないカーリーのクリス・マスグレーヴという共通の標的を見つけたためか、水と火みたいに相容れなそうなアンとマッケンジーは、そのあとは仲良く若マスグレーヴへの悪口で盛り上がっていた。
「おお、それじゃお嬢さんがた、私はこれで」
と、マッケンジーが言い出したときには、アンはすっかり親しみの籠った様子で、
「あらミスター・マッケンジー、玄関までお送りしますわ!」
と、立ち上がった。
姉を立てる性格のバーバラも慌てて立ち上がる。
姉妹と老人が応接室を出て行ったあとで、エレンは小声で訊ねた。
「ねえジゼル、今のミスター・マッケンジーって方、あなた初対面だったの?」
「ええ」
ジゼルは冷ややかに応えた。「あんな騒々しいカレドニア人、以前に会った記憶はありませんわ。それが何か?」
「いえね、そうすると――」
エレンは少し迷ってから打ち明けた。「あの方がファンテンベリーを発ったあとで、留守中に三件の行方不明事件が続けて起こった、ということになるでしょ? もしかしたら何か関連性がある――かもしれないと思って」
ジゼルが濃いハシバミ色の眸をしばらく泳がせてから、
「――ああ!」
不意に腑に落ちたような声をあげる。
そのあとでつくづくとエレンを見つめた。
新種の幻獣でも見るような目つきだ。
「……なによ?」
「いえね、あなた本当に気鋭の諮問魔術師なのだなと思って」
「--今まで何だと思っていたのよ?」
ついイラっとして刺々しい口調で問い返すと、ジゼルは声を立てて笑った。光を砕いて振りまくような明るい笑いだった。




