第21話 玉座御輿
目を覚ましたら、俺の視界は極彩色に塗り潰されていた。
(……ここは、どこだ? 金ぴかの天井……)
黄金の彫刻が施された巨大な天蓋付きの玉座、その背もたれに寄りかかっている。
周囲を見れば、陽を浴びて緑に輝く街路樹と、空を舞うカラフルな紙吹雪。
波のように押し寄せる群衆の歓喜に満ちた顔。
「ああっ! 今、陛下が私を見た!!」
「深遠なる御心に触れた! 私は幸せだ!!」
そして、不規則に揺れていた。
王女から豪華な祝賀パレードで玉座御輿に乗ってくださいと言われたのを思い出した。
御輿がゆっくりと進むたび、道端にひれ伏していた観衆たちが、一斉に顔を上げる。
俺は御輿の最上部に鎮座し、街のど真ん中を練り歩いていた。
(……酔う。視線も、音も、ただ気持ちが悪い……)
俺は、玉座の肘掛けをぎゅっと握りしめ、必死に正面を見据えた。
王らしく振る舞わなければ、偽物だとバレて処刑される。
だが、そもそも「王らしい振る舞い」なんて、人生で一度も考えたことがない。
どう座り、どう視線を送れば正解なのか。
正解が分からない恐怖に背筋が寒くなってくる。
そんな俺の不安などお構いなしに、観衆たちは俺の視線が向くたびに、ひれ伏し、あるいは感極まって叫んでいた。
ふと、視線を下ろした。左右四列になって、御輿をゆっくりと前進させているマッスルな「担ぎ手」たちの姿が見える。
そこには、鋼のような筋肉を持つ屈強な兵士たちに挟まれて、見覚えのある、ひょろひょろで不釣り合いな姿が混じっていた。
「……っ!」
汗だくになり、顔を真っ赤に染めて、必死に踏ん張っている高校生たちがいた。
学校の制服をボロボロに汚した、クラスメイトたち。
ランクFに判定され、「廃棄」の危機に瀕していた底辺組が、俺を担いでいた。
ランクFのクラスメイトたちは、黄金の玉座という「絶対的な重量」に押し潰されそうになりながら、ただ必死に、一歩一歩を耐えていた。
その担ぎ手の中に、いた。
石川。そして、鈴木。
(……あいつら)
瞬間、脳裏に冷たい床タイルの感触がフラッシュバックする。
教室の隅。嘲笑に満ちた視線。
「おい、大谷! 今日もいい具合に情けない顔してるな!」
そう叫びながら、石川の靴底が俺の脇腹にめり込んだ時の、あの鈍い衝撃。
「小谷だよ、って言えよ」
鈴木が後ろから突き飛ばし、俺が床に転がった時に聞こえたクラス全員の爆笑。
俺は反射的に身をすくめた。
かつての習慣だろうか。
彼らと視線が合えば、次はどんな暴言が飛んでくるか、どんな屈辱が待っているかと身構えてしまう。
だが。
ふいに石川と目が合った。
石川は重い玉座を支える腕をガクガクと震わせながら、こちらを仰ぎ見た。
そして眉間に皺を寄せながらも、無理やり微笑もうとしていた。
石川の瞳にあるのは、かつての傲慢さではない。
必死の形相と、同時に飼い主に生殺与奪を握られた虐待犬のような怯えが見える。
そして、いまこの瞬間、自分たちが担いでいる玉座の重さに限界がきており、同時に「しかし、ここで手を離せばまた殺される」というような切実な生存本能がうかがえる。
視線をその後ろに移すと、いた。
よろよろと膝を震わせる山田先生のしわくちゃなスーツ姿まであった。
筋骨隆々の戦士たちに挟まれ、必死に御輿の支柱を肩に担いでいる。
「陛下……っ」
山田先生が喘ぐように声を絞り出した。
「感謝……いたします……。死刑になるところを……救ってくださり……。ほら、お前たち!」
「は、はい!!」
石川と鈴木が、喉を震わせて叫んだ。
「あ、ありがとうございます!! 陛下!!」
彼らの声は息も絶え絶えで、感じられるのは、死の恐怖から逃れられたことへの感謝というより、そうしなければ即座に消されるといった更なる恐怖、目の前の地獄のような重労働に対する、悲鳴に近い必死さだけだ。
「へ! 陛下ああ! マジで頑張ってますから!」
限界まで張り詰めた顔面筋肉を無理やり吊り上げたような笑み。
「そうっす! 俺も! 俺も陛下のために全力っす!!」
歯を剥き出しにし、頬をプルプルと震わせながら、必死になっている。
(……見てるだけで疲れてきた)
汗で張り付いたシャツ。限界を超えて震える足。
クラスメイトたちが今、どれほどの苦痛に耐えながら俺を担いでいるか。
その姿を見ているだけで、俺の中の「お人好し」な部分が、じわりと疼きはじめた。
(もういいよ。こんなの、無理にやらなくていい。俺から離れて、勝手に休んでほしい……)
俺は心からそう願う。
クラスメイトたちをこの重労働から解放し、静かに休息を与えたい。
その善意を、形にしようと思った。
……王命を使って。
(休んでほしい、……は危険か。「休息を与えろ」が「殺害せよ」になりかねない)
俺は、震える唇をわずかに開き、最大限の慎重さとともに、消え入りそうな声で呟いた。
「もう休みたい……。Uターンして、ベッドに戻して……ください」
(どうだ?)
その瞬間。
【スキル「王命」が発動しました】
――『我が休息の刻なり。この世界を我が揺り籠と定め、万物を律動させよ。大地を回し、至福の揺らぎをもって我が微睡みを導け!!』――
(……は?)
ゴゴゴゴゴゴゴ!!
広場全体を、物理的な衝撃波を伴う雷鳴が薙ぎ払った。
空気が凝縮され、周囲の建物がガタガタと悲鳴を上げる。
その圧倒的な声圧は、観衆たちの足を一斉に踏ん張らせた。
カン、カン、カン、カン!
城下町中の鐘が鳴り響く。
(……え?)
御輿を運ぶ戦士たちが絶叫する。
「おおおおおお! もっと激しく! 陛下を天上の心地よさへ導くぞ!」
担ぎ手のランクFたちが、同時に、目を見開いた。
彼らの表情から、先ほどまでの「苦痛」と「悲壮感」が、一瞬にして消え去った。
代わりに、そこには「神に選ばれて」雷に打たれたような狂信的な歓喜が宿っていた。
「聞いたか!? 陛下が、俺たちに、揺り籠になれって言ったぞ! マジで選ばれた!!」
「この揺れが陛下の正解なんだな! おらあ、もっと激しく揺らせ! 陛下を最高に気持ちよく運ぶぞ!!」
「おおおおお!!」
クラスメイトたちが、そして戦士たちも号泣しながら、猛烈に動き出した。
そして、彼らは――猛烈に、激しく、玉座を揺らし始めた。
ガシャァァァァン!! ズシン!! ギュン!!
左右上下、あらゆる方向から、暴力的なまでの加速がついた揺さぶりが襲いかかった。
豪華な玉座が、まるで激しい嵐に揉まれる小舟のように、激しく、ダイナミックに回転し始めた。
(違う! そうじゃない! 揺らさないで!)
視界がぐるぐると回り、空と地面が入れ替わる。通りの極彩色が空になり、空が極彩色になる。
豪華な街並みが万華鏡のように混ざり合い、強烈な吐き気が胃の底からせり上がってきた。
「黄金の光を撒き散らしながら舞う、神々《こうごう》しき王の降臨!!」
「世界を揺らす! まさに神の如き振る舞い!!」
「これぞ王の風格! まさに大地を統べる威光!!」
周囲の観衆が、それに合わせて大拍手を送る。
山田先生も鼻血を垂らし、こめかみに青筋を立て、目を血走らせながら叫んでいる。
「揺らせ!! 揺らせ!! 揺らせ!!」
観衆たちの、狂喜に満ちた大拍手が、聞こえる。
鼓膜を突き破らんばかりの歓声と鐘の音。地響きのような祝祭の音楽。
(誰か止めてくれーーー、回る、回る!)
祝祭は最高潮に達していた。
俺は、「Uターン」と言っただけなのに。
***
激しく揺れる黄金の檻の中で、俺は白目を剥きながら、意識が遠のいていくのを感じていた。
視界が万華鏡のように回転し、胃の中身が口までせり上がってきたその時。
どろどろに溶けた意識の底に、氷のように冷たく、傲慢な「声」が直接突き刺さった。
『……ふん。ようやく繋がったか。この身体は、期待外れなほどに鈍いな』
「……っ!?」
意識が弾けた。
誰の声かなど、考えるまでもなかった。
幽閉されているはずの「俺の身体」、もとい、元々の王、元王だ。
【スキル「魂の転送者:魂リンク」が発動しました】
『ようやくこの身体の「ゴミのようなスキル」を使いこなす術を理解してきた。だが、今の貴様の状況は……くくっ、傑作だな。王座に座って酔っているとは、歴史上類を見ない愚鈍な王だ』
鼓膜ではなく、魂に直接響く傲慢な声。
(……なんで、聞こえる!?)
声の主は、愉悦に満ちた溜息をついた。
しかも、声の端々に、これまでになかった「確信」のような力が宿っている。
元王が、俺の身体のスキル「魂の転送者」を使い始めた。
『くくく。最高に滑稽だ。絶望した顔が目に浮かぶぞ。いいか、偽物。ここからが本当の地獄だ。わしを飽きさせるなよ……そして、最高のタイミングで、すべてを取り戻してやろう』
取り戻す。
この身体を取り戻す?
想像しただけで、首筋に冷たい刃を当てられたような戦慄が走る。
『それと、いいか、偽物。死ぬなよ。貴様が死ねば、わしの器も消える。……この泥沼のような状況から、どうやってのし上がるか。最高の娯楽になりそうではないか』
猛烈な回転。
耳元で響く元王の脅迫。
そして、外から聞こえてくる「陛下万歳!!」という狂信的な大歓声。
(誰か……誰か俺を、普通の、静かな、ただの布団の中に!!)
周囲の狂乱に煽られながら、視界はさらに回転を加速させていくのであった。




