第22話 究極のブラフ
次の日の朝。
俺は贅沢に囲まれていた。
白亜のテラス。視界いっぱいに広がるエメラルドグリーンの庭園。
目の前のテーブルには、金箔が舞い、黒いトリュフのような茸が鎮座し、見たこともない色鮮やかな最高級の果物が山盛りになっている。
(……知らない味だ)
口に運ぶたびに、脳が震えるような快楽が押し寄せる。
だが、同時に胃のあたりに冷たい塊が居座っていた。
(たしかに美味い。……しかしイヤな気分だ)
この贅沢な食事は、俺という「偽物」が、王という皮を被っているからこそ得られるもの。クラスメイト達の食事はひどいものだ。
そしてもし俺の正体がバレれば、この黄金の皿は処刑台の上の最後の一食に変わるかもしれない。
いまのままでは破綻する。
どうにかして逃げ場を作らなければならない。
元の世界の布団に戻れないのなら、せめて心配せずにベッドで眠れる状態にならなければならない。
ふと、昨日のことを思い出した。
祝賀パレードで、俺は文字通り「回っていた」。
「揺り籠になれ」という王命のせいで、クラスメイトたち混じりの担い手たちに激しく揺さぶられ、万華鏡のような視界の中で白目を剥いていたあの地獄。
思い出すだけで、せっかくの最高級スープが逆流しそうになる。
そして、あの回転の渦の中で、俺の意識に直接突き刺さった「傲慢な声」。
『……ふん。ようやく繋がったか。この身体は、期待外れなほどに鈍いな』
檻の中に幽閉されているはずの元王だ。
そのスキルの説明も聞いた。
『王命が発動されたあと、しばらくは貴様とこうして話すことができる』
つまり、俺が「王命」を使って何か大惨事を起こしたら、テレパシーのような物が飛んでくる。
とのことだ。
ただただ面倒で、しかも以前のように知識が必要だった時の決断や選択の役に立たない仕様だ。
その短い通信の間、元王が俺に突きつけたのは、国家の存亡などではなかった。
『いいか、偽物。この若造の身体は代謝が良すぎて、すぐに腹が減る。わしの食事を運ばせろ』
食事。元王は拘禁されている身でありながら命令口調だ。
そして、彼は「王命」の達人だった。
以前、俺に「お宝セットと言え」と指示し、その結果、俺は意図はしていないが彼を『至高の蒐集品』として聖域に安置し、最高の待遇で拘禁することに成功していた。
『いいか。バルトやジュリアンの前で、「お宝おやつタイム」と言え。そうすれば、下僕どもは恥ずかしげもなく最高級のデザートを我が檻へ運ぶだろう。……これを忘れるな。さもなくば、次回の接続時にどうなるかわかっておるだろうな』
次にどうなるかは言わなかったが、脅しだった。
それにしても。
(こんな状況でデザートのこととか……)
まさしく彼は、いまの身体に宿る「ダメ人間」スキルを育て上げた張本人だ。
そう呆れていたときだった。
「陛下」
低く、そして極めてシリアスな声が響いた。
振り返ると、そこには宰相バルトが立っていた。
その顔は土気色で、目には深い絶望と、それでも捨てきれない切実な希望が宿っている。
「……最悪のお報せでございます。帝国軍の第2波が動き出しました」
空気感が一変した。
朝食の甘い香りが、一瞬にして戦場の血の匂いに塗り替えられたかのような錯覚に陥る。
「勇者様の壮絶な戦闘により、先遣隊に勝利しましたが、前線の城壁と城門という、我が国の唯一の抑止力が消滅いたしました」
バルトは、絶望に震える手で報告書を差し出した。
「現状、城内への侵入を許すのは時間の問題。さらに、立て直すための予算は完全に底を突いております」
そして、俺の目を真っ直ぐに見つめ、絞り出すように問いかけた。
「金銭的に困難でございます。勇者諸君の戦力強化以外に、帝国を後退させる術はございません。……どうか、陛下の御叡智を」
(……叡智? 知能? まったくないです!)
心の中で絶叫する。
俺はただの高校生だ。戦略なんて知らない。
だが、ここで「わからない」と言えば、偽物だと疑われるかもしれない。
かといって、黙っていれば「冷徹な王」として期待値だけが上がっていく。
そして、もう一つの懸念が俺を襲っっている。
バルトに会ったら言えと指示されている言葉。
(もし、元王にデザートを運ばせなかったら……、何か、ひどい目に合う……、らしい)
「陛下……。我が国を救う次なる『神算』を、どうか、どうかお示しください!」
国家の滅亡か。何か言わなければ。待っているのは精神の崩壊か。
「城壁の再建のためには……」
極限のパニック状態に陥った俺の口から、思考を飛び越えて、最悪のタイミングで「あの言葉」が漏れた。
「……お宝おやつタイム」
バルトが、最も深刻な顔で答えを待っていた、その瞬間に。
【スキル「王命」が発動しました】
「――至高の蒐集品に、我が慈悲なる甘美を捧げよ。今この瞬間、この場の全てを捨て、最上の菓子を聖域へ運べ!!」
ガシャァァァァン!!
物理的な衝撃波がテラスを薙ぎ払った。
雷鳴的な重低音が空気を凝縮し、目の前の豪華なテーブルが激しく振動する。
金箔の舞っていた皿が宙に舞い、最高級の果物が四方八方にぶちまけられた。
あまりの衝撃に、バルトが「ぎゃあ!」という情けない声を上げて後方へ吹き飛び、椅子ごと転げ落ちる。
それだけではない。
周囲に控えていた給仕たちが、一斉に白目を剥き、トランス状態に陥った。
「菓子を!! 至高の菓子を聖域へ!!」
「陛下がお呼びだ!! 砂糖の雨を降らせよ!!」
彼らは、国家の危機など完全に忘れた様子で、テーブルに残ったケーキやフルーツをひったくり、狂ったように聖域へと猛ダッシュし始めた。
静寂が訪れた。
目の前にあるのは、食べ散らかされた料理の残骸と、髪が逆立って呆然と地面に転がっている宰相バルト。
(……あ)
今、俺は世界で一番深刻な政治的局面において、「おやつを運べ」と宣言した。
だが。
「……っ!!」
転げ落ちたバルトが、震える体でゆっくりと上体を起こした。
その瞳には、先ほどまでの絶望ではなく、キラキラ輝く感銘の色が宿っていた。
「……なんと。なんと深いお考えか。帝国軍の侵攻という極限状態にあって、あえて『至高の蒐集品』の待遇を優先される!。これは……そう、『我が国は城壁などという物理的な壁など不要。菓子を貪る余裕があるほどの資源と秘策を隠し持っている』という究極のブラフ! 帝国に『底知れぬ国庫』を錯覚させ、陛下の『美徳と収集』へ注力すればするほど、この国の真の柱となるという神算!!」
バルトは再び額を石畳に擦り付けた。
「承りました! 陛下の深いお考えに、私は震えます!」
(違う。ただの元王の食い意地だけだと思う)
「早速、城壁の予算問題よりも、この『蒐集の聖域』への投資に注力いたします!」
俺は悟った。
喋るな。気楽に喋るな。
喋れば喋るほど、物理的に何かが壊れ、状況は「正解」から遠ざかっていく。
***
バルトがそそくさとテラスから退室したのと入れ違うタイミングだった。
軽やかな足音と共に、テラスの扉が勢いよく開いた。
深紅色のドレスを纏った王女フランシーヌが、快活に微笑んで入室してきたのだった。
「おはようございます、父上!」
フランシーヌの出現は、先ほどの緊張感を一瞬で吹き飛ばす魔法だった。
「今朝から、勇者諸君の訓練を再開いたしました、のですが……」
彼女の眩い笑顔を見た瞬間は心晴れる気持がしたが、「勇者諸君の訓練」と聞いて、俺はふとあの日のこと、訓練場のクラスメイトたちの落ち込んでいる光景を思い出した。
田中の自爆で城門が消え、彼らはしばらく誰もしゃべらず、床に座り込んでいる姿だった。
無事か? 大丈夫か?
彼らが今どんな顔をして生きているのかも気になる。
だが、口は開かない。
俺はフランシーヌをじっと切実な眼差しで見つめた。
(……訓練場に行きたい。確かめたい。)
すると、フランシーヌが、ドキリとしたように頬を染めた。
「……! その眼差し……! まるで『私の愛と熱意溢れる究極の指導で勇者たちがどう成長したか、今すぐ確認したい』と仰っているのね!!」
(……伝わった!?)
「もちろんでございます! さあ、参りましょう!!」
フランシーヌに腕を強引に引かれ、俺は半ば強制的にテラスを後にして訓練場へと連行される。
「さあ、訓練場へ! 勇者諸君は、父上のお姿を見ると、さらに強度を増して鍛錬に励むはずです!」
歩くたびに、心地よい香りが漂い、王女の体温が伝わってくる。
けれど、俺の脳内に、最悪のタイミングで「あの声」が響いた。
【スキル「魂の転送者:魂リンク」が接続しました】
『おい、偽物。王命つかったな。聞こえるか。きちんとおやつタイムと言ったか? どうなんだ、おやつタイムは!!』
(……。)
何も答えず、訓練場の方向を向く。
そこにはクラスメイトたちの疲弊した姿がある。
そして周囲には、俺の沈黙を「至高の知恵」として崇める者たち。
脳内には、おやつ待ちの元王がいる。
無邪気な笑顔で王女が腕を引いていく。
もう、なるようになれ、だ。
クラスメイトたちのいる訓練場へ向けて、俺は足を踏みしめるのだった。




