表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/20

第9話 スキル「ダメ人間」

「……さあ、お集まりください。残りかすの方々」


 宰相バルトの、氷のように冷ややかな声が広間に響いた。

 兵士たちの荒々しい手によって、ランクD以下の生徒たちと、意識を取り戻した山田先生が玉座の前に突き飛ばされる。


 ガシャリ、と甲冑かっちゅうの音が鳴るたびに、彼らの肩がびくりとねた。


「効率的に処分しましょう」


 宰相バルトは効率を優先して人を殺すようだ。

 そこにあるのは、先ほどまでいた「選ばれし勇者」たちの冷静さとは正反対の、泥のような雰囲気だった。

 いつも前の席にいた佐藤や、いつも田中の後ろでヘラヘラしていた石川。彼らの顔からは血の気が引き、土気色に染まっている。


「……ふざけるな。いい加減にしろ!」


 その中で唯一、声を張り上げたのは山田先生だった。

 鼻水を垂らし、よだれで汚れたシャツのえりを正しながら、彼は震える指で俺を指差す。


「私は教育者だぞ。頭がいいんだぞ。こんなくだらん格付けなど認めん。ランクFだろうが何だろうが、お遊びだ。ランクだの廃棄だの、そんな非科学的な基準で……」


 わめきちらす声。だが、その響きにはかつての勢いはない。

 叫べば叫ぶほど、周囲の兵士たちの冷酷な視線が彼を削り取っていく。

 彼を囲む槍の穂先が、わずかに震える彼の喉元に突きつけられていた。


(……最悪だ)


 俺は玉座の肘掛けを、指が白くなるほど強く握りしめていた。

 目の前に並ぶのは、かつての「同類」たち。

 この世界において、底辺であることは死に直結する。


(どうにかして、この場をやり過ごさなければならない)


 だが、口を開けば「王命」が発動する。

 もし、今の俺のパニックが変換されて、『ゴミを掃除せよ』なんて命令に変わったら――。

 想像しただけで、背筋に冷たいものが走った。


 俺は反射的に、強く目を閉じた。

 視界を遮断しゃだんし、意識を内側へ潜り込ませる。


(……お願いだ。もう何も起きないでほしい)


「やめてほしいな」


【スキル「ダメ人間」が発動しました】


「……あー、もう無理。全部投げ出して、布団の中でずっと寝てたい」


 ぽつりと、消え入りそうな声でつぶやいた。

 結果は、何も起きなかった。

 周囲の空気は変わらず、兵士たちの冷徹な視線も、山田先生の絶叫も続いている。

 ただ、ほんのわずかに、心地よい微風が吹いた程度にしか感じられなかった。


(……そうか。間違いない。安全だ。誰にも聞こえていないし、影響もない)


 俺は確信した。このスキルは、俺を「背景」にするスキルだ。

 なら、このまま「ダメ人間」として、この場が自然に解消されるのを待とう。

 俺はさらに深く、ダメな思考を加速させた。


「もうやめよう」


【スキル「ダメ人間」が発動しました】


「……自分のこともどうでもいいや。考えるの疲れた。もう、全部どうでもいいよ……」


【スキル「ダメ人間」がランクアップしました:ランクB→A】


(え? 何か聞こえた?)


 とりあえず早口のメッセージが聞こえたものの、何も起きなかった。


 だが、その瞬間。


「……ふぅ」


【ダメ人間が感染しました】


 不意に、山田先生の口から、深い溜息が漏れた。

 激しく喚き散らしていたはずの彼が、急に、肺の中の空気をすべて出し切ったかのように、がっくりと肩を落とした。


「……あー。もういいや」


 山田先生が、ぽつりと呟いた。

 その瞳から、怒りも、虚勢きょせいも、生存本能さえもが消え失せていた。

 彼はそのまま、泥のような心地よさに身を任せるように、ゆっくりと膝をついた。


「私はダメだ……もうダメだ……。いいよ、もう。誰がなんと言おうと、私はただの……ダメな人間なんだ……」


 壊れたレコードのように、けれど至福に満ちた顔で呟き始めた。


(え? 山田先生……?)


 俺は恐る恐る周囲を見まわした。

 すると、奇妙な光景が広がっていた。


「……おい、どうした」


 兵士の一人が、槍を構えたまま、不思議そうに宙を見ている。


「……なんか、槍を構えてるのが、しんどくなってきたな」


(……え? 何が起きてる? 先生だけじゃない。兵士まで……?)


 彼の目や表情から、先ほどまで持っていたはずの「殺意」や「緊張感」がこぼれ落ちていく。


 気づけば、隣の兵士が、そしてその隣の兵士が、まるでドミノ倒しのように、どろどろに溶けた脱力感に飲み込まれていく。

 この無気力は、もはや俺一人の問題ではなく、周囲を巻き込む疫病えきびょうへと進化していた。


(……まさか。もしかして、これ……)


【ダメ人間が伝染しました】


(伝染してる……!?)


「そうだな……。そもそも、なんで俺たち、こんなところで立たされてるんだっけ」


 取り囲んでいた兵士たちが、一人、また一人と、構えを崩し始めた。

 彼らの顔からは、冷酷な処刑人の面影が消え、ただの「仕事をしたくない社畜」のような、虚ろで穏やかな表情が浮かんでいる。


 その伝染は、ついに頂点へと達した。


「……ふむ」


【ダメ人間が伝染しました】


 宰相バルトが、眼鏡を指で押し上げた。

 いつもなら、効率的に「廃棄」の手続きを進めるはずの彼が、ひどく面倒くさそうに眉をひそめている。


「……考え直しました。今ここでこの者たちを処刑するのは、あまりに面倒です」


(え、急に?)


「死体を集め、処理し、報告書を作成し、さらにその分の人員を補充する……。考えただけで、気が遠くなるほどの事務作業が待っている。……ああ、面倒だ。耐え難い」


 宰相バルトという男が、さきほどまで重視していた「効率」よりも「面倒くささ」を優先するようになった瞬間だった。

 彼は、深い溜息をつきながら、投げやりな口調で指示を出した。


「……もういい。当面は『経過観察』ということで、適当に別棟に放り込んでおけ。死なない程度に餌を与えておけば、それで十分でしょう」


「はーい」


 兵士たちが、やる気のない返事をしながら、生徒たちをズルズルと引きずり始めた。

 処刑されるはずだった佐藤や石川たちが、なぜか心地よい脱力感に包まれながら、眠そうに連行されていく。

 最後尾では、山田先生が「布団……布団がいい……」と呟きながら、幸せそうに運ばれていた。


 広間に、かつてないほどの「だらしなさ」が充満していた。


(……助かった。本当に、なんとなく助かった)


 俺は玉座の上で、緊張のあまり限界まで強張っていた肩の力を抜き、深く、深くため息をついた。

 誰も死なず、誰も傷つかず。

 ただ、全員が「どうでもいい」という心地よい虚脱感に包まれて、場が収まったのだ。


 変だが、ハッピーエンドと言えなくもない。いや、王命スキルよりもこちらで行こう。

 みんなダメになろう。今の俺にはそれが最高に心地よかった。


 そこへ、広間の大きな扉が、静かに開いた。


「陛下。お食事の用意が整いました。本日のお部屋へご案内いたします」


 白衣を纏った侍女が、恭しく一礼して告げる。

 その声さえも、どこか眠たげに聞こえるのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ