第16話 宣戦布告
広間を支配していたのは、耳を劈くような轟音を感じられる静寂だった。
石畳に叩きつけられた田中と西園寺が、身動きひとつできず、光を失った瞳でこちらを見上げている。
俺は玉座の上で、次第にガタガタと震えてくる膝を必死に抑えていた。
(……やってしまった、のか?)
今、俺が発したのは、ただの「制止」だったはずだ。
けれど、空間を震わせたあの雷鳴のような声は、間違いなく二人を「屈服」させた。
血の海となった絨毯。
転がっている使者たちの肉塊。
そして、恐怖に凍りついたクラスメイトたち。
ショッキングな光景に目を背け、視線を変えれば、宰相バルトが青ざめた顔で立ち尽くしている。
宰相の瞳には、「外交の失敗」という致命的な失策と、制御不能な「兵器」である勇者への恐怖が入り混じっているように見えた。
ただ時間が過ぎていく。
(このままじゃ、何も解決しない)
そう思うと心臓が喉の奥まで跳ね上がっている。
逃げ出したい。
今すぐこの豪華なローブを脱ぎ捨てて、どこか誰も知らない暗闇に潜り込みたい。
だが、目の前の惨状が事実を俺に突きつけていた。
ここで俺が「王」として機能しなければ、この城にいる全員が、バルザス帝国の軍靴に踏み潰される。
(足がガクガクしてきた)
豪華な絨毯に沈み込む、金色の装飾が施された靴の先を眺める。
刺繍された金糸が、俺の震えに合わせて残酷なほど鮮やかに煌めいている
人生で一度も、誰かを導いたことも、責任を背負ったこともない。
投票数ゼロ票の、存在価値ゼロの人間。
そんな俺に、何ができる。
けれど。
(……やらなきゃ、死ぬ。ここにいる全員が)
思考は単純だった。
正解なんてわからない。どうすればいいのかも、正解の出し方も知らない。
けれど、いま、この瞬間に何かをしなければならない。
とにかく何か言おう。
俺は、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
喉が焼けるように熱い。
視界が狭まり、心臓の鼓動が耳元で轟音となって鳴り響く。
いままで受動的で「王命」スキルの発動に流されるままだった。
さきほどわかったことだが、自分で「王命」スキルを使うことは可能だ。そして「王命」は良い結果をもたらしてくれるはずだ。
俺は、覚悟を決めた。
本当は、ただ「みんなで話し合おう」と言いたかった。
「争いはやめて、真面目に平和な解決策を探そう」とか、「戦争反対」とか、震える声で懇願したかった。
俺は口を開いた。
これは遊びではない。覚悟を決める。
その独りごとは声に出ていたらしかった。
「これは遊びではない。覚悟を決める」と。
【スキル「王命」が発動しました】
――『戯れは終わりだ。……バルザス帝国、その傲慢なる喉笛を、我が手で直接切り裂く時が来た』――
ドォォォォン!!
もはや声ではない。それは天から降り注ぐ神罰のような衝撃波だった。
広間の巨大な円柱が、一斉に激しく鳴動し、いくつかの石片が鋭い音を立てて床に落ちてくる。
壁に掛けられた古代の戦記を描く巨大なタペストリーが、激しく身震いした。織り込まれた騎士や馬たちが、衝撃で今にも絵から飛び出してきそうなほどに波打つ。
空気が凝縮され、物理的な圧力となって全員を押し潰した。
(……え? 戯れ? 遊びってこと?)
違う。そう言いたかったんじゃない。
平和に。話し合いで。穏便に。
そう願ったはずなのに。
(帝国の喉笛を切り裂く?)
口から出たのは、最も好戦的で、非常に傲慢な「開戦宣言」だった。
だが、周囲の反応は、俺の絶望とは真逆の方向へ突き抜けた。
「……!!」
宰相バルトが、ガクンと膝をついた。
いや、それは屈服の様子ではない。
彼の瞳に絶望を塗り潰すほどの「輝き」が宿っていた。
「左様でございますな……! 左様でございました!!」
バルトが突然、慟哭するように叫んだ。
彼は額を石畳に何回も強く打ち付け、激しく震えながら声を張り上げる。
「我々は、あまりに陛下のご意向を読み違えておりました! 恐怖に怯え、守りに徹することこそが正解だと思い込んでいた! しかし、陛下は最初から、この状況すらも『戯れ』として楽しんでおられたのだ!!」
バルトが勢いよく立ち上がった。
その顔には、もはや焦燥などない。あるのは、絶対的な主君の「真意」に気づいたことへの、至上の歓喜だった。
「やりましょう! やりましょうぞ!! 陛下の御名の下に、帝国の喉笛を食い千切りましょう! 準備を! すべての戦力を集結させよ!!」
「はっ!!」
兵士たちが、地響きのような咆哮を上げて応えた。
先ほどまでの死気は消え失せ、広間は一気に、血気盛んな戦場へと変貌していく。
「エルグ王国万歳!」
「エルグ王国万歳!」
(待て! 違う! 誰か止めてくれ!!)
俺の内心の絶叫は、誰にも届かない。
ただの「静かな威厳」として処理され、周囲の熱狂をさらに加速させていく。
そんな狂乱の中で、宰相は顎に手をやり、立ち止まった。
「……ここで報告しなければならないこともございます。帝国側にも、ランクAの勇者が一人いるとのことです。怪力の持ち主だとか」
宰相が、戦備の報告の中で淡々と付け加えた。
その言葉に、広間の温度がわずかに下がった。
ランクA。
それは、この世界における「戦略兵器」。
「一人で城門を砕き、軍勢を蹂躙する、生ける天災とのことです」
その言葉を聞いた瞬間。
地面に伏せられていた田中が、ぴくりと肩を揺らした。
彼はゆっくりと顔を上げ、俺を見た。
そこにあったのは、先ほどまでの傲慢さではない。
生理的な嫌悪と、本能的な回避衝動。
「……あー、無理。俺、やめるわ」
田中は軽く笑うような声で呟いた。
「ランクAが相手とか、コスパ悪すぎだろ。俺はそういう『勝ち目のない戦い』に付き合うほどお人好しじゃねえよ。悪いけど、俺はここを出て、自由に旅に出るわ」
(……旅に出る!?)
最強の兵器であるはずの田中が、リスクを察知した瞬間に脱落しようとしている。
この「強者」の論理は、あまりに身勝手で、あまりに脆い。
だが。
――ブォォォォォォォン!!
突如として、城の外から、空気を震わせるような巨大な角笛の音が鳴り響いた。
一度、二度。
重低音が地響きとなり、玉座の肘掛けがガタガタと震える。
「……なっ!?」
バルトが窓の外を見て、絶叫した。
「囲まれていた……!! 既に、城の周囲を完全に包囲されていたのか!!」
窓の外に広がっていたのは、地平線を埋め尽くすほどの鋼の波だった。
バルザス帝国の正規軍。
数千の兵士たちが、冷徹な規律を持って陣形と布陣を整えている。
使者を送ってきたのは、単なる形式的な手続きに過ぎなかった。
彼らは、使者が答えを出す前から、すでに牙を突き立てる準備を終えていたのだ。
「う、嘘だろ……」
田中が、青ざめた顔で窓の外を見た。
逃げ道はない。
城壁のすぐ外まで、全方位を帝国の軍勢が取り囲んでいる。
絶望的なまでの物量。
圧倒的なまでの暴力。
俺は玉座の上で、ふたたび、ガタガタと震えを感じはじめる。
俺が「決断」し、口を開いた瞬間に、この国は正式に最強の帝国を敵に回した。
もはや、後戻りはできない。隙間なく包囲されている。
ピンチの状況において、絶対権力を持つ王は厳かで残酷な「宣戦布告」の決断を下し、そして思う。
(逃げたい。が、しかし、いったい、どうやって逃げればいい?)
俺は、黒曜石の杖を握る手に、さらに力を込めた。
指先に嵌められた大粒のルビーが、照明を反射して不気味に赤く光る。
だが、その光は、止めることのできない恐怖で、激しく震え続けていた。




