3
「い、今なんて…」
聞き間違い。
聞き間違いだよね。
白髪で眠そうな目をあたしに向けてくる。
「まぁ、座りなよ?詳しく話すからさ?」
階段に腰を下ろす薬師堂。
あたしもその前に座ると、ミノリが横に座ってきた。
幻魔はそのまま腕組みをしてあたしを見下ろす様に腕組みを睨みつけてくる。
いや、それはどうでもいい。
「き、聞き間違いだよね…?」
「だから、まだ地上には帰れない」
薬師堂は申し訳なさそうに、しかし妙にあっさりと言った。
「あの」
「うん?」
「それ、どういう意味?」
「そのままの意味だよ?」
「いやいやいやいや!!」
あたしは頭を抱えた。
「なんで!? さっきあたしを助けてくれたじゃん! 帰り道知ってるんじゃないの!?」
「知ってるよ?」
「じゃあ帰してよ!!」
「無理だよ?」
「なんでだよ!!」
薬師堂は指を一本立てる。
「まず、ここは58階層。この上が57階層」
「知ってる!!」
「地上に戻るには、50階層のフロアボスを倒して解放された転移魔法陣を使う必要がある」
一瞬、意味が理解できなかった。
「……50階層?」
「うん」
「フロアボス?」
「うん」
「それ倒さないと帰れないの?」
「そういうこと」
あたしの脳内で、嫌な情報がゆっくり繋がっていく。
「…待って」
「うん?」
あたしは震える指を薬師堂へ向けた。
「大手クランですら、38階層までしか到達してないんだよ!?」
「そうだね」
「40階層のフロアボスだって、まだ倒せてないんだよ!?」
「そうだね」
「なのに……なんであたし58階層にいるの!?」
思わず、声が裏返る。あたしが叫ぶと、薬師堂は眠そうな目のまま首を傾げた。
「転移魔法の罠に嵌ったからでしょ?」
「そういうことを聞いてるんじゃない!!」
「いや、質問に答えただけだけど…」
「なんでそんな冷静なの!?」
「だって事実だし」
「こっちは人生最大級のピンチなんだけど!?」
薬師堂は少し考えるように顎へ手を当てた。
「うーん……じゃあ、もう少し詳しく説明する?」
「最初からそうしてよ!!」
「朱音ちゃんが元いた階層で、転移魔法の罠を踏んだ」
「うん……」
「その罠が本来想定されている転移先とは違って58階層まで飛ばされた」
「…………」
「で、そこで『たまたま』オレたちが見つけた」
あたしはゆっくりと両手で顔を覆った。
「事故だね」
「最悪じゃん!!」
「うん、かなり運が悪いね」
「運が悪いで済ませるなぁ!!」
隣に座っていたミノリが、ぽつりと口を開く。
「でも、死ななかったね?」
「それはそうだけどさ!?」
「なら、よかったじゃん?」
「よくないよ!?」
あたしが振り返ると、ミノリは首を傾げる。
「仁くんに帰れないって言われたから?」
「そうそれ!!」
「いや、だから50階層のフロアボスの火炎竜倒せれば帰れるって。落ち着いてよ、朱音ちゃん」
眠そうな目であたしを見つめてくる。
「…おい、黙って仁の話を聞け。置いてくぞ?」
今まで黙っていた幻魔が痺れを切らして睨見つけてくる。この人だけ二人と違ってなんか威圧的なんだよな。あたしなんかやったかな…?
あまりの威圧感に思わず、背筋が伸びる。
「幻魔〜? 女の子相手に威嚇しないの〜」
ミノリが困ったように幻魔を見る。
「威嚇じゃねぇ。事実を言ってるだけだ」
「それ、さっきの仁くんと同じこと言ってるよ?」
「チッ……」
幻魔が黙り、そっぽを向く。
……なんだろう。
この二人、仲がいいのか悪いのか全然わからない。
「まぁまぁ、二人ともそこまでね?」
薬師堂が手を軽く振る。
「ごめんね、朱音ちゃん。話を戻そうか?」
「あ、はい……」
「まず、朱音ちゃんが帰る方法はちゃんとある」
「……本当に?」
「うん。さっきも言ったけど、50階層の火炎竜を倒すこと」
「……それ、あたしが倒すの?」
「いや?」
「じゃあ誰が?」
「オレたちで」
「えっ…?」
あたしは瞬きをする。
「……倒せるの?」
「もう倒したからここにいるんだよ?」
「…え?、あっ…」
また聞き間違いかと思った。
「だから、もう倒してるよ?」
「…火炎竜を?」
気だるい感じで頷く返事をする薬師堂。あたしはミノリを見る。
「ミノリ」
「なぁに?」
「火炎竜って、あの火炎竜だよね?」
「うん。大きかったよ」
「大きかったよ、じゃないよ!?」
思わず叫ぶ。
「じゃあ、なんでまだここにいるの!?」
「50階層より下を攻略してるからだよ?」
薬師堂はあまりにも普通の顔で言った。
まるで、近所のコンビニまで買い物に行くような口調だった。
「火炎竜を倒したから、そこに転移魔法陣ができた。でも、オレたちはそのまま攻略を続けてる」
「じゃあ……」
あたしは恐る恐る尋ねる。
「その転移魔法陣を使えば、地上に帰れる?」
「帰れるよ」
「じゃあ、今すぐ連れてって!!」
「それはできない」
「なんで!?」
「朱音ちゃんを連れて、そこまで戻るのが危ないから」
「……え?」
薬師堂の表情が少しだけ真面目になる。
「58階層から50階層まで戻るだけでも、普通に危険なんだよ」
「でも、あんたたちは行けるんでしょ?」
「オレたちはね」
「じ、じゃあ……」
「朱音ちゃんは、まだ無理」
薬師堂は階段に座ったまま、淡々と説明する。
「特に50付近は火山エリアだから、環境そのものが敵になる」
「か、火山!?」
「熱に耐えながら進まないといけないし、魔物も強い。道も普通の階層みたいに歩けばいいわけじゃない」
「…………」
「今の朱音ちゃんを連れて行ったら、オレたちは朱音ちゃんを守りながら進まなきゃいけない」
「……それじゃ駄目なの?」
「駄目とは言わないよ?」
薬師堂は少し考えてから続けた。
「でもね? 朱音ちゃん自身が危ない。装備も経験もないまま連れて行くのは自殺行為だ」
「うっ……」
「オレたちが戦っている間に、朱音ちゃんを守り切れる保証もない」
その言葉に、あたしは黙り込んだ。
確かにそうだ。あたしには探索者としての経験も戦闘スキルもない。今のままだとこの人らのお荷物だ。
「…………」
俯いたあたしを見て、薬師堂が少しだけ表情を緩めた。
「まぁ、そんなに落ち込まなくてもいいよ?」
「……でも」
「帰れないわけじゃないんだから」
「それは……そうだけど」
薬師堂は立ち上がると、階段についた土埃を軽く払った。
「まずは55階層まで戻ろうか?」
「……55階層?」
「うん」
薬師堂が当然のように頷く。
「オレたちの拠点がそこにあるんだ」
「…拠点?」
「そうそう。寝る場所もあるし、食料もある。温泉もあるよ」
「……温泉!?」
思わず顔を上げる。
「ダンジョンに?」
「55階層にね」
あたしは目を瞬かせた。
55階層。
そこはあたしが今まで聞いてきたダンジョンの常識からすると、完全に未知の領域だ。
そんな場所に温泉がある?
「……どういうこと?」
「行けばわかるよ〜」
薬師堂はニッと笑う。
「まぁ、朱音ちゃんも今は休んだほうがいい。ここで説明してても話が進まないしね」
「……55階層まで戻るの?」
「うん」
「そこから……どうするの?」
「とりあえず休む」
「……休む?」
あまりにも即答だった。
「いやいや、あたし地上に帰れないんだよ!?」
「だからこそ休むんだよ」
「なんで!?」
「焦っても階層は上がらないからね〜」
「う……」
正論だった。
「それに、55階層ならオレたちの拠点だから安全だよ?少なくとも、この辺で野宿するよりずっとマシ」
「……安全なの?」
薬師堂は眠そうな目のまま頷く。
「ちゃんと防衛設備もあるし、食料も確保してる。寝床もある」
「……」
「朱音ちゃんがこれからどうするかも、そこでゆっくり考えよう」
その言葉に、少しだけ胸の奥が軽くなった。
帰る方法がないわけじゃない。ただ、今すぐ帰るのは危険。
だったらーー
「……わかった」
あたしは立ち上がる。
「55階層まで行く」
「うん、それがいい」
薬師堂が笑みを向ける。
「じゃあ、行こうか?オレらの拠点にね」
階段から立ち上がり、あたしに笑みを向けてくる。
絶対に地上に帰るんだ。
3人の後にあたしは続いた。




