第6話 鏡合わせの王
広間に凍りつくような沈黙が降り積もる。
玉座に座る俺と床に転がる「俺」という抜け殻。
そのあまりに不気味な対比に、身体中の力が抜けていくのを感じた。俺の態度が影響したのか、クラスメイトたちも息をすることを忘れたかのように静まり返っていた。
(……どういうことだ? 俺はここにいる。なのに、あそこに転がっているのは、間違いなく俺の身体だ)
混乱し、視界がぐらつく。
だがその時だった。
視界の端で、泥と血にまみれた「俺の身体」がピクリと指を動かした。
ドクンと心臓が跳ね上がる。
呼吸を忘れ、ただ凝視する。
石畳に張り付いていたはずの痩せこけた身体が不自然なほど鋭い動作で、ゆっくりと上体を起こした。
そして、その頭上に――。
先ほどの生徒たちとは比較にならないほど濃密で、どす黒いほどに深い紅色の文字が、静かに浮かび上がった。
『魂の転送者:ランクS』
(……S?)
驚愕に目を見開く。だが、ランクAで大騒ぎしていた隣にいる宰相バルトも、王女も、クラスメイトたちも、その文字に気づいていないようだった。
深紅の文字は、俺にしか見えない特権的な情報なのだろうか。
その時、地べたに転がっていた「俺の身体」が、ガバッと勢いよく立ち上がった。
その立ち振る舞いは、長年つちかってきた卑屈な俺、小谷正平のものではない。
背筋は鋼のように伸び、顎は傲慢に上がり、その瞳には、支配者特有の威厳に満ち、見る者を射抜くような鋭い威光が宿っていた。
「……ごるあああ!!」
広間に、怒号が轟いた。
その喉から出たのは、小谷正平の細い声でありながら、腹の底から響くような、傲岸不遜で全てをねじ伏せる本物の「王」の声だった。
「貴様、何者だ! 貴様の名は!? わしはこのエルグ国の偉大なる王であり、この地の絶対的な主であるぞ!!」
俺の身体をした王は、自分の痩せ細った腕や、安っぽい制服の袖を忌々《いまいま》しそうに確かめると、激昂して俺を指差した。
「わしの恰好をして、わしの玉座に座り、何をふざけた真似をしているか! この不届き者が! 何がわしの魂をこの泥人形に転送したのだ! 今すぐそこを降り、わしの前に跪け!!」
(……今、なんて?)
泥人形? 転送?
目の前にいるのは、間違いなく俺の身体だ。
彼が俺を「偽物」と呼び、自分を「本物の王」だと主張している意味は、ああ、単純に考えれば一つしかない。
(……入れ替わってる!?)
戦慄が走る。
兵士たちが、一斉に剣を抜き、その「小谷正平」を取り囲んだ。
冷徹な鋼の刃が、痩せこけた首元に突きつけられる。
「……ふむ」
宰相バルトが、眼鏡を押し上げ、冷静に分析し始めた。
「勇者召喚という不安定な魔術においては、稀に精神が崩壊し、錯乱状態に陥る者がおります。特に、魂の格が低い者が強大な魔力に触れた際、自分を特別な存在だと思い込む……いわゆる『王妄想』。よくあることかと存じますな」
(よくある……、あるあるなのか!? 精神崩壊して王を自称するのが、この世界ではよくあることなのか!?)
内心で絶叫する俺をよそに、王女が氷のように冷たい視線を「制服の俺」へと向けた。
彼女のエメラルドグリーンの瞳に、慈悲の色は微塵もない。
王女の反応はさらに冷徹だった。
彼女は、かつての父であるはずの「小谷」を、不快な虫を見るような冷ややかな瞳で見下ろした。
「父上の御前で、そのような不敬な妄言を吐くとは。……下等な魂、価値のないゴミに過ぎません」
王女は玉座に座る俺を一瞥した。
彼女は俺の顔色を伺って、何かを確信したようだ。
そしてうなずく。
そう。ここは穏便に済ませてほしい。
彼女は静かに、そして残酷に告げた。
「処刑ですね」
(どうして!)
「なっ……!? フランシーヌ!? わしじゃ! わしはお前の父だぞ!! おい! 貴様ら! 誰に向かって槍を向けておる! 」
小谷の身体をした王が顔を真っ赤にして叫ぶ。
だが、その姿はただの「精神を病んだ高校生」が喚いているようにしか見えない。
(待て! やめてくれ!!)
俺の心臓が激しく脈打つ。
相手は傲慢な王かもしれない。けれど、あそこにいるのは「俺」の身体だ。
人生で唯一、自分だけのものだと思っていた、この惨めな、けれど不可欠な身体。
それが、この理不尽な世界のルールによって、あっけなく切り捨てられようとしている。
(お願いだ、誰か止めてくれ! 処刑なんて! ちょっと!)
俺は必死に、喉を震わせて声を上げようとした。
「やめて」と。「殺さないで」と。
「やめて」、そう言おうとして俺が口を開いた瞬間。
脳内に、あの非情なシステムメッセージが響き渡った。
【スキル「王命」が発動しました】
――『控えよ』――
広間を、物理的な衝撃波のような重低音が突き抜けた。
重低音が広間を薙いだ瞬間、壁際に整列していた儀礼用の甲冑たちが、一斉にガシャリと音を立てて震えた。
あまりの圧力に、取り囲んでいた兵士たちが思わず後ずさりし、床に膝をつく。
自分の意思とは全く違う、残酷なまでに完成された「王の声」に戦慄しつつ、「殺さないで」と俺は言おうとした。
【スキル「王命」が発動しました】
――『その道化の喚き声、心地よい。屠る前に、少々弄ぶがよい』――
(……はぁぁぁぁ!?)
今、俺は何と言った?
「喚き声が心地よい」? 「屠る前に弄ぶがよい」?
殺さないでと言ったのに、殺す前に拷問?
「……はっ!」
兵士たちが、歓喜に満ちた声を上げて頭を下げた。
王女は、うっとりと頬を染め、俺の方を見た。
「ふふ……。さすがは父上。あのような不敬者を、あえて生かして弄ぶという底知れぬ余裕。その残酷なまでの慈悲深さこそ、我が王の真髄であらせられます」
「な……!? 貴様! 今なんと……!!」
小谷の身体をした王が、落胆と怒りに満ちた顔で俺を睨む。
だが、彼の周囲にはもはや救いなどなかった。
兵士たちが、獲物をいたぶる猟犬のような、卑俗な笑みを浮かべて彼に近づいていく。
俺は玉座の上で、ガタガタと震えながら、自分の口を手で押さえた。
けれど、俺が口を開けば開くほど、俺の身体(本物の王)への拷問と処刑が確定していく。
彼は、玉座の上で顔を青くしている俺を、射抜くような視線で睨みつけた。
「貴様……ッ!! スキル『王命』を垂れ流しおって……!!」
組み伏せられながらも、元王が、鋭い声を絞り出した。
その視線は、正確に俺の「目」を射抜いていた。
彼は、鎖に繋がれながらも、不敵な笑みを浮かべた。
そして、俺だけが聞こえるような、鋭い警告を突きつける。
「いいか、偽物! 目を閉じて喋れ!!」
(……え?)
目を閉じて喋れ?
それがどういう意味なのか、俺が理解するより早く。
兵士たちの粗野な手が、俺の身体の髪を掴み、無理やり地面に叩きつけた。
「ぐああああっ!!」
広間に、俺自身の、聞き慣れた情けない悲鳴が響き渡った。
俺は玉座の上で、自分の悲鳴を聞きながら、ガタガタと震えが増してくるのを感じるだけだった。




