第19話 自爆の勇者
「なんと! なんという神算、なんと深遠なる鎮圧でございましょうか!!」
宰相バルトが、石畳に額を叩きつけ、狂喜に震えていた。
周囲の兵士たちも、涙を流して俺を仰ぎ見ている。
視界の先には数千人の帝国兵たちが、まるで夜通しの宴会後のようにだらしなく転がっている光景がある。
ある者は口を開けていびきをかき、ある者は虚空を見つめ、あるいは視線の定まらない姿をさらしていた。
(鎮圧、いや、みんな仕事放棄してるだけな感じだけど……)
口を閉じ、ただ静かに、深くため息をつく。
俺は玉座の上で頬杖を突き、内心だけを激しく謙遜させた。
外見は「すべてを見通した冷徹な王」になっていたのだろう。
「敵軍の戦意を根こそぎ奪い、血を流さずして制圧する。これこそ真の王の御業!」
バルトは感極まる口調で褒め称えた後、顎に手をやり思索する姿を見せた。
「幸い、攻め寄せたのは帝国の先遣隊に過ぎません。このまま捕虜とし、今後の交渉における強力なカードとして利用いたしましょう」
バルトは手際よく兵士たちに拘束を命じ、淡々と処理を進めていく。
「帝国兵たちは捕虜とし、速やかに地下牢へ」
テンポよく片付いていく状況に、俺は少しだけ安堵した。
嵐のような混乱が去り、奇妙な静寂が戻ってきた。
……はずだった。
だが、バルトが再び顔を上げたとき、その瞳には微かな、しかし明確な懸念の色が混じっていた。
「……して、陛下。一点だけ、ご報告がございます。勇者様についてでございますが」
バルトの視線の先。
城門の方から、耳障りな笑い声と、不快な音が響いてきた。
ズシャッ。
ドシュッ。
肉を断つ、湿った不快な音。
「死ね! 死ね! ゴミ共!!」
そして、それに混ざって響く、不快なほどに明るい笑い声。
「ひゃははは! 余裕すぎだろ! おい、こいつの装備いいじゃん、没収没収!」
俺の「地獄耳」が、その声を拾う。
視線を走らせると、血まみれの白銀の鎧を纏い、血の海を歩く銀色の影が見えた。
田中だ。
彼は、ダメ人間スキルのせいで抵抗する術を失い、ただぼーっと座り込んでいる帝国兵たちを、まるで草を刈るように切り刻んでいた。
無抵抗な人間を一方的に切り裂き、その死体をこさえながら、彼は恍惚とした表情で戦場を闊歩している。
(……頭おかしい。止めないと)
田中の歓喜に満ちた声は、さらにエスカレートしていく。
「あれだ! あのデカいのがランクA! ドロップも経験値もデカいぞ、よっしゃあ!!」
見ていられない。
このままでは、捕虜にして交渉に使うというバルトの計画も、俺の精神衛生もめちゃくちゃになる。
俺は必死に、彼を制止しようと口を開いた。
「やめて、捕虜だから。帰ってきて」
【スキル「王命」が発動しました】
――『其処までだ。我が庭に肥料をばら撒け。塵一つ残さず、すべてを灰燼に帰せ』――
(え? 帰って、が、灰燼に帰せ……なのか?)
――ドォォォォォン!!
広間を、そして城門付近を、物理的な衝撃を伴った雷鳴が薙ぎ払った。
地響きが大地を伝わり、遠く地平線に陣を構える帝国軍の軍旗が、目に見えない衝撃波に煽られて一斉に激しく揺れたのが見えた。
あまりの威圧感に、周囲の兵士たちが一斉にひれ伏す。
そして、その声は戦場にいる田中にも届いていた。
田中は一瞬、動きを止めてこちらを見た。
「……げ。王様の命令、マジで怖すぎ」
彼は血まみれの剣を肩に担ぎ、不遜に口角を上げた。
「……あとで、殺そう。警察もいないし」
その瞳に宿る光は、もはやクラスメイトを見るものではなかった。
「お前を殺し、俺は勇者王になる!」
(……うわあ)
心臓が止まりそうになった。
この世界において、ランクAの暴力と威圧感は絶対的だ。
俺は玉座の肘掛けを、指が白くなるまで強く握りしめた。
そんな時だった。
田中の視線の先に、一人の男がいた。
帝国軍の勇者。ランクAの個体。
本来なら、一人で城門を粉砕するはずの『禿頭の破城師』ガルドだ。
だが、今の彼は、俺の「ダメ人間」スキルの影響をモロに受けていた。
彼は石畳の上に丁寧な体育座りでちょこんと座り、ぽかんと口を開け、虚ろな目で空を眺めてぼうっとしていた。
「おい、ランクA! ぼけっと小谷みたいな顔しやがって! 死ねええ!!」
田中が猛然と斬りかかった。
大剣が、空気を切り裂き、敵勇者ガルドの肩へと振り下ろされる。
――ガキィィィン!!
火花が散った。
だが、敵勇者ガルドの身体には、傷ひとつ付いていない。
彼は視線を動かさないまま、ただそこに「在る」だけで、田中の全力の一撃を完璧に弾き返していた。
「……はあ? なんで効かねえんだよ! このクソカスが!!」
田中が逆上し、さらに激しく剣を振るう。
だが、結果は同じだった。
斬っても、叩いても、見えない壁に阻まれているかのように、ガルドは微動だにしない。
そして、ガルドが、ゆっくりとあくびをした。
「……ふわぁ」
その瞬間。
電光石火の速さで、ガルドの大きな手が伸び、田中の顔面をガシッと掴み上げた。
「ぐえっ!?」
田中の顔面が、ガルドの巨大な掌に完全に包み込まれた。
そのまま、田中は軽々と吊り上げられる。
宙に浮いた田中が、必死に足をバタつかせ、腕を振り回して抵抗する。
さっきまでの傲慢さが失われ、その顔は瞬時に土気色に染まり、目玉が飛び出しそうに突き出ていた。
ガルドは、退屈そうに田中の顔を眺めていたが、ふと、田中の頭頂部にある髪の毛に目を留めた。
「ふさふさ……」
まるで道端に咲いた珍しい花を摘むかのような、穏やかな手つきで、田中の頭頂部の髪の毛を、指で数本ずつ、ゆっくりと引きちぎり始めた。
「いいな、ふさふさ」
ブチッ。
「……ぎゃああああ!! 痛い! 痛い痛い痛い!!」
絶叫が響き渡る。
そのとき。
田中の身体が、異様な光を放ち始めた。
ドクン、ドクン。
心臓の鼓動に合わせて、彼の皮膚の下で赤黒いマグマのような脈動が走り、全身が真っ赤に加熱される。
それはまるで、モンスターの爆弾岩が臨界点に達したときのような、不吉で圧倒的なエネルギーの蓄積だった。
(……まさか、鑑定の儀で聞いたあの……、自爆!?)
【スキル「自爆の勇者」が発動しました】
皮膚の下でマグマのような赤黒い光が脈打ち、身体全体が溶岩のように膨れ上がっていく。
「あ……、あぁああああああ!!」
凄まじい熱量。空気が歪み、周囲の石畳が真っ赤に焼けて溶け出した。
「肥料って、俺のことかあああ!? あ?」
田中の頭や身体からぼこぼこと突起物が湧いてくる。
――ドガァァァァァァン!!!!!!
田中が分裂してはじけ飛び、視界が真っ白に染まった。
火柱が天を突き、鼓膜を突き破るような爆鳴と、すべてを飲み込むほどの衝撃波が同心円状に広がっていく。
俺は玉座の上で、猛烈な爆風に煽られ、後ろにひっくり返りそうになった。
耳の奥でキーンという高い音が鳴り響き、肺の中の空気が一瞬で押し出される。
熱風が、皮膚をじりじりと焼く。
城門が、城壁が、そして帝国軍の先遣隊が、一瞬にして巨大な火球に飲み込まれた。
……やがて、静寂が戻ってきた。
俺が恐る恐る目を開けたとき。
そこには、かつての城門も、誇らしげな壁も、何も残っていなかった。
ただ、そこには。
直径数十メートルに及ぶ、巨大なクレーター。
あくびをしていた敵勇者ガルドの手足と頭部、田中の肉片や鎧の破片と思われる銀色の固形物。
そして、真っ黒に焦げた地面が広がっていた。
(……田中が、本当に爆発した)
頭の中でくりかえす。
(……田中が、本当に爆発した)
俺は呆然としながら、消し飛んだ風景を見つめて立ち尽くすのであった。




