第23話 炎上の魔術師
訓練所へとつづく回廊を歩く。
足元に敷かれた深紅の絨毯が、俺の歩幅に合わせて贅沢に波打っていた。
隣では、王女フランシーヌが小鳥のように弾んだ足取りで寄り添っている。
目の前に訓練所の大きな鉄扉がそびえ立っていた。
その向こうでは、クラスメイトたちが待っている。
(……教室に入る時の、あの嫌な感じがする)
俺にとってクラスメイトと担任がいる部屋と言えば、つねに不快感を伴う。
ギィィィィ……。
重い音が鳴り、視界が開ける。
そこには整列して緊張に身を固くしたクラスメイトたちがいた。
俺が踏み出すたびに、裾の長い重厚な黒ベルベットのローブが、石畳を掃き擦れる音が響く。
彼らは一斉に腰を折った。
まだ多くが制服を着たまま、視線をこちらへ向けてぺこりとお辞儀をするものも多い。どこか隙あらば俺の顔色を窺おうとして、視線を上に向ける角度の礼も目につく。
(……この空気。この落ち着かない空間)
俺はゆっくりと列の間を歩き始めた。
肩に掛かった金糸の刺繍の重みが、今の俺には、逃げ出せない鎖のように感じられる。
ゆっくりとした歩みはただ緊張して足がすくんでいただけだが、周囲の生徒たちは、俺が近づくたびにビクッと肩を揺らし、呼吸を止めている。
ふと、視界に二人の男が入った。
石川と鈴木だ。
昨日のパレードで、俺を担いでボロボロになっていた連中。
彼らは今も、小刻みに膝を震わせ、呼吸を荒くして俯いている。
(ああ、あいつら。少しは回復したのかな……。まあ、今も足がガクガクだけど)
俺は彼らの前で、一瞬足を止めた。
ただ少しだけ気になっただけだ。
その瞬間。
隣にいた生徒が「……っ」と短く息を呑んだ。
「……おい、今、陛下が石川を見たぞ」
「しっ、静かにしろ。……もしかして、昨日の御神輿の件で……?」
ひそひそ声の連鎖が、波のように広がっていく。
俺は困惑して視線をずらした。
すると、そこには濡れ雑巾のようにしわがれて佇む山田先生がいた。
俺と目が合った瞬間、先生の肩がビクンと跳ねた。
だが彼はすぐに不自然なほどに胸を張り、誇らしげな笑みを浮かべて見せた。
「……陛下」
山田先生が、かすれた声で囁く。
「光栄、……でございました」
その言葉に呼応するように、石川がゆっくりと顔を上げた。
膝はまだガクガクと震えている。だが、周りを見るその瞳には、周囲の生徒たちを冷ややかに見下ろす、奇妙なマウントが宿っていた。
「……なあ。お前ら、陛下の『揺らぎ』を感じたことがあるか?」
不意に放たれたその言葉に、周囲の生徒たちが凍りつく。
そして、石川のあまりに堂々とした、ある種の「悟り」を開いたような態度に、誰もが気圧されていた。
「ランクじゃない。本物の至高がそこにある」
鈴木も誇らしげに鼻を鳴らした。
(……揺らぎ? 至高?)
俺にはよくわからない。
その様子を見ていた佐々木凛が、不快そうに眉をひそめて誰かに囁くのが聞こえた。
「ずるい……。山田先生まで、王様と『何か』を共有してるみたいね……」
(いや、ただ目が合っただけなんだけどね)
「勇者諸君、整列して」
教官の鋭い声が飛ぶ。彼は緊張のあまり、声をかなり上ずらせていた。
教官は王女の促しに押され、スキルの基本原理について説明し始めた。
「えー、スキルとは魂の震え、すなわちイメージの出力です。強い感情や、明確な目的意識を乗せることで、その威力は飛躍的に跳ね上がります」
その内容は意外と聞き入らせるものだった。
(イメージの出力。感情が威力になる)
俺は、自分の喉元に手を当てた。
感情が威力になるなら、俺がパニックになればなるほど、「王命」の破壊力が増すということなのだろうか。
(……落ち着かないとな。あと、田中の自爆も、あの極限の精神状態だったからこそ出た威力にも思える。まともな精神じゃ使いこなせない仕様ってことかな)
長々とそんなことを考えていると、隣から甘い香りが漂ってきた。
「父上の深淵なる沈黙〜! 今日も素敵ですわ!」
フランシーヌが、不意に、俺の腕にぎゅっと抱きついた。
柔らかい感触と頬を寄せてくる甘えん坊な仕草。
俺は身体がますます硬直し、沈黙を続けざるを得ない。
「私、父上のために最高の訓練メニューを考えたんですっ!」
ふふふ、と幸せそうに笑う彼女。
だが、彼女が俺の腕を離し、クラスメイトたちに向き直った瞬間。
――空気が、凍った。
表情から温度が消え、瞳から光が失われる。
そこにあるのは、慈悲など微塵もない、厳かな「第一王女」の顔だった。
「……静粛に」
その一言で、広間の空気が厳粛に圧し潰された。
「皆様方は召喚勇者です。我が国の存亡を担う『戦略資源』。価値を示せぬ者は、この国に居場所はないと心得なさい」
(……切り替え、早すぎ……)
俺は隣で呆然と立ち尽くしていた。
フランシーヌは、青ざめて俯く生徒たちを冷ややかな瞳で見渡し、淡々と、しかし有無を言わぬ響きで告げた。
「もちろん、単に恐怖で縛るつもりはございません。我が国の利益となる結果を出した者には、それに相応しい、至高の待遇を用意しております」
そう言い切った彼女の表情から、ふわりと冷たさが消え、代わりに朗らかな口調で、しかし逃げ道のない条件を提示した。
「勇者の皆様方。陛下は真に価値ある才覚を持つ者を高く評価されます。陛下に認められた者には、【王室特等近衛騎士】の称号を与え、最高級の装備の支給、贅沢な個室の提供、王室レベルの料理、最適な侍女の選択権、そして王国における絶対的な特権を約束しましょう」
その瞬間、場の空気が変わった。
それまで床だけを見つめていた多くのクラスメイトが、一斉に顔を上げ、肺に溜めていた空気を吐き出すように、ほっとした表情を見せた。もっと苛酷で深刻な厳しい試練か何かが始まるという怖れがなくなり、安心したようだ。
「好きなメイド選べる?」
だが、その中で数人だけ。
獲物を狙う獣のような鋭い光を、その瞳に宿し始めるのを感じた。
「王室レベルのグルメ?」
ランクBの佐々木をはじめ、数人の中堅層の生徒たちがお互いの顔を見比べる。
誰が先に前へ出るか。隣の生徒と肩がぶつかり、わざと強く押し返してスペースを確保しようとする。
視線は互いの足元も牽制し、呼吸さえも攻撃的な鋭さを帯び始めていた。
そんな中、ランクAの月城陽菜だけは一歩下がって隅の方で静かにこちらを見守っていた。
彼女の瞳には得体の知れない危うい雰囲気が漂っているのを感じた。
「見てください」
意気揚々と前に出たのは、佐々木凛だった。
彼女は集中し、手のひらのの上に小さな、けれど鮮やかな火球を浮かび上がらせ、的へ飛ばした
(お、本当に魔法が出た。すごいな)
俺は素直に驚嘆した。
ただ、それだけと言えばそれだけだった。
だが、佐々木凛は俺の反応を待っているようだ。
「どうですか?」
彼女は期待に満ちた表情で、ちらちらと俺の顔をうかがっている。
(……え、どうしたの)
俺は単に「本当に魔法が出た」と思っていただけなので、表情には何も出なかった。
指先に嵌められた大粒のルビーが、訓練所の光を反射して不気味に赤く光る。
それを見た佐々木が、俺の無反応に耐えられないといった様子で、身を乗り出した。
「……まだ、足りない、……ですよね? もっと凄いのですか……、もちろん! 私なら、誰にも真似できない出力を出せますです!」
佐々木は、さらに出力を上げ始めた。
「よおし! これくらいなら! ど、どうですか!?」
ボオォォォォ!!
小さな火球だったものが、一瞬にして巨大な火柱へと変貌した。
火柱は的を大きく外れ、真っ向から訓練所の壁に激突した。
出力に意識を向けすぎたせいなのか、彼女は完全に制御を失っていた。
ゴゴゴォォォォ!!
凄まじい爆発音と共に、壁が激しく燃え上がり、火災が瞬く間に広がっていく。
黒い煙が舞い上がり、一部の生徒が出口へと走り出しはじめる。
(え、やばいのでは? 火事だよね?)
俺は、目の前の惨状に、スマホも消火器もない中で慌てふためくばかりだ。
だが、周囲の反応は、俺の予想を遥かに超えていた。
「まあ! この凄まじい熱量!」
フランシーヌが、頬を紅潮させて歓喜していた。
「陛下のお姿を見ただけで、ここまで能力を増大させるなんて! まさに! 奇跡の! 成長ですわ!」
「さすがは陛下のお側におられる勇者! この火力こそが王国の盾となる!!」
教官までもが、燃え上がる壁を背景に、熱っぽく称賛し始めた。
そして、なぜかそこにいた軍師ジュリアンが、眼鏡をキラーンと光らせて分析を口にする。
「ふむ……。Bランクをここまで短期間に引き上げるとは。これこそが陛下の真の恐ろしさだ。このペースで勇者たちが成長すれば、バルザス帝国の第二波など、単なる『火遊び』で片付く。完璧な抑止力だ」
(…………?)
彼らは、火事が起きていることなど、どうでもいいらしい。
帝国への抑止力という「正解」が見つかったことで、目の前の大火災が「輝かしい成果」に見えているらしい。
(称賛してる場合じゃないよね? 城が燃えるよね? 誰か!!)
周囲の正気のなさに絶望し、俺は反射的に口を開いた。
消してほしい。今すぐに、この火を消してくれ。
「け、消して!」
【スキル「王命」が発動しました】
――『消せ。消すがよい。この矮小なる城も、不浄なる大地も、あらゆる事物を紅蓮の炎で焼き尽くし、我が威光に相応しき篝火へと変えよ!!』――
ブオォォォォーーン!!
広間を、物理的な衝撃波を伴う雷鳴が薙ぎ払った。
あまりの圧力に、逃げ出していた生徒たちが、そのまま地面に叩きつけられる。
「……っ! もっと、ということね!!」
佐々木凛が、闘志に満ちた顔で震えながら叫んだ。
彼女は、俺の言葉を「さらなる出力を求める御命令」だと完全に誤解している。
「わかりました!! いくよ!! 特等騎士じゃなきゃ人権ない!!」
佐々木の髪の毛が赤く変色して光り輝く。
【スキル「炎上の魔術師」が発動しました】
――『我が王の御名において、価値なき塵芥を焼き払え』――
佐々木が放った最大級の火球が、訓練所の中央を直撃した。
衝撃で地面が陥没し、巨大な穴が開く。
【スキル「炎上の魔術師」がランクアップしました:ランクB→A】
火の手はさらに勢いを増し、ついに城の本館へと伸びようとしていた。
爆風で黒いローブが激しく翻り、俺の視界を真っ暗に染めた。
「ランクアップしてない!? ランクBを瞬時に戦略兵器級へ変貌させた陛下の奇跡、恐れ入りました」
フランシーヌ王女が、うっとりと溜息をつく。
俺は燃え上がる訓練所と、それに歓喜し俺を崇拝する周囲を交互に見ることしかできなかった。
火の粉が舞う地獄のような光景の中で、金色の装飾に彩られた俺だけが、彫像のように静かに固まって立ちつくす。
廃墟になりつつある王城。
もう、何もかも、完全に終わってる状況にしか見えない。
*
追い打ちをかけるように、脳裏では元王の言葉が響いていた。
スイーツが届いたらしい。
『次はマカロンを運ばせろ。特に、ドラゴンナッツ味だ』
王命発動のたびに通信が接続するという、元王の言葉を聞かされるのかと思うと、俺はますます暗澹たる気持になるのであった。




