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第25話 規律の暗殺者

 目の前に広がっていた光景は、建物の半分が焼き尽くされた訓練所の倒壊現場だった。

 鼻を突くのは、焦げた石と、どこか甘ったるい魔力の残滓が混ざり合った独特の臭い。

 天井からは時折《ときおり》、パラパラと灰が雪のように降りそそいでいる。

 そして、生き残った勇者たちは、魂が抜けたような顔で地面に転がり、ひどく脱力した様子で虚空《こくう》を見つめていた。


『おお、蒼穹の鷹~♪、アズール・ホーク~♪』


 そこへ、鼻歌交じりの足音が響いた。


 宰相バルトだ。

 彼は焦げた壁を指先で触れ、黒い煤《すす》を確認した。

 そして深い感動に震えるような息を吐いた。


「……見事。実に見事であらせられます、陛下」


 彼は焦げついた壁を愛おしそうに撫でると、狂信的な光を宿した瞳で俺を見た。


「勇者たちの潜在能力を強制的に引き出し、限界を突破させる。その過程で訓練所の一つや二つ、あるいは城の半分が吹き飛んでもどうってことはない! むしろ、国庫を燃やし尽くしてまで力を追求させるその苛烈《かれつ》さこそが、陛下の至高なる威光の顕現《けんげん》! 恐れ入りました」


(どうってことはないって、予算、大丈夫なのかな)


 内心で淡々と呟くが、口から出るのは静かな沈黙だけ。

 それがまた「深遠なる確信」として処理されるのだろうか。


 バルトは満足げに、ある提案を口にした。


「さて、陛下。本日は王妃イザベラ様が私的に管理していらっしゃる『裏の訓練場』の視察をお願いいたしたく存じます」


 裏の訓練場。

 その言葉の響きだけで、胃の奥が重くなりはじめた。

 バルトはさらに、ある人物の話題を切り出す。


「もう一人の高ランク勇者、西園寺唯殿についてでございます。彼女には、同じ『暗殺者』の権能をお持ちの王妃様に直接指導を仰《あお》いでおりましたが……どうも、スキルを正しく発動できず、困惑されているとの報告を受けております。あのような優秀な個体が不出来であっては、国の損失。ぜひ、陛下の叡智をお貸しいただきたく……」


(そういえば、さっきの騒ぎに西園寺はいなかったな)


 別の場所で訓練していたらしい。

 バルトから促されるまま案内されたのは、城の最深部へと続く、冷たく湿った螺旋階段だった。


 降りれば降りるほど、空気は重く、微かな血の匂いが混じっていた。


 やがて辿り着いた地下の別室。重い鉄扉が開かれると、そこには冷んやりとした無機質な空間が広がっていた。


 部屋の中央。

 手足を鎖で繋がれ、口を猿轡《さるぐつわ》で、顔面を布で覆われた囚人が一人、膝をついている。

 その前に立つ少女――西園寺唯は、体に密着した黒い訓練着に身を包んでいた。しなやかな肢体を強調するその装いは、本来であれば洗練された暗殺者のそれだったはずだが、今の彼女の背中は小刻みに震えていた。


「……どうしたの? さあ、殺《や》りなさい」


 背後から、氷のように冷たい声が響く。

 王妃イザベラが、闇に溶け込むように壁に寄りかかっていた。

 彼女は洗練された動作で、手元のナイフを回していた。


「か、かしこまりました」


 西園寺の手にある短剣が、カチカチと音を立てて震えている。

 背筋をピンと伸ばし、完璧な姿勢を保とうとするが、指先まで制御しきれていない。


 この異世界に来てからも、彼女は毅然として変わらず真面目な委員長として努めているように見えた。

 彼女は自らの行動が常に周囲に影響を与えることに慣れている。

 誰からも称賛されるのが当たり前の行動様式。

 与えられた役目を完璧にやり遂げる力。


 だが、彼女に与えられたのは人を殺めるための力だった。


 短剣の先が囚人の喉元に近づくたび、彼女は青ざめた顔で口元を抑えた。

 激しい吐き気に襲われているようだった。


「……躊躇《ためら》いは、命取りよ」


 王妃イザベラは音もなく西園寺に近づき、その耳元で実務的に、そして残酷に囁いた。


「暗殺とは、効率的に命を絶つこと。感情を捨てなさい。急所を一突き。それだけで終わるわ」


「……はい。承知いたしました」


 西園寺の声は震えていたが、返答の口調は淀みなく完璧だった。

 それでも、剣を突き立てることはできない。

 そこへ、バルトが追い打ちをかけるように冷徹なプレッシャーをかけた。


「西園寺殿……。貴女が他の者たちに慕われるエリートであることは存じております。ならばこそ、躊躇《ちゅうちょ》なく標的を屠《ほふ》るのが当然のこと。君のランクは我が国の重要な戦力だ。もし、その期待に応えられないのであれば……君の価値は、あのランクFの廃棄物と同等ということになり……」


「……っ! やります……。やりますけれど……っ!」


 唯の瞳から、絶望の色がこぼれ落ちた。


「この異世界で生きるためには、必須のルール……。でも、……! 私には……!」


(……それは無理)


 俺は、その震える背中を見て、強く共感した。

 理由などいらない。当たり前だ。

 いきなり人殺せなんて正気の沙汰じゃない。警察に捕まるし、人生終わるし。


「この罪人は孤児たちを大量に殺した凶悪犯ですよ。安心して殺しましょう。さあ、スキルを!」


 バルトが促《うなが》す。バルトが煽《あお》る。


 孤児たちを大量に殺した凶悪犯?

 相手が悪党なら……、いや、だめだ。

 たとえ、捕まらないとしても、何より生理的に無理だ。


「敵を殺せなければ、あなたの仲間が死にますよ」


 さらに追い打ちをかけるバルト。

 西園寺の顔がくしゃくしゃに歪む。


「はい……、認識しております。田中君と小谷君も、もう亡くなっていますから……。こんな事態が続くのは止めなければ! でも……っ!」


(え? ……いや、俺、まだ生きてるんだけど……)


 そんな反論を言えるわけでもなく、黙って見ていた。


 しかし、西園寺が今にも泣き出しそうに肩を震わせたその瞬間。

 俺の心の中で、激しい拒絶が突き上げた。


 よし、言おう。


「殺すなんてダメ、絶対!」


 その瞬間。

 喉の奥で冷徹な歯車が噛み合う感覚が走った。

 声が重く低くなるのを感じる。


【スキル「王命」が発動しました】


 ――『血の一滴すら、この地に零《こぼ》すことは許さぬ。生かしたまま苦悶を。其処《ここ》に、至高の残虐を体現せよ』――


(……ん!? 至高の残虐?)


 ――『西園寺唯よ。汝《なんじ》に課すは「不殺」という至高の禁忌《きんき》。殺さずして制す、その絶望的なまでの困難に挑むことこそが、汝《なんじ》に与えられた唯一の栄誉なり!』――


 ギーーーーン


 地下訓練場全体を、物理的な衝撃波を伴う重低音が薙ぎ払った。

 空気は一瞬にして凍りつき、そこにいた全員が、抗《あらが》えない圧力に膝をつく。


 どうして「不殺」という至高の禁忌とか「絶望的な困難」とか。

 とも思うが……、まあ「殺さないで」は通じたか。

 なんとか王命を制御できているかも。


 自分で言っておいてなんだが、重大な疑問も浮かぶ。


 暗殺者のスキル持ってる人が殺害禁止って、もしかして、それこそ無理筋なのではなかろうか?


 何もできないに等しいのでは。


 だが、バルトの反応はちがった。

 彼はいったん愕然《がくぜん》とした後、突然目を見開き狂喜的に震え始めた。


「……な、なんと!! 陛下は、あえて彼女から『殺害』という安易な手段を奪い、絶望的な制約の中で正解を導き出させるという、究極の精神鍛錬を課されましたか!!」


 彼は額を石畳にバンバン激しく打ち付け、感極まった声を上げる。


「殺すことなど暗殺者なら誰でもできる。だが、殺さず、それでいて相手を完全に封じる……! この不可能なミッションを完遂させた時、彼女は真の暗殺者へと昇華《しょうか》する! 神をも超える慧眼! 陛下の深慮、恐れ入りました!!」


 王命の余韻《よいん》が消え、西園寺がゆっくりと顔を上げた。


「殺さなくていい? ――というよりむしろ、殺してはいけない!?」


 その瞬間、彼女の肩の力がふっと抜け、瞳に鋭い光が宿った。


 それは技術的に極めて困難だが、同時に、彼女の「優秀さ」を証明するための何かしらの挑戦へと変わったようだった。


「……殺害の禁止。殺傷が校則違反なら」


 西園寺の表情から迷いが消えた。


「……それなら! 順守するだけです!」


 彼女は再び、標的に向かい直った。

 深く息を吸い込み、前傾姿勢をとった。

 そして、まったく音をたてずに歩を進めはじめた。


【スキル「規律の暗殺者」がランクアップしました:ランクB→A】


 ――シュン。


 視認できない速度で、彼女は死刑囚の懐に入り込んだ。


 無理に急所を狙っていた意識が、精密なコントロールへと切り替わる。


 短剣は急所をわずか数ミリ外れ、正確に頸動脈の横にある神経節を打撃。同時に、もう一方の手で相手の関節を完璧にロックする。


 一瞬だった。

 標的は悲鳴一つ上げず、そのまま意識を深く失って、床に崩れ落ちた。


 完璧なノンキル制圧。


「素晴らしい!!」


 バルトが歓声を上げる。


 俺は安堵した。校則というのは、俺はちょっと違う気もするが、安堵した。


 西園寺唯は肩で息をしながら、涙ながらに嬉しそうな笑みを浮かべている様子だった。


 その様子を、王妃イザベラが満足げに見つめていた。


「……ふふ。あんなに困難だったスキル発動を即座に取得《しゅとく》。理不尽な禁忌《タブー》を与える。まさか。それが正解だったなんて」


 彼女はゆっくりと俺に近づき、冷たい指先で、俺の頬をそっと撫でた。


「期待してしまうわ。唯《ゆい》に『不殺』の禁忌《タブー》を与えたように……。私だったら、どんな禁忌をいただけるのかしら?」


 彼女の瞳に宿る妖艶な光に、俺はただ冷や汗を流すことしかできなかった。

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