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第六章 番犬の帰還 2

 アーチ門を抜ければ、芝生の前庭のすぐ先に石造りの邸のファサードがあった。

 三段の石段を登り、一対の石柱のあいだを抜け、錆びた青銅製の獅子頭のノッカーを備えた重々しい黒い扉を開く。

 途端に、淡い蝋燭の燈火に照らされた玄関広間の奥から、黒い喪服姿の女性が駆け寄ってきた。


「バーバラ! それにミス・ヴィリアーズも! 随分遅かったのね、心配したわよ? タメシスから来た諮問魔術師(コンサルティティヴ・マギステル)とかいう男に無礼な振舞はされなかった?」

 甲高い声で叫びながら小柄なバーバラに正面から抱きつく。


「お姉さま、落ち着いてよ!」

 バーバラが苦笑しながら女性の背中を軽く叩いた。

「この通り、わたくしもミス・ヴィリアーズも無事そのものよ。少し愕きの報せはあるけれど――」

「なぁに? なにがあったの?」

 不安げに慄く声でバーバラから腕を離した女性は、ジゼルと並んで所在なくドアの前に立ち尽くすエレンに気付くなり、淡い勿忘草色の眸を瞬かせた。


「あ、あら、これは失礼いたしました! お客様でしたの?」

「ええ。――ミス・ディグビー、これが姉のミセス・アン・ロビヤール。この学校の校長です」

「初めましてミセス・ロビヤール。突然の訪問をすみません」

「いえそんな、どうぞお気になさらず。わが女子寄宿学校へようこそいらっしゃいました。御見学でございます?」

「あ、いえ、その――」

 先ほどの言動からして、アンはエレンが諮問魔術師だとは気づいていないようだ。

 何と答えようかと躊躇っていると、バーバラがエレンを見あげて悪戯っぽく笑いながら囁いた。

「ねえミス・ディグビー、彼も紹介したら?」

「彼?」アンが訝しそうに言う。

 エレンも一瞬何のことかと思ったが、すぐにバーバラの言わんとすることに気付いた。


 美しくも妖しげなジゼルのサフィールと違って、エレンの使役魔が女性に怖がられることは経験上決してない。


「……どなたかまだお連れ様がいらっしゃいますの?」

 アンが不安そうに訊ねてくる。

 エレンは笑って頷くと、掌を広げて、本日二回目に契約魔を呼んだ。


「サラ、出てきて頂戴。ファンテンベリーの貴婦人(レディ)を紹介するわ」


 途端、手の上から淡い金色の微光の柱が立ち昇って、赤く小さく輝かしい火蜥蜴が現れた。



 淡い亜麻色の睫に縁取られたアンの勿忘草色の眸が零れんばかりに見開かれる。



「それは――」


「彼は火蜥蜴(サラマンダー)のサラ。わたくしの契約魔です」


「ファンテンベリーの貴婦人よ、お初にお目にかかる」

 エレンの掌の上でサラが重々しく告げて小さい頭を低める。


「契約魔? それじゃ、もしかしてあなたが――?」

「ええ」エレンは頷いた。「わたくしがタメシス警視庁任命の諮問魔術師です」


「ああ、それからミセス」と、それまで置物みたいに控えていたジゼルが不意に口を挟んでくる。「実はわたくしも魔術師です。契約魔は――」と、黒いレースの手袋を外そうとする。

 バーバラが慌てて振り返る。

「――ミス・ヴィリアーズ、待って、この玄関広間(サルーン)は古いから湿気に弱いの! 彼女の紹介はまた今度にしてもらえる? ――お姉さま大丈夫? お姉さま?」

 あまりにも情報過多だったのか、アンが目を見開いたまま棒立ちになっていた。


 バーバラが肩を掴んでゆすると目をぱちくりさせ、痩せた手で右胸のあたりを抑えて「ううう」とうめく。

「愕いたわ。胸がどきどきして死にそう。ミセス・カーティス、わたくしの気付け薬をとってくれる?」

「ええ奥様、いますぐ」

 アンの背後に影のように従っていた深緑のドレスのハウスキーパーらしき婦人がマントルピースの大理石の棚の上から小さい碧のボトルを持ってくる。

 アンはボトルを受け取ると、コルク栓を抜いて鼻へと近づけた。

 

ツンと来るアンモニア臭が漂う。

 アンはぎゅっと顔をしかめて栓を戻すと、再び胸元を抑えて大きく息を吐いた。

「ああ、少しだけ落ち着いたわ。――わたくしあんまり心臓が強くないの」

「あらそうでしたの?」と、ジゼルが冷ややかに応じ、右胸を押さえるアンの手に皮肉っぽい視線を向ける。


 空気の読めない――あるいは全く読む気のない?――ルテチアの魔女が余計なことを口にする前にと、エレンは慌てて口を挟んだ。


「申し訳ありませんミス・ロビヤール。いろいろと愕かせてしまって。お話に伺った行方不明事件のことはどうかご心配なさらず。及ばずながらわたくしが調査を致しますから」

「ねえお姉さま、これは本当にありがたいお話なのよ!」と、バーバラが口添えする。「ミス・ディグビーは有名な諮問魔術師なの。難しい事件を何度も解決してタメシス・ガゼットにも載っているのですから」

「まあガゼットに?」

 途端にアンの青白い顔に燃えるような好奇心が灯った。

 アンは今しがたの頼りなげな様子をかなぐり捨て、ピンと背筋を正すと、にこやかな女主人然としてエレンに向き直った。

「ミス・ディグビー、ようこそいらっしゃいました! そんな高名な方をお迎え出来て本当に光栄ですわ。どうぞ応接室に。調査のあいだはどうぞこの邸にご滞在くださいね!」

「え、あ、ありがとうございます」

 あまりの対応の変化に戸惑いながらエレンは礼を言った。


 肩にとまった火蜥蜴が小声で囁いてくる。「のうエレンよ――」

「なぁに?」

「タメシス・ガゼットというのは隷属の呪文なのか?」

「似たようなものね!」

 エレンは肩を竦めた。「ありがとうサラ。今日はもうこれきりね。短いあいだに何度も呼び出してごめんなさいね」

「なに、気にするな。いつもいうように、そなたは儂の夢じゃ。夢のなかの時は、そなたの思う時とはまた違うものなのじゃよ――」

 火蜥蜴は淡い煙を吐きながら、エレンの掌越しにどこかへ沈んでいった。 

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