5
オークジェネラルの群れを倒したあたしたちは、55階層の拠点へ向かって歩き始めていた。
「……ねえ、薬師堂」
「ん?」
「さっきから二人とも、やけに機嫌よくない?」
あたしが前を歩く幻魔とミノリを見る。二人とも、明らかに先ほどよりも機嫌がいいのだ。
だが、しばらく進んだところで薬師堂が足を止めた。
「……ん?」
「どうしたの?」
あたしが聞く。薬師堂は森の奥をじっと見ていた。
「…なんか来るねぇ」
幻魔も足を止める。
「…匂いか」
「たぶんねぇ」
ミノリが首を傾げる。
「何の匂い?」
薬師堂が、さっき倒したオークジェネラルの残した血の匂いを指す。
「オークジェネラルの匂いに、反応したんじゃないかなぁ」
「え?」
その直後森の奥から低い唸り声が聞こえてきた。
グルルルル……。
木々の向こう黒い影が近づいてくる。
一つ。
二つ。
三つ。
そして、さらに奥からも。
ザッ。
ザッ。
ザッ。
大量の足音が近づいてくる。
「……嘘」
黒い毛。
巨大な身体。
鋭い牙。
三メートル近い巨体。
「……嘘」
黒い毛に巨大な身体。鋭い牙。三メートル近い、大きな狼。
見た瞬間、身体が動かなくなった。
「あの黒い狼……」
声が震える。
58階層に飛ばされた直後。何も分からない森の中であたしが最初に出会った魔物。
突然、木々の間から現れた。あまりにも大きな黒い狼。
狙いは先ほど倒したオークジェネラルだろう。何故かドロップアイテムにならず、地面に横たわっている。
黒い狼たちが、オークジェネラルの死体へ向かって走り出す。
幻魔の眉がピクリと動いた。
「……おい」
低い声。黒い狼の一頭が、オークジェネラルの肉に噛みつこうとした。
「肉落とさねぇ犬っころが!」
幻魔の身体から、凄まじい熱気が噴き出す。
「俺らの肉を奪うなゴラァ!!」
ゴォォォォォッ!!
次の瞬間、炎が一気に走った。
「ギャウンッ!?」
「グルァアッ!」
「ギャオオッ!」
黒い狼たちが炎に包まれる。一瞬の出来事だった。
炎が消えた頃には、そこに残っていたのは黒い炭のようになった魔物の残骸。
ポン。
ポン。
ポン。
地面にいくつもの魔石と素材が転がった。
「…………」
あたしは固まった。薬師堂がその光景を見ながら、ぽつり。
「あらら……」
「幻魔、容赦ないなぁ」
いや、そういう問題なの?
「肉を奪おうとしたんだぞ?」
「うん。だからって消し炭にする?」
「する」
「そっかぁ」
納得するんだ。あたしは目の前の魔石を見る。
「…あの魔物なに?」
「ワイルドウルフ」
薬師堂が答える。
「さっきの黒い狼だねぇ。毛皮とか牙とか爪とか、魔石を落とすよ」
「……肉は?」
「落とさない」
「なるほど」
幻魔がオークジェネラルの肉を確認する。
「よし。無事だ」
「そこが一番大事なんだ……」
「当然だろ?」
幻魔は真顔だった。薬師堂が苦笑する。
「まあ、あれだけ燃やせば素材回収は楽だけどねぇ」
「消し炭にして素材に戻せるの?」
「倒した魔物は一定時間でドロップアイテムに変換されるからね。今回は幻魔が焼き切ったから、そのまま変換されたんだと思うよ。たまにそのまま残るときは解体しないとダメだけどねぇ…」
「へぇ……」
あたしは地面に転がった魔石を見つめた。
さっきまで、あんなに大きくて怖かった黒い狼が。
今はもう、ただの素材になっている。
……いや、ただの素材なんて言い方をするのも変か。あたしにとっては、58階層に飛ばされて最初に出会った魔物だ。
あのときは、本当に何もできなかった。
逃げることしか考えられなかった。
今でも、あの黒い毛並みを見ると身体が勝手に強張る。
気づけば、また拳を握っていた。指先に力が入る。呼吸も少し浅くなっていた。そんなあたしに気づいたのか、薬師堂がこちらを見る。
「……まだ怖い?」
「……うん」
素直に答えた。
さっきよりはマシ。でも、怖いものは怖い。
薬師堂は笑わなかった。
「そっか」
それだけ言って、あたしの少し前に立つ。
それから、いつもの軽い調子で言った。
「二人とも〜オークジェネラルここで解体したいから警戒よろしくねぇ〜」
「……ここでやるの?」
「拠点まで運ぶより、先に処理したほうが楽だからねぇ」
薬師堂は慣れた手つきで作業を始めた。皮を処理して、肉を切り分ける。その手際の良さに、あたしは思わず見入ってしまう。
「薬師堂って、こういうの慣れてるの?」
「深い階層だと、魔物が必ずドロップアイテムになるとは限らないからねぇ。食べられる魔物なら、ちゃんと解体できたほうがいいでしょ?」
「なるほど……」
ミノリが切り分けられた肉を覗き込む。
「これ、かなり取れる?」
「取れるよ?大物だし当分は持つねぇ〜」
「やったぁ!」
幻魔も肉を見ながら満足そうに頷く。
「やっぱオークジェネラルはいいな」
「豚肉の中でも最高級だからねぇ」
「最高だな」
そんな会話をしていると。
森の奥から地響きが地面を踏み鳴らすような音が聞こえた。
「……また何か来るよ」
薬師堂が顔を上げる。幻魔とミノリも、すぐにそちらを見る。
ドスッ
ドスッ
木々の隙間から現れたのは二足歩行の巨大な牛の怪物。ワイルドウルフやオークジェネラルよりも巨大な身体。頭には大きな角。手には巨大な戦斧を構えて涎を垂らして向かってくる。
「…………」
あたしは目を丸くした。
「な、なに、あれ……?」
幻魔の表情が変わった。
「……ミノタウロス」
「ミノタウロス?」
「牛の魔物だ」
ミノリの目が輝く。
「牛!?」
「あぁ、牛肉だな」
「牛肉だぁ!!」
二人のテンションが一気に跳ね上がった。
「ちょっ、待って、二人とも!」
さっきまで戦闘を警戒していたはずなのに。完全に別の意味で興奮している。
「まだ戦うって決まってないでしょ!?」
「いや、倒す」
「うちも!」
「即答!?」
ミノタウロスが襲いかってくる。
「グオオオオッ!!」
雄叫びをあげて巨体が突進してくる。
「大丈夫。その二人はほっとおいていいよ〜」
「いいの!?」
思わず聞き返した。
目の前には、巨大な牛の怪物。頭には大きな角に筋肉隆々。手には巨大な戦斧。しかも、こっちに向かって突っ込んできている。
なのに、薬師堂は、まったく慌てていない。
「うん。むしろ二人のほうが張り切ってるからねぇ」
「張り切ってるって……」
幻魔が正面から突っ込んだ。ミノリも横から駆け出す。
「「牛肉ぅぅぅ!!」 」
「いや、そこ!?」
ミノタウロスが戦斧を振り下ろす。
ドゴォン!!
地面が大きくへこんだ。
「うわっ!?」
あたしが思わず身を引く。
幻魔はすでに斧の懐へ潜り込んでいた。
「遅ぇ!」
拳がミノタウロスの腹へ叩き込まれる。
ドゴォッ!!
「グオッ!?」
巨体が大きくよろめく。
「いくよー!」
ミノリが戦鎚を振り上げる。
「せーのっ!」
ドゴォォン!!
ミノタウロスの脚元が吹き飛び、巨体がバランスを崩した。
「今だ!」
幻魔が炎を拳に纏う。
「牛肉は逃がさねぇ!」
「うちも!」
「そこまで食べ物なの!?」
あたしが叫ぶ。しかし、二人には聞こえていない。
幻魔の炎とミノリの戦鎚が同時に叩き込まれる。
轟音と土煙が立ち上がる。
ドスン……。
ミノタウロスの巨体が地面に倒れた。
「…………」
あたしは呆然とする。
強い。さっきのワイルドウルフの群れもそうだった。でも、今回は明らかに違う。あんな巨大な魔物を相手にしているのに。二人とも、まるで遊んでいるみたいだった。
「仁くん!」
ミノリが振り返る。
「牛肉!」
「はいはい」
薬師堂は苦笑しながら答える。
「じゃあ、こいつも解体だねぇ」
「やったぁ!」
「…………」
あたしは思わず薬師堂を見る。
「……本当に、あの二人に任せてよかったんだ」
「うんうん」
薬師堂は頷く。
「幻魔もミノリも、あれぐらいなら問題ないからねぇ」
「……あれぐらいって」
あたしは倒れたミノタウロスを見る。
巨大な角に巨大な戦斧。
あんな魔物を「あれぐらい」で済ませる。
やっぱり、この三人は、あたしが知っている探索者とは何かが違う。
でも、不思議と怖いとは思わなかった。




