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第15話 戦略兵器外交

 白いテラスに、柔らかな朝の日差ひざしが降りそそいでいる。

 そよ風が心地よく頬をで、眼下がんかには手入れの行き届いたエメラルドグリーンの庭園がどこまでも広がっていた。


 目の前のテーブルには、焼きたてのクロワッサンと、完熟した瑞々《みずみず》しい果実。そして、深い香りをただよわせるれたての紅茶がえられている。

 ただ座っているだけで眠ってしまいそうな、至福しふくのひととき。


 視線のはしには、朱色しゅいろ封蝋ふうろうつぶされた一枚の厚手あつで羊皮紙ようひしが置かれていた。

 昨日、宰相バルトが「陛下の御英断の記録として」と神妙しんみょうささげてきた報告書『エルグ王国・国家機密文書集』だ。


(……この紙、どうすればいいんだろう)


 返すべきか、捨てていいのか。

 なんなのだろう、これは。

 正解が分からないまま、俺は贅沢な朝食を堪能たんのうしていた。


 そんなとき、静寂を切り裂くように重厚な扉が開いた。


「……陛下。最悪のおしらせでございます」


 宰相バルトの声には、先日の「面倒くさそうな脱力感」が完全に消え、代わりに冷や汗がにじむような焦燥しょうそうが混じっていた。


 彼が差し出した羊皮紙には、隣接する大帝国――バルザス帝国の国章こくしょうが、傲慢なまでに大きく刻まれている。


(バルザス帝国……。名前からして強そうだな)


 俺は地図を思い出した。豆粒のように小さく描かれたエルグ王国の周囲だけでなく、バルザス帝国は地図の南東を塗り潰している。比喩ではなく、文字通り「飲み込まれる」サイズだ。


「帝国の使者が到着いたしました。目的は、形式上の宣戦布告。……実質的には、無条件降伏の要求でございます」


 バルトは深くため息をついた。


「ですが、陛下。我々には今回召喚された『勇者』がおります。特にランクAの個体。彼ら戦略兵器を披露ひろうすることで、帝国側に『この小国を飲み込むにはコストが高すぎる』と思わせる。それが唯一の外交的勝機かと」


(外交的勝機……。戦略兵器……核兵器をチラつかせて脅せってことか)


 逃げ場のない状況に、俺の胃がキュッと縮む。


 だが、拒否権などない。俺は「王」として、その宣戦布告という名のおどし合いに出席しなければならなかった。


 謁見えっけんの間。

 そこには、奇妙(きわ)まりない面々《めんめん》がそろっていた。


 玉座に座る俺。その隣に、氷のような微笑をたたえた王妃イザベラ。正面には誇らしげに胸を張る王女フランシーヌと、胃を押さえて顔を青くしているバルト。


 そして、彼らの後ろに並ぶ「勇者」たち。


「ひゃはは! 見ろよこの鎧! 最高にクールじゃねえか!」


 田中が、全身を覆う白銀のプレートアーマーをガシャガシャと鳴らして笑っていた。そして身の丈に合わないほど巨大な大剣を肩に担いでいる。一人だけ、完全に「異世界なりきり」が完了していた。


 対照的に、西園寺唯、月城陽菜、佐々木凛の三人は、まだ高校の制服のままだった。その不調和ふちょうわな光景が、かえってこの状況の異常さを際立たせている。


 ふと、隣に座るイザベラが、俺の耳元に唇を寄せた。

 甘い香りと共に、鋭い針のような囁きが届く。


「ねえ、あなた。……あなたを送り込んできたのは、どの国かしら?」


(……え?)


 ドンと心臓がバウンドした。


 彼女の瞳には、好奇心と、冷徹な探り合いが同居している。


「この国を乗っ取りたいと願う国は、山ほどありますわ。スパイにしては、ずいぶんと『刺激的な』やり方だけど……どの国の、どこの誰が、あなたをこの座にえたのかしら」


(少なくとも別人だとバレてる? なにも実行しないところが逆に怖すぎる!)


 俺は背筋に一本の冷たい汗が垂れ、寒気に震えたが、口を開けば「王命」が発動する。

 必死に口を閉ざし、ただの「沈黙する王」を演じるしかなかった。


 その時、月城陽菜が、不安げに俺を見た。

 彼女の瞳には、深い憂いと、切実な願いが宿っている。


「……あの。王様」


 消え入りそうな声。彼女は、玉座の俺ではなく、その背後の空間を見るようにして呟いた。


「小谷君は……無事ぶじですか? どこに連れて行かれたのか、分かりませんけど……、彼だけは、傷つけないでください」


(……月城さん)


 胸の奥が、ちくりと痛んだ。

 彼女は本当に俺のことを心配してくれている。

 ……いや、正確に言えば、俺の身体のことを心配している。

 俺は今、目の前で王として座っている。


(無事だし、ここにいる。けれど、それを伝える方法がない)


 今ここで「俺だよ」なんて言おうものなら、また雷のような声で『我が名は王なり! ひざまずけ!』なんて変換されるのは間違いなく、彼女を怖がらせてしまう。



「陛下! 使者が入りました!」


 宰相バルトの声が響き、巨大な扉がゆっくりと開いた。


 入ってきたのは、金糸で刺繍された豪華な外套がいとうを纏った五人の男たち。バルザス帝国の使者だ。

 彼らは広間に入った瞬間、鼻をつまむような仕草をした。


「ふん。これがエルグ王国の王宮か。……想像以上に、家畜かちく小屋のような臭いがするな」


 先頭の男が、あからさまにさげすむような視線で周囲を見回した。

 彼らにとって、この国はもはや国家ではなく、ただの「領土の空白」に過ぎないのだろう。


「豆粒のような国に、豆粒のような王。……わざわざ宣戦布告の手間をかけるのも惜しいところだが、形式的に伝えておこう。貴国に選択肢はない。今この瞬間から、貴様らは帝国の奴隷となる。……抵抗すれば、この城ごと灰にする。以上だ!」


 傲慢な宣言。広間に、凍りつくような静寂が流れる。

 王女フランシーヌが怒りに震え、バルトが眉間に皺を寄せて顔をゆがめた。


 どうすればいいかわからない。思考が完全に停止していた。


(宣戦布告? 帝国の奴隷?)


 何を言っても間違えるにちがいない。だが、何かを言うのを期待されている。

 その板挟いたばさみのまま、俺はただ、恐々と目の前の使者をじっと見つめ返す。


「……?」


 ふと、使者の瞳から、あからさまな軽蔑の色が消えた。

 代わりに現れてきたのは、得体の知れない違和感に揺れる、困惑してそうな眼差しだった。

 彼は俺の無反応をじっと凝視し、次第にその瞳を小さく揺らし始めた。


(……なんだ?)


 すると、隣にいた宰相バルトが、わずかに顎を上げ、使者たちを見下ろしながら不敵な笑みを浮かべた。


「想定外ですかな、使者の皆様。陛下の『深淵なる沈黙』は『至高の瞑想』なり。貴君らの言葉は陛下の前にはくだらぬ雑音にすぎないのですよ」


(違います! ただ固まってただけです!)


 俺の心の絶叫など届かず、使者たちはさらに動揺を深めていた。


 それに呼応するように、王女フランシーヌがりんと立ち上がり、深紅のドレスのひだを揺らして使者の真正面に歩み出た。


「宰相の御指摘、的を射ています。わたくしが補足いたしますわ」


 王女は、氷のように澄んだ瞳で使者を見下ろし、冷ややかな笑みを浮かべた。


「真の権力を持つ者は存在そのものが力です。言葉など必要ございません。使者様方が必死になって拳を振り絞り、卑しい脅迫を吐き散らしても、風の前のちりに等しいですわ」


 王女は背筋を伸ばし、玉座を背景にして、威圧するように構えた。


 使者たちは俺の静止した姿に何か恐ろしい意図があると思い込んだのか、わずかに後ずさりし、喉を鳴らして唾を飲み込んだ。


「…い、以上だ……」


 逃げるようにそう言い直した使者の声は、最初よりも明らかに小さく、そして弱々しく響いていた。


 だが、その静寂を切り裂いたのは、金属が擦れ合う不快な音だった。


「……あー、うるせえな」


 ガシャリ。

 プレートアーマーに身を包んだ田中が、一歩前に出た。

 先ほどまできょろきょろ落ち着かなかったが、使者たちが少し動揺どうようしているのを見て、マウントを取れると確信したらしい。


「勇者様! 何を――」


 バルトがあわてて止めようとしたが、遅かった。

 田中は耳をほじりながら、肩に担いだ大剣を、ゆっくりと床に下ろした。


「なんか分かんねえけど、要するに殺せばいいじゃん」


「……何だと?」


 使者が眉をひそめた瞬間だった。


「俺は勇者!」


 閃光が走った。


「ランクA!」


 ズバッ!!


 鈍い音と共に、先頭の使者の上半身が、斜めに真っ二つに切断された。

 噴水のように鮮血が舞い、豪華な外套が赤く染まる。


「ぎゃああああ!!」

「なっ、何を!!」


 パニックにおちいる使者たち。だが、田中は止まらない。


 ランクAの暴力的な速度で、彼は残りの四人を次々と切り刻んでいった。


 悲鳴。肉が裂ける音。血飛沫ちしぶきが石畳を赤く塗り潰していく。


 わずか数秒後。そこには、かつての外交使節団ではなく、ただの「肉塊の山」が転がっていた。


「あー、スッキリした。簡単、イカトゥーンより簡単だ」


 人気アクションゲームに言及げんきゅうしながら、田中は血まみれの剣を王宮のカーテンで拭いた。


「……っ」


 バルトが、驚きと落胆が混ざったように顔を歪めてガクリと肩を落とした。


「……相手は外交使節です。これで、正式に戦争になってしまいます……」


 丁寧な口調のまま、彼は深い絶望に沈んでいる様子だ。


 牽制けんせいどころか、最悪の挑発に成り果てた。

 外交ルートは完全に断絶し、バルザス帝国の軍勢が押し寄せるのは時間の問題となるのは俺でもわかる。


「最低よ、田中君!!」


 西園寺唯が、激しく田中を非難した。


「なんて残酷なことを……! 相手がどれだけ脅迫しても、人を殺していい理由にはなりません! こんなこと! 信じられない!」


「あぁ? 委員長、お前まだそんなこと言ってんの? ランク低いゴミが正義感出してんじゃねえよ。強い奴がルールなんだよ」


「なんですって……!?」


 西園寺の瞳に、鋭い光が宿る。


「いつもルールを守らないのに、何を」


 彼女の頭上の『規律の暗殺者』という文字が、どす黒く脈動し始めた。


 田中もまた、大剣を構え直し、不敵な笑みを浮かべる。


 クラスメイト同士の、血で血を洗う殺し合いが、今まさに王の目の前で始まりかねない。


(やめてくれ……! もういいから、お願いだからやめて!!)


 俺は、パニックのあまり、椅子から転げ落ちそうになりながら、必死に叫んだ。

 王命スキルに賭ける。


「ちょっとやめて!! ストップ!」


 その瞬間。


【スキル「王命」が発動しました】


 ――『其処までだ。……我が庭で、泥遊びを許すと思うな』――


 広間全体を、物理的な衝撃波のような重低音がぎ払った。

 とどろいた声に呼応こおうし、巨大なシャンデリアが激しく鳴動し、ステンドグラス窓がビリビリと震える。

 太い石柱せきちゅう不気味ぶきみきしみ、足元の石畳いしだたみが波打つように激しく震えた。


 田中も西園寺も、「我が庭で」のときによろめき、その圧倒的な圧力に押し潰され、「泥遊びを」で、そのまま石畳の上に叩きつけられた。


 彼らは動きを止め、指一本動かすことができない。


 絶対的な支配。完全な拘束。


 ただの「制止」を願った俺の言葉は、言葉的には最悪に傲慢な「王の命令」へと変換されていた。


 良かった点もある。ストップと言って、実際にストップした。意図したとおりの「王命」が出たことに気づいた。

 今回、俺は初めて自分の意志で「王命」スキルを使うことができたのだった。

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