第5話 新しき階級
「待つべし!!」
「待つべし!!」
地響きのような合唱が、ゆっくりと、しかし重々しく引いていく。
兵士たちが一斉に膝をつき、広間に再び、粘りつくような沈黙が戻ってきた。
俺は玉座の上で、顔を引きつらせながら、ただ呆然と彼らを見下ろしていた。
(……なんとか、治まったか?)
いま、俺の目の前にあるのは、かつての教室とは全く異なる、しかし本質的に同じ「選別」の光景だった。
「では、鑑定を再開いたします」
宰相バルトが、冷徹な合図を送る。
列の先頭にいたのは田中だった。
さっきまで肩から血を流していた彼は、今は神官の治療によって傷こそ塞がっている。
だが、その顔からは、教室で俺をいたぶっていた時の傲慢さは完全に消え失せていた。
今の田中の瞳にあるのは、生理的な拒絶に近い恐怖。
そして、その奥に、泥のように濁った、けれど確かな「期待」が揺れている。
「……ほう」
鑑定役の男――聖職者のような白いローブを纏い眼鏡の奥から冷徹な視線を送る男が、田中の頭上に浮かぶ文字を、手に持った水晶越しに凝視した。
彼は手にした羊皮紙に、さらさらと羽ペンを走らせる。
「職業『自爆の勇者』。ランクA。……素晴らしい。実に素晴らしいですな」
その言葉が落ちた瞬間、田中の肩がビクンと跳ねた。
「自爆」という不吉な響き。しかし、それを塗りつぶすほどの破壊力を持つ言葉が、彼の耳に突き刺さったようだ。
「……勇者?」
田中は、ゆっくりと顔を上げた。
その唇が、ひきつったように、けれど勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
彼は自分の肩の傷さえ忘れたように、ゆっくりと背筋を伸ばした。
「ランクA?」
その絶対的な数値が、彼の矮小な魂に、瞬時に「特権階級」という劇薬を注入したようだ。
次は、西園寺唯だった。
彼女は凛とした表情を崩さぬよう努めていたが、その指先が小刻みに、止まらないほどに小さく震えている。
学者風の男が、彼女の文字を読み上げた。
「おお、これは……。『規律の暗殺者』、ランクBですな。こちらも素晴らしい。王国の影として、これ以上の適任はいないでしょう」
称賛の声。だが、西園寺の顔は、みるみるうちに曇っていった。
暗殺者。
学年トップの成績、誰もが憧れる美少女。そんな彼女に与えられた鑑定は、光の当たる場所ではなく、泥と血にまみれた暗がりの仕事だった。
彼女にとって、それは称賛される「価値」ではなく「屈辱」そのものなのかもしれない。
そして。
「さて次は、……こちらの方ですね」
兵士が乱暴に、誰かの両脇を抱えて引きずってきた。
ぐったりとした、濡れ雑巾のような塊。
担任の山田先生だ。
彼は焦点の合わない目で虚空を見つめ、よだれを垂らして、なんとか意識を取り戻そうとしていた。
鑑定役の男が、彼の頭上の文字を一瞥し、鼻で笑った。
「『村人C』。ランクF。……廃棄処分ですな」
「は……? はいき……?」
その言葉に、山田先生の意識がわずかに戻った。
状況を理解したのか、彼は急にパニックになり、兵士の鎧を掴んで叫び出した。
「な、なんだこれは! 冗談じゃないぞ! 私は教師だぞ! 公務員だ! こんなことは、教育委員会に……いや、警察に訴える! これは拉致だ! 誘拐だ! 法律というものを……!」
その声は広間に空虚に響いていた。
喚き散らすその声は、もはや誰の耳にも届いていない。
かつて、教室で「和気あいあいとしたクラス」を自慢げに語っていた男の、断末魔の悲鳴に似ていた。
だが、その叫びを遮ったのは、兵士でも宰相でもなかった。
「おい、クソジジイ。黙ってろよ」
冷ややかな声。
目を移すと、そこにはランクAの称号を得た田中が、傲慢かつ不遜な態度で立っていた。
彼は、かつての「教師」を、まるで道端の石ころでも見るような目で蔑んでいる。
「ランクFなんだろ? 価値ゼロ。……ゴミが騒ぐなよ。耳障りだわ」
(……ああ、やっぱり田中だ。最悪だ)
俺は玉座の上で、胃のあたりがキリキリと痛むのを感じていた。
立場が人を変える。
ただ数値だけが正義。ランク一つで、人間はここまで簡単に変わる。
まさに、俺が最も忌み嫌っていた、あの教室の究極形。
(田中が優遇されるなんて、悪い予感しかしない……。逃げたい)
そう思ったときだった。
ふと、視界の隅に、まだ地面に転がったままの「誰か」が見えた。
鑑定の列から外れ、魔法陣の端の方で、ピクリとも動かずに横たわっている人影。
兵士たちも、宰相も、もはや彼には目もくれていない。
ランクの低い者は、この世界では背景と同義なのだろう。
俺は不思議な感覚に捉われていた。
なぜ、あそこに誰かが倒れていることに、今さら気づいたのか。
なぜ、あの姿を見て、胸が凍りつくような激しい違和感を覚えるのか。
俺は、ゆっくりと視線を向けた。
豪華な王衣に包まれた俺の視点から、遥か下方。
石畳の上に、無造作に転がっている。
安っぽい、しわくちゃの学校制服。
ひょろひょろとした、痩せこけた手足。
そして、後頭部から血を流し、意識を失ったままの、見覚えがありすぎる顔。
(……え?)
心拍数が跳ね上がった。
思考が真っ白に塗り潰される。
そこに転がっているのは。
――俺だ。
小谷正平。
投票数ゼロ票のいじられ役。
この世界の「王」という皮を被る前の俺の身体が。
そこに、転がっていた。
俺は玉座の上から、自分自身の死体らしき姿を、ただ呆然と見下ろしていた。




