第12話 元王の助言
カチャリ。
重厚な黒檀の扉が閉まり、外の世界を遮断した。
静寂が戻った王の私室に、不釣り合いな「檻」が置かれている。
金色の装飾が施された、贅沢すぎる鳥籠のような檻。
その中に、泥と血にまみれた「俺の身体」がいた。
痩せこけた肩をすくめ、ひょろひょろの手足で檻の格子を掴み、泥に汚れた顔をゆっくりと上げた。
その瞳にだけは、小谷正平の面影など微塵もない。
あるのは、全てを支配してきた者だけが持つ、傲岸不遜な光。
「……ふん。待ちくたびれたぞ、偽物。まずは現状を教えてやろう」
檻の中から、聞き慣れたはずの自分の声が、ひどく不機嫌そうに響いた。
まずい、と感じた。
その口調、視線。あからさまに俺をコントロールし、主導権を握ろうとする意図が見える。
(……何も話したくない)
俺はそっと、瞼を閉じた。
意識を内側へ潜らせ、精神的な脱力状態へとダイブする。
「……無理。話すの無理です」
【スキル「ダメ人間」が発動しました】
「……あー、もういいや。いっそこのまま、道端に生えてる苔になりたい。光合成だけして、誰にも話しかけられずに、ただぼーっと一日を終えたい……」
どろどろに溶けた、救いようのない嘆き。
ダメ人間が感染することは判明している。
このスキルが感染すれば、相手は戦意を喪失してくれるはずだ。
沈黙が流れる。
相手の精神が堕落し、一緒に苔になりたいと願う瞬間を待つ。
少なくともこちらを完全に無視するはずだ。
だが。
「ぷっ。……っ、がははははは!!」
突然、檻の中から爆発的な笑い声が上がった。
元王は腹を抱え、身をよじって笑い転げている。
ダメ人間スキルの効果など、一ミリも感じられない。むしろ、最高に面白い芸を見た後のような、快楽に満ちた笑いだった。
(え……?)
俺が唖然として目を開けると、元王は涙を浮かべながら、嘲笑の混じった視線を送ってきた。
「貴様、本気でそれを私に効かせようとしたのか? 滑稽だな。その身体の持ち主であるわしに、わしのスキルが効くはずがないだろう」
心臓がドキリと跳ねた。
「いいか、凡夫。スキルは『魂』ではなく『身体』に紐付いている。貴様が使った『王命』も、その『ダメ人間』という救いようのないゴミのようなスキルも、元々はわしが培い、わしが身に着けた技だ」
スキルは身体に?
「技は身体が覚えておるものだ!」
脳内に雷が落ちたような衝撃が走った。
つまり、俺が「王命」に振りまわされているのも、周囲を「ダメ人間」に塗り潰しているのも、すべては元々この男が持っていた力だったということか。
ふと、思い出した。
彼は『魂の転送者』のスキルを持っていたはずだ。それは俺がもともと持っていたスキルなのだろうか。
ならば、彼が俺の魂を元の身体に押し戻し、彼がこの身体に戻り、入れ替わりを解消することは可能なのだろうか。
もしできるなら、それは危険だ。
いま、王が王に戻り、俺がひよわな高校生に戻れば、即刻切り落とされるだろう。
「無駄だ。自分のパンチは自分に当たらん!」
俺がうろたえ始めるより早く、彼はこちらの動揺を冷酷に切り捨てた。
「貴様の王命スキルがわしに効かないように、わしは貴様をスキルで乗っ取ることができない。……皮肉なものだな。我々は、現状、お互いに干渉できないまま、この最悪の入れ替わりを維持しつづけることになる」
肺の中の空気が、一気に吸い出された。
底の見えない泥沼に、ゆっくりと引きずり込まれていくような感覚。
そうなると、どうなる?
俺は、この「王」という不自由な皮を被ったまま、一生を過ごさなければならないのか。
「心折れたか? だが、そんなところで止まっている暇はないぞ、偽物」
元王の瞳から笑いが消え、冷徹な現実が突きつけられる。
「貴様は気づいていないようだが、このエルグ王国は、今にも消えかかっている埃のようなものだ。隣接する帝国やその先の皇国にとって、我が国は単なる『餌』に過ぎない。本来なら、もうじきこの国は地図から消えるはずだ」
(……え?)
「だからこそ、勇者を召喚した。あれは、国を挙げた最後にして唯一の博打だったのだ」
彼は檻の格子に額を押し付け、低く、切迫した声で続けた。
「いいか、よく聞け。この世界において、ランクAの勇者とは単なる強者ではない。一騎で城門を砕き、軍勢を蹂躙する『戦略兵器』だ。ランクAを一人抱えているだけで、小国は隣国の侵攻を思いとどまらせることができる。」
(戦略兵器……核兵器みたいなものか。田中や、月城さんが……?)
俺は今、核ミサイルの起動スイッチを握らされたまま、「適当に運用しろ」と言われているようなものなのだろうか。
(……無理ゲーというやつだ)
「……まずはランクA勇者所有の公表だ。バルトに命令しろ」
(どうやって?)
(命令? 命令なんてしたことない)
「ランクAを使いこなせ。このままでは、貴様は、この国と共に、最も惨めな形で敵国に処刑されることになるだろうな。貴様が死ねば、わしの器も壊れる。……今のところ、貴様を『王』として完成させるのが、わしに残された選択肢だ」
(どうやって?)
(使いこなす?)
俺はがっくりと肩を落とした。
(このままでは処刑?)
人生で経験したことがないことばかりで、どこを向いても、出口が見当たらない。
「疲れたので、もうこれ以上何も考えられないのですが……」
【スキル「王命」が発動しました】
――『十分だ。この茶番もここまでとする。この不浄なる標本を聖域へ戻せ。即刻わしの視界から排除せよ』――
地鳴りのような重低音が部屋を震わせた。
まるで部屋全体が声を発しているかのようだ。
ガタガタ振動していた重厚な扉が、……
ガシャン。
カギが割れるような破壊音と共に開いた。
その瞬間、扉の外で待機していた兵士たちが、弾かれたように部屋へなだれ込んでくる。
「はっ! 直ちに!」
兵士たちは迷いなく元王を掴むと、まるでゴミを捨てるかのような手際の良さで、元王を檻の中へと放り込んだ。
「おい! ちょっと待て! まだ話は終わって――」
元王の抗議の声も虚しく、檻はガシャガシャと音を立てて廊下へと消えていく。
静寂が戻った部屋で、俺はただただ立ち尽くすことしかできなかった。




