第六章 番犬の帰還 3
応接室は玄関広間の右手、建物全体の北側の翼の端のほうにあった。カーテンと絨毯は明るいブルーで、家具は白系統で揃えられている。
「少しお待ちになってね。すぐお茶の支度をさせますから」
「あ、いえミセス・ロビヤール、お茶は旅籠で頂きましたから!」
お茶に加えて苺のトライフルとエール半パイントと大蒜風味の揚げジャガイモと鱒のフライもいただいているエレンは慌てて遠慮したが、アンは確固たる意志で午後のお茶を用意させてくれてしまった。
「ところでミス・アボットーー」
仕方なくも有難くも本日何倍目になるのか分からない茶碗を片手に口を切ると、
「ねえミス・ディグビー、もしよければバーバラと呼んで?」
バーバラが少し不安そうに訊ねてきた。
エレンは嬉しくなった。
「ええ勿論、よろこんで! それじゃ、わたくしのことはエレンと」
「あらまあ、それならわたくしはアンよ」と、アンがはしゃいだ少女みたいに青白い頬を染めながら口を挟み、はっと気づいたようにジゼルを見やった。
エレンとバーバラも同時に見やる。
ジゼルは手袋を外し、華奢な手で青い花模様の白磁のカップを手にしていたが、同席者三人のもの言いたげな視線に気づくと、吃驚したように目を瞠ってから、ふいと目を逸らして口早に呟いた。
「では、よろしければわたくしはジゼルと」
見れば小さな耳朶が薄赤く染まっていた。
エレンは全く懐かない野生動物がようやく寄ってきたような嬉しさを感じた。
「じゃ、改めてアンとバーバラーー」
「何でしょうエレン?」
「何か訊きたいことが?」
「ええ。――明日になったらコリンズ巡査部長がいらっしゃって説明してくださるそうですけれど、その前に、例の行方不明事件について、あなたがたの知っていることをざっと教えていただきたいの」
エレンは切り出すと、姉妹はよく似た真剣な表情で頷き、互いを促しあうような視線を交わしてから、まずバーバラが口を切った。
「ええとね、初めの事件が起こったのは、たしか四月の十八日で、いなくなったのは昔マーフィー家に勤めていた元キッチンメイドのジョアンナ・ディーンっていうお婆さんだったの。日曜日で、教会から家に帰る途中で気が遠くなって、気が付いたらクリーク上橋のうえにいたって本人は言っているのですって」
「でも、実際には二日間行方不明になっていたらしいの」と、アンが言い添える。「ジョアンナは一人暮らしだから、いないってことになかなか気づかれなかったのよ」
「それから二人目は、たしか五月の四日ごろ?」
「そうそう。確かそんなころで、中央大辻の食料品店に勤めている若いビル・ロビンが、五月祭に休みを貰って家に戻った帰りに、やっぱり気が遠くなって、気が付いたらウォーターサイドの桟橋の上にいたのですって」
「それも本当は二日経っていたの?」
エレンが訊ねるとバーバラが首を横に振った。
「ビル・ロビンの場合は三日だったみたい。食料品店の主人のミスター・ジェンキンスが『休暇が終わったのにまだ戻らない』ってロビン家に連絡して、家のほうでは『今日の朝出た』って報せていたから、いついなくなっていつ見つかったかがはっきりしているの」
「それで、次の行方不明は五月の十九日で、これは女の子だったの」と、アンが傷ましそうに言う。「ナンシー・ブラウンという十二歳になるハックニー家の地所の小作農の娘でね、日曜学校の帰りに家に戻ろうとしたら、やはり気が遠くなって、気が付いたら水車小屋のテラスにいたのですって」
「いなくなっていた期間は?」
「この子は丸一日」と、バーバラが応える。
「それはまた――」と、エレンは唸った。
「全く共通点がないわね」
「――そうなのよ!」
我が意を得たりとばかりにバーバラが頷く。「ジョアンナとナンシーのケースはどちらも日曜日の教会帰りではあるのだけれどね、ビル・ロビンは全く違うし、被害者三人の年齢も性別も違うでしょ? 本当に一体何が何なんだか――」
バーバラが熱を込めて話し始めたとき、
「――奥様、ミス・バーバラ、ご歓談中失礼いたします」
応接室の入り口からハウスキーパーのミセス・カーティスが控えめな声で呼んだ。
「どうしたのミセス・カーティス?」
アンがやや不機嫌に応じる。
「玄関広間にミスター・マッケンジーがお越しです。北部からお戻りになって、奥様とミス・バーバラにご挨拶したいと。先のお客様がおいでだとお話したのですが――」
ハウスキーパーが困ったように口を濁す。
「アン、バーバラ、お客様ならどうぞお会いになって。わたくしはしばらく滞在させていただくだから、お話はいつでもできますわ」
「そんなエレン、あなただって大事なお客様ですのに――」
エレンとアンがまどろっこしい儀礼的な譲り合いを続けていたとき、玄関広間のほうから割れ鐘のような男の声が響いた。
「ミセス・ロビヤール、ミス・アボット、お忙しいなら私はまた参りますんで! しかしね、お嬢さんがた、マスグレーヴ旦那の昔のお邸に住むんなら、マスグレーヴの郎党にはそれなりの敬意ってものを示すのが世間の常識じゃありませんかねえ!?」
〈……――非常識な大声ですこと!〉
悠然と紅茶を啜っていたジゼルが柳眉を顰めてルテチア語で吐き捨てると、微かな同情の宿った目つきでアンとバーバラを見やった。
「お二人とも、お会いになるべきですわ。事情はよく分かりませんが、学校経営に世間の評判は大切でしょう」
「え、ええ、そうね。その通りだわ」と、アンが相変わらずなぜか右胸を抑えながら頷くと、ミセス・カーティスを見あげて怯えたような声で命じた。
「こちらにお通しして」
「やあやあアボットのお嬢さんがた、お元気そうですなあ! おやこれはお美しいお友達がたも! みなまだお嬢さんかな? 奥方様もいらっしゃるのかな?」
割れ鐘のような大声で笑いながら入ってきたのは、茶色い薄手の外套とタータンチェックの帽子、揃いの半ズボンに白いゲートルを合わせた赤ら顔の老人だった。
小柄だが頑丈そうな体つきで、顔は厳つく、目は鮮やかなブルーだ。
一目で分かる北部人――カレドニア人の容貌である。
「エレン、ジゼル、こちらはミスター・マッケンジー」と、アンが何となく諦めたような口調で紹介してくれる。「昔はマスグレーヴ家の御当主の秘書をなさっていた方で、今はあちこちに残っている地所や借家の管理をなさっているの」
「なあに、しがない森番の爺ですよ!」と、紹介されたマッケンジーがご機嫌で言い添える。「しかしこりゃ目の保養ですなあ、お美しいお客さんが二人も! 新しい先生ですかな?」
「あ、いえ、こちらのミス・ディグビーは――」
アンがおっとりと訂正しようとしたとき、
「ええ、そのようなものですわ!」
エレンは不躾に遮った。
アボット姉妹が愕きの目を向けてくる。
ジゼルが一瞬ためらいを見せてから、
〈彼女は彼に素性を隠しておきたいようですわ〉
と、ルテチア語で独り言のように呟いてくれた。




