第7話 最上の蒐集品
「ぐふっ……! がはっ!」
鈍い衝撃音が広間に響く。
兵士の重い軍靴が、俺の身体――もとい、元々の王の腹部を容赦なく蹴り上げていた。
痩せこけた身体が石畳の上で跳ね、無様に転がる。口端から赤い血が飛び散り、制服の胸元が汚れ、泥にまみれていく。
(やめて! もうやめて!)
玉座の上で、俺は絶叫に近い悲鳴を心の中で上げた。
自分の身体が、文字通り「ゴミ」のように扱われている。その光景は、かつての教室で俺が味わっていた地獄の物理的再現だった。
だが、今の俺はそれを止める権限を持つ「王」であり、同時に、口を開けば最悪の方向に事態を加速させる「爆弾」でもある。
「……グヌヌ……っ」
泥に顔を押し付けられた元王が、血混じりの唾を吐き捨て、低く、地を這うような声で囁いた。
兵士たちに聞こえないほどの、極めて小さな、密やかな声。
「……貴様、聞け。……取引だ」
ひそひそ声の内容に、俺はビクッと肩を揺らした。
どんな小さな声も聞き逃さない耳をこの身体は持っているらしい。
「貴様にとっても、わしにとっても、この『身体』が失われることは致命的だ。このままではバレるぞ。……貴様が正体を暴かれ処刑されれば、わしの器は消える。わしは元に戻れず、……共倒れだ」
簡潔で、残酷な論理。
俺が生き残ることが、彼が生き残るための条件であると言っている。
そして俺も俺の身体が死ぬのは嫌だ。
(どうやって……? どうすればいい?)
問い返したい。
だが、恐怖が勝る。
いま口を開けば、またあの「スキル「王命」」が発動し、『この虫ケラを今すぐ粉々にせよ』なんていう、血も涙もない命令に変換されるかもしれない。
(目を? 閉じる?)
俺は、震える瞼を強く閉じた。
視界を完全に遮断し、暗闇に閉じこもる。
さっき元王に言われた通りだ。
目を閉じて、喋れ。
きっとこれは、スキル「王命」が発動しない攻略法だ。
(……お願いだ、今だけは、普通に喋らせてくれ……!)
俺は、祈るような気持ちで目を閉じながら、消え入りそうな声を出した。
「……どうやって?」
その瞬間、脳内に冷淡なシステムメッセージが響いた。
【スキル「ダメ人間」が発動しました】
(……え?)
直後、俺の口から出たのは、俺自身が耳を塞ぎたくなるほど情けない声だった。
「うぅ、こわい……。わかんないよ。もう、おうちに帰って、布団の中に入りたい」
(……え? はぁぁぁぁ!?)
今、俺はなんて言った!?
「どうやって」と聞いたはずだ。なのに、口から出たのは、脳機能が著しく低下したような、救いようのない嘆きだった。
しかも、恐ろしいことが起きた。
すぐ隣にいるはずの王女も、鋭い視線を送っていた宰相も、俺を組み伏せている兵士たちも――。
誰も、俺の声に反応していない。
いや、反応していないどころではない。
そこに「人間」としての存在価値があるとは微塵も思っていないような、完全な無視。
まるで背景の壁や、道端の石ころが小さく鳴いた程度にしか認識されていないようだ。
(えっ、聞こえてないの!? それとも、無視されてるの!? もうわからん)
「もうダメだ」
混乱して、もう一度声を出してしまった。
【スキル「ダメ人間」が発動しました】
「……だめ、もう無理……。何もしないで、ずっと、一人でいたい……。誰にも見つからないところで、ずっと、寝てたい……」
(ああああ! 止まれ! 止まってくれ!!)
喋れば喋るほど、俺の精神的な「ダメさ」が具現化して出力される。
まるで、俺の人生における「逃避願望」と「卑屈さ」だけを抽出して再生する地獄のスピーカーだ。
だが、ただ一人。
泥まみれの地面に転がっている元王だけが、信じられないほど嫌そうな顔で俺を見上げていた。
「……貴様。そんな『ゴミ』のような本心を宿していたのか。耳を汚したわ」
(聞こえてる! 元王には聞こえてる!)
最悪の状況だったが、同時に希望が見えた。
このスキル「ダメ人間」は、周囲から「存在しないもの」として扱われる。
そして、スキル「王命」が発動しない!
つまり、目を閉じている間は、俺の望む状態でもあるということだ。
「……ふん。まあよい。取引は成立だ」
元王は呆れたように溜息をつき、密やかに指示を出した。
「いいか。今から目を開け、そのまま『お宝セット』と言え」
(……は?)
何を言っているんだ、この王は。
お宝セット?
そんなお遊びみたいな言葉を、この状況で、大勢の兵士と王女の前で言えというのか?
場違いさへの不安と混乱で頭が真っ白になる。
だが、今の俺に選択肢はなかった。
俺はゆっくりと目を開けた。
視界に飛び込んできたのは、俺の身体を組み伏せ、処刑のタイミングを待っている兵士たちの冷酷な顔。そして、冷ややかに元王を見つめる王女の瞳。
俺は、覚悟を決めて、口を開いた。
「お宝セット」
【スキル「王命」が発動しました】
――『この道化を、我が最上の蒐集品と定める。誰の手にも触れさせぬよう、最深の聖域に幽閉せよ』――
広間に、絶対的な権威を伴った重低音が轟いた。
さきほどの情けない声とは正反対の、空間そのものを支配する神のような宣告。
声が響いた直後、壁の燭台に灯っていた数百の炎が、一斉にピタリと静止した。
揺れることさえ許されない絶対的な静寂が訪れ、広間は一瞬にして、凍りついた真空のような空間へと変貌した。
もはや「ダメ人間」の透明化は消え、俺は再び、絶対的なオーラを持つ「王」へと戻っていた。
王女の表情が劇的に変化した。
冷徹だった瞳に、熱い陶酔と、深い感銘の色が浮かぶ。
「……! なんと、なんと深い慈悲……、いえ、底知れぬ余裕でしょう!」
彼女は頬を紅潮させ、うっとりとため息をついた。
「不敬者を単に殺めるのではなく、たぐい稀なる珍品として収集し、その絶望を永遠に保存する……。父上のその、残酷なまでに高潔な審美眼に、改めて心酔いたしました」
「はっ! 陛下、御意に!」
兵士たちの態度が、一変した。
彼らはもはや、元王を「処刑すべき罪人」として見ていなかった。
それは、王が所有する「最高級の美術品」であり、「触れてはいけない至宝」への視線だった。
「おい、丁寧に扱え! 陛下が蒐集された『お宝』だぞ! 傷一つ付けるな!」
「急いで聖域へ運べ! 埃一つ被らせるなよ!」
乱暴に引きずられていた元王が、今度は丁寧に、けれど拘束されたまま、丁重に抱え上げられていく。
人間としての尊厳は完全に剥奪され、彼はただの「所有物」へと格下げされたのだ。
だが命は助かっている。
それが元王の意図した結果だったのかもしれない。
「……ふん」
運ばれていく途中で、元王が、俺にだけ聞こえるような小さな声で毒づいた。
「相変わらず、吐き気がするほど不自由な権能だ。……貴様は『乗り移り』の権能か? どうやって使う?」
俺は答えなかった。
答えられない。
そもそも、どうやってこの身体に入ったのか、どうすれば戻れるのか、そんなこと、俺が知るはずがない。
元王は、俺の沈黙を肯定と受け取ったのか、あるいは呆れたのか。
ふっと、不敵な笑みを浮かべて、遠ざかっていく。
「まあよい。いずれまたな、偽物」
自分の身体をした「自分」が、豪華な装飾のついた檻に入れられ、聖域へと運ばれていく。
その光景を、俺は玉座の上で不安とともに震えながら見送っていた。
(俺が遠ざかっていく……)
俺は手汗でぬるぬるになった黒曜石の杖を、ただ強く握りしめることしかできなかった。




