第18話 肥料と怠惰
豪華な王座に深く沈み込みながら、愕然と敵軍の押し寄せる光景を見ていた。
広間に残るのは、俺と宰相バルトと軍師ジュリアン。
がらんとしている。部屋の広さを感じられた。
(……終わった)
これまで、たまたま運が良かっただけだ。
勘違いで、偶然に、死の淵をすり抜けてきた。
けれど、目の前にいるのは本物の軍隊。そして、後ろに控えているのは歩くだけで都市を砕くランクA。
もう、偶然で切り抜けられるレベルを超えている。
もう無理だ。王命スキルの誤発動とかもどうでもよくなってきた。
「門を開けて、降伏するしかないよな……」
ただ、そう独り言のように呟いた。
さて王命はどうなる。
【スキル「王命」が発動しました】
――『我が庭の肥料にするため、門を開け。鼠どもを呼び込め。一匹残らず、この土に還してくれよう』――
雷鳴のような重低音が、広間を、そして城壁の外まで突き抜けた。
轟いた声に呼応し、足元の石畳が不気味に波打ち、城の基礎さえもが激しく身震いする。
空気が物理的に押し潰され、やがて広間には濃密な真空状態が訪れた。
「……!!」
その瞬間、青ざめ震えていた兵士たちの顔に、歓喜の光が宿った。
「門を開く……なんと! 敵を誘い込み、一網打尽にするという神算!」
「陛下は、この絶望的な状況すら、庭の手入れ程度の遊戯としておられるのか!」
「肥料に……! 帝国軍を文字通り土に還すという、至高の挑発!!」
兵士たちが、歓喜に震えながら門へと走り出す。
門を開けるとは言ったが、俺の意図とは真逆の方向に、事態が加速していく。
「門を開けろ!! 陛下の庭に、肥料を招き入れよ!!」
ガガガッ、と巨大な鉄門がゆっくりと開いていく。
――ガシャァァァァン!!
外から、城門が内側から開放される轟音が響いた。
そこへ、血走った瞳の帝国兵たちが、怒号を上げて押し寄せてきた。
帝国軍は、王の「傲慢すぎる誘い」に突き動かされ、津波のように城内へと雪崩れ込んできた。
状況は最悪の方向へ加速している。
彼らにとっては、予想外の「無抵抗」な招待状。
最強の軍勢が、勝ち誇った顔で城内へと侵攻してくる。
心臓が激しく脈打つ。
けれど、同時に俺の中で、小さな火が灯ったことにも気づいた。
これまで運に頼ってきた。けれど、このままじゃ死ぬ。死にたくない。
能動的に、自分の力で、この地獄を切り抜けなければならない。
(……ダメ人間スキルだ。あれを使うしかない)
だが、疑問が浮かぶ。
敵も味方も等しく「どうでもいい」となって眠りにつくなら、それで戦争は終わる。
しかし、もし伝染にタイムラグがあったら?
もし味方だけ伝染したら?
味方の兵士たちが「あー、もう無理」と武器を捨てて横たわった瞬間、まだ正気な帝国の投石機や魔導砲が火を噴いたとしたら――。
抵抗する意志すら持たぬまま、味方だけが一方的に肉塊にされる。そんな地獄を、俺が引き起こすことになるんじゃないか?
このスキルの詳細を、一番よく知っているのは誰かと言えば。
俺は、迷わず「彼」を思い浮かべた。
(……元王に聞くしかない)
俺は、意識を集中して、幽閉されている元王を呼び出そうと試みた。
「……あの、彼を呼びたいんだけど」
【スキル「王命」が発動しました】
――『余興の時間だ。あの道化を連れてこい。これから舞い散る血飛沫の中で、ピエロにふさわしい滑稽な芸を披露させよ』――
(……うわぁぁぁん!)
俺は、自分の口から出た重低音ボイスに、心の中で絶叫した。
今、外では数千の敵兵が怒涛のごとく押し寄せている。その最悪のタイミングで、「ピエロの芸を見たい」?
しかし、臣下たちは違った。
感極まった表情で涙を流していた。
「……なんと! この極限状態において、精神的な余裕を失わず、あえて『芸』を求めることで、戦意を最高潮に高めようとされるとは!」
「陛下の深謀遠慮には、涙が出ます!」
「陛下のお心、深すぎて底が見えぬ……!!」
(この国、本当にやばい)
聖域へ向かって近衛兵たちが走り出している。
檻に入った元王を連れて来てはくれるらしい。
大道芸のために……。
城門が開いた瞬間、地響きが広間にも響き渡った。
重装甲の歩兵たちが、怒涛のように中庭を駆け抜ける音。鉄の靴底が石畳を叩く重低音が、床下から足元へ伝わってくる。
窓から覗けば、かつての城下町の屋根が次々と炎に包まれ、黒い煙が空を覆い尽くしていた。
その時、城の下方から、腹に響くような振動と絶叫が同時に突き上げてきた。
城内での異常事態を知らせる鐘が、狂ったように鳴り響く。
「敵先遣隊、城内へ突入! 突破されました! もう近衛兵の防衛が持ちません!!」
報告に来た兵士の鎧は血に染まり、その瞳には、抗いようのない死への恐怖が張り付いていた。
階下の向こうから、鋼の軍靴が石畳を激しく叩く音が近づいてくる。
「帝国の栄光とともに進め! 思考を捨てろ! 目指すは至上の栄誉のみ! 最短ルートで王の首を獲れ!」
帝国兵の怒号と、殺戮の悲鳴。
脅威が、物理的な波となって、この謁見の間まで押し寄せていた。
「……ふん」
ほどなくして、檻に入れられた元王――俺の身体をした男が、不機嫌そうに運ばれてきた。
彼は、目の前の地獄絵図--帝国兵と近衛兵との戦い、俺の命令を交互に見て、呆れたように溜息をついた。
「……貴様、正気か? 門を開けて敵を招き入れるなど」
彼には俺のスキルが効かない。俺は彼にだけ聞こえる小さな声で、現状を報告した。
俺は目を閉じて、檻越しに彼に必死に囁いた。
『敵にダメ人間スキルを使いたい。でも味方に影響が出るのが怖い。どうすればいい?』
発した言葉はスキルによって「ダメセリフ」に変換されるが元王には効かないのでお互い無視だ。
元王は、一瞬だけ意外そうな顔をした。
だが、すぐに口角を上げ、聡明な戦略家の顔に戻った。
「……ふん。対象を選んでなかったのか。スキルの指向性を『帝国への帰属意識』に絞り込め。敵兵に、バルザス帝国に所属することの絶望を、魂レベルで分からせてやればいい」
『……どうやって?』
元王は冷酷な笑みを浮かべ、具体的に指示を出した。
「いいか、バルザス帝国は軍事国家だ。バルザス帝国の疲弊的な側面を口にしろ。兵士たちは強烈な規律と、それ以上の過酷な労働に縛られている。バルザス帝国への信念を突き崩す絶望を与えればよい。そうすれば、敵兵だけに効く」
(……そんな方向性のスキルだったのか)
「だが、敵兵一人ダメにしても大して変わらないぞ。状況を理解しろ。貴様が死んだら、わしの器が消えるんだぞ」
『感染させれば、伝染で広がるのでは?』
「感染? 伝染? なんだそりゃ」
元王は首をひねっているが、使い方はわかった。
俺はゆっくりと目を開けた。王の間の入口へなだれ込んでくる、血走った瞳の帝国兵たちを見据えた。
その姿をイメージして再び目を閉じる。
そして、意識を「ダメ人間」の深みへとダイブさせる。
(……バルザス帝国への絶望? どうすればいい。知らない国なんだけど。なるようになれ、だ……)
「……あーあ。バルザス帝国、最悪……。バルザス帝国で働くの、マジでしんどい」
バルザス帝国という単語を入れて、ぽつりと、消え入りそうな声で呟いた。
【スキル「ダメ人間」が発動しました】
次の瞬間。最前線の兵たちが、まるで見えない壁にぶつかったかのように動きを止めた。
また、目を閉じる。
「バルザス帝国、クソみたいな職場だ。あんなブラックな職場で、一生社畜として働きたくない」
先頭にいた兵士が、ガシャンと剣を地面に落とした。
彼は、虚ろな瞳で空を見上げ、深く、深い溜息をついた。
【ダメ人間が感染しました】
「はあ……。帝国に忠誠を誓うなんて、人生の最大の時間の無駄だったな」
その脱力感は、瞬く間に波のように伝染していく。
兵士が次々と甲冑の擦れ音を消し、剣を下げていくのが同心円状に拡がるのが見える。
「……国なんて俺のものじゃないし。命を賭けて奪う? ただひたすら寝ていたい」
「……そうだよな。死んでも『次を補充しろ』と言われるだけだ」
剣を落とす「ガシャン」という音、腰を落とす「ドサッ」と言う音、石畳に落ちる無数の音が拡がっていく。
【ダメ人間が伝染しました】
脱力の波はそのまま後方へ、さらなる後方へと、淀みなく伝染していった。
「おい!! 何をしている!! 立て! この能無し共が!!」
怒号が響いた。
帝国軍の中隊長と思われる筋骨隆々の男が、腰の剣を抜きながら、座り込み始めた部下たちを激しく叱咤していた。
「帝国の栄光を汚すつもりか! 今すぐ立ち上がり、このまま突き進んで、あの傲慢な王の首を――」
同心円状に広がっていた脱力の波が、ついに中隊長の足元に到達した。
「――首を……」
隊長が、言葉の途中で、ふっと表情を空白にした。
「……てか、俺、なんでこんな遠くまで来たんだっけ。……往復で三週間の行軍だぞ? 足、めちゃくちゃ疲れてるし。ブーツの踵も擦り切れてるし」
隊長は掲げていた指揮刀を放り出し、そのまま石畳の上にどさりと座り込んだ。
「……もうイヤすぎる。こんなクソみたいな仕事、誰がやっても同じだろ」
だが、波はまだ止まらない。
その最果てに、山のような巨体を構えて立っている男がいた。
ランクA『禿頭の破城師』ガルド。
彼だけは、周囲の兵たちが次々と脱力していく光光景を、不思議そうに眺めていた。
だが、逃げ場のない「ダメ人間」の波が、ついにその巨体に到達した。
ガルドのまぶたに、言いようのない重量感が宿る。
「……あー」
地鳴りのような溜息。
次の瞬間。
――ズゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!
城全体を揺らすほどの衝撃音が響いた。
ランクAの巨体が、膝から崩れ落ち、そのまま石畳の上にどしんと横たわったのだ。
【スキル「ダメ人間」が限界突破しました:ランクA→S】
(え? ランクS!? ……絶望的にダメってこと!? )
脳内に響くシステムメッセージ。
同時に、臨界点を超えた無気力の津波が、城内にいた帝国軍すべてを飲み込んだ。
「……あー、しんどい」
「考えるの疲れた。誰か、布団持ってきてくれ」
数千の精鋭兵たちが、一斉に地面に転がった。
ある者は大の字になり、ある者は体育座りで虚空を見つめ、ある者はそのまま深い眠りに落ちていく。
最強を誇ったバルザス帝国軍の先遣隊が、ただのやる気のない社畜の集まりへと変貌していく。
彼らは武器を捨て、石畳の上にどさりと腰を下ろし、虚空を見つめてぼーっとし始めた。
俺は、玉座の上で唖然としながら彼らを見下ろしていた。
(……本当に、これでいいのか?)
目の前には、戦意を完全に喪失し、集団で「お休みモード」に入った数千の帝国兵。
圧倒的な静寂の中、あちこちで時折「いびき」だけが聞こえてくる。
(いや、これでいいのか……。ダメ感染、最強すぎて怖い……)
感染にピンとこなかった元王を思い出す。ダメ感染は元王になかったのではないか。
もしかして、これが、俺の力か?
俺の強力な力、人間のダメさ加減では誰にも負けない、というような力がダメ人間としての絶大な成長を可能にしたとか。
いずれにしても、これで誰も死なない。
俺もまた、心地よい脱力感に包まれながら、ゆっくりと目を閉じるのだった。




