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第20話 至高の地獄

 王城の最上階。


 突き抜ける青空のもと白亜はくあのバルコニーに立つ俺の頬を、乾いた初夏の風が撫でていった。

 頭上では白い雲がゆったりと流れ、遠くの草原には羊の群れがのんびりと草をんでいる。


 ここ数日ずっと閉鎖的な石造りの部屋の中にいたため、視界に飛び込んできた圧倒的な色彩と、肺を満たす新鮮な空気が心地よい。


 深い緑に染まった城下町の木々と、ゆるやかな丘をいろど黄金こがね色の小麦畑が広がっている。


 ただ、その調和を無慈悲に切り裂き、地面にぽっかりと口を開けている巨大な茶色の穴がある。


 かつて城門があった場所だ。


 直径数十メートルのクレーター。

 すべてを焼き尽くした、あの自爆の跡だ。


(……どうしてこうなった?)


 記憶の断片が、濁流のように押し寄せてくる。

 自爆の勇者田中が自らの命を燃料に放った業火ごうかは、帝国の誇るランクA勇者『禿頭の破城師』ガルドを飲み込み、城門ごと吹き飛ばした。

 ガルドの四肢は吹き飛び、巨大な口を開け、目を細め、あくびをしたままの生首が石畳の上を転がっていた。


 あの爆煙が晴れた瞬間。


「やった!!」

「うおおおおおお!!」


 辺り一面を埋め尽くした、耳をつんざくほどの歓喜の声。


「勝った! 勇者が、帝国軍を、ランクAの化け物を打ち破ったぞ!!」


 血まみれの鎧を着た兵士たちが、剣を高く掲げ、地響きのような歓声を上げた。


「勇者万歳! 陛下万歳!!」


 狂乱する兵士たちの中で、


「すべては陛下が最初から計算されていらっしゃたのですね」


 と、軍師は何やら分析をしている。


「ランクAを倒せるのはランクAのみ。……まさか、それが、あのガルドにまでも通用するとは。『灰燼に帰せ』という王命で自爆の勇者田中を向かわせ、あのように敵を慢心させるという知略は、私めには微塵みじんも思い浮かびませんでした。さすが、陛下のご慧眼けいがんに打ち震えております」


 冷静な軍師と違って、宰相バルトが泥のように地面に伏し、ボロボロと涙を流していた。


「なんたる神罰! なんと深遠なる御計略か! 敵の戦略兵器を道連れにするその果敢なる精神、我が国への究極の忠義! 絶対的なる御威光! 己の身を灰燼に帰してまで陛下の御心に応じた勇者の不滅なる忠誠と、それを御命じになった陛下の深慮に、私は涙が止まりません!」


 田中の忠誠心への感動の涙。「ランクAを打倒した」という最強の実績と、それを演出した「王」への心酔。

 それらが高じすぎたのか、あろうことか彼は、血と肉にまみれて消えた田中の「破片」を丁寧に集めさせ、それを『国家至宝・自爆勇者の聖遺物せいいぶつ』として安置するという、正気の沙汰とは思えない計画を立てたのだった。


 戦後の処理は、驚くほど迅速だった。

 捕虜となった帝国兵たちは「ダメ人間」の余韻よいんひたったまま、地下牢へ収容されていった。もう回復しているころだろうが。


 同時に、隣接する諸国へは「エルグ王国は帝国のランクAの勇者を打倒し、他にも最強の勇者集団を所有している」という強気な通告が送られた。


 豆粒のようなこの国は、一夜にして、誰もが恐れる「戦略兵器の保有国」、「謎の強国」へと塗り替えられていた。


 バルコニーから視線を落とし、中庭の訓練場へと目を向ける。

 そこには、泥にまみれ、必死に剣を振るうクラスメイトたちがいた。

 田中の死。

 それは、クラスメイトたちにとって、この場所がゲームではないことの物理的な証明だった。

 かつての、あのふざけ合っていた空気はもうない。


「もっと腰を落としなさい! 陛下という至高の存在を支えるため、あなた方は最強の盾とならねばなりません!」


 凛とした声を張り上げ、彼らを導く王女フランシーヌの姿がある。

 同じクラスの人間が文字通り「消滅」したという残酷な洗礼は、彼らの状況への向き合い方を明らかに変えていた。


「もう、誰も死なせない」


 毅然きぜんとした声で宣言した西園寺唯の瞳には、クラス委員長としての責任感を超えた、鋭い覚悟が宿っていた。


 その背後では、月城陽菜が、闇色の魔力を渦巻うずまかせながら何度も何度も魔法を放っていた。


「聖域に、届くまで……」


 独り言のように言うと、彼女の放つ黒い光が的を粉砕する。

 誰とも視線を合わせず、ただひたすらに聖域へと続く道を凝視し、闇を纏った訓練に没頭していた。


 彼らの背中は、もう「いじられ役」の俺が知っている、あの脆弱ぜいじゃくな高校生たちのそれではない。


「……ふふ。期待以上の結果ね」


 背後から、冷たい指先が俺の首筋をなぞる。けれど甘い香りが漂ってきた。

 振り返ると、深い紫のドレスに身を包んだ王妃イザベラが、銀色の髪を揺らし、いたずらっぽい微笑みを浮かべて俺を見つめていた。

 彼女の青い瞳には、底知れない好奇心が渦巻いている。


「次は、どんな刺激的なものを見せてくれるのかしら? きっと想像もつかないことよね。もっと深く味わいたいわ」


 彼女にとって、俺はもはや「偽物の王」ですらなく、「娯楽」の一種なのだろう。

 もしかして、俺は彼女のてのひらの上なのだろうか。


(……眠すぎる。もう、無理だ)


 ずっと緊張がつづいている。

 本心から誰の視線も浴びたくない。誰の期待にもこたえたくない。

 すべてを脱ぎ捨てて、ただの「価値ゼロ」の人間になりたい。

 誰からも必要とされず気楽に、誰からも相手にされない場所で自由に、いつまでも泥のようにだらけて休みたい。


 ふと思う。

 いま、俺にあるのは絶対的な権力だ。

 ならば、その権力を使って、正当に「休み」を得ることは可能なのではないだろうか。


 王命スキルで命令をして休むのだ。

 やるしかない。


 俺は、人生で最大級の切実さを込めて口を開いた。

 俺自身の心の底からの痛切な願いを、己の強固な意志としてぶちまけてやる。


 ……しかし、派手な王命にならないように。ただ、静かに。自分自身に言い聞かせるように。


「……今日は休みにする。もう、何もしたくない」


(どうだ?)


 その瞬間。


【スキル「王命」が発動しました】


 ――『本日を【至高の記念日】と定める! 全臣民は一切の政務を停止し、我が慈悲に浸り、歓喜の宴にきょうじよ! 狂喜乱舞きょうきらんぶの祝祭に身をゆだねよ! そして、この日を永遠にたたえよ!』――


 ドドドドドォォォン!!


 城壁を揺るがす雷鳴のような轟音が、街中へと突き抜けた。

 圧倒的な重低音が城全体を揺らして轟いた。

 空気が震え、窓ガラスが共鳴し、遠く城下町の隅々にまでその「神託」が届いたのが分かった。


(……あ)


 それから、静寂などというものはどこにもなかった。


「記念日だ!」

「陛下が祝祭を命じられたぞ!!」

「陛下が、我らに休息をたまわった!!」


 王国民たちが、地鳴りのような歓声を上げ始めた。


「王の恩寵おんちょう!!」

「万歳! エルグ王国万歳!!」

「働かなくていい! 酒だ、肉だ!!」


 仕事を放り出した商人たちが踊り出し、兵士たちが武器を捨てて酒瓶を抱える。

 街中の至る所で酒樽が割られ、極彩色の紙吹雪が舞い上がった。

 街中の鐘が鳴り響き、至る所で色とりどりの旗が掲げられた。


「陛下! なんという慈悲深い御心か!! 祝祭という最大の仕事! うけたまわりました! 記念碑の建設を早急さっきゅうに進めさせていただきます!」


 宰相バルトが、どこから現れたのか、息を切らして駆け寄ってきた。彼の腕には、すでに分厚い羊皮紙の束が抱えられている。


「祝祭日の公式行事、臣民への祝辞、そして夜の盛大な晩餐会のスケジュールを組まさせていただきます! 陛下、まずは広場での御挨拶からお願いしたく……!」


 バルトは電光石火でんこうせっかの速さで手帳を取り出し、ペンを走らせ始めた。


「父上ーー!!」


 さらに、訓練所から駆けつけた王女フランシーヌが、猛烈な勢いで俺の胸に飛び込んできた。


「素晴らしいお心掛けです! 私も、勇者の皆様と共に、陛下を讃える舞いを披露させていただきますわ!!」


(違う! 王命おかしい! 休みっていうのは、一人で寝かせてくれっていうことなんだけど!!)


「陛下!! この祝祭という名の『臣民統合イベント』の敢行かんこうのため! 早急に、臣民へ向けた祝辞の草案を作成いたしました。また、祝祭の行事予定、パレードのルート、および帝国への勝利記念式典のスケジュールを組み込んでおります! 陛下のご登壇は、……」


 内心で絶叫するが、口から出るのは、静かな、そして冷徹な「王の沈黙」だけ。

 それがまた、周囲には「深く思慮深い王の余裕」として解釈され、彼らの熱狂に拍車をかけていく。


 隣で、王妃イザベラが、くすくすと愉しそうに笑っていた。

「ふふ、一体、何の記念日なのかしらね」


 遠くで、祝祭を知らせる鐘が鳴り響く。


 俺は、白磁の手すりを握る手に力を込めた。

 絶対的な権力。絶対的な王命。

 それを使えば使うほど、俺の自由は奪われていく。


 空には、祝砲の煙が美しく舞っている。


「さあ、父上! いえ、陛下! 皆様がお待ちです!」


 ニコニコと笑うフランシーヌに腕を掴まれた。


 いま、俺の目の前には、祝祭という名の、最も賑やかで最も逃げ場のない地獄が広がっている。


「エルグ国王万歳!」

「国王陛下万歳!」

「万歳!!」


 激しい疲労が、ついに意識を塗り潰していく。

 遠ざかる歓声と、賑やかな喧騒を子守唄に、俺は抗うことなく、深く、深い眠りへと落ちていく。


 身を包む重厚な黒ベルベットのローブが、俺には心地よい棺桶のように感じられるのだった。

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