第11話 偽王の孤独
豪華絢爛な食堂を出た瞬間、俺の視界に二つの回廊が広がった。
右か、左か。
どちらが俺の部屋なのか、聞きたい。だが、口を開けばまたあの「雷鳴」が轟き、誰かを処刑するか、あるいは国を滅ぼすレベルの命令を下してしまうのだろうか。
俺は、隣に控える宰相バルトの方を向き、わずかに顎を右へ向けた。
ただの「どっちだ?」という問いかけのつもりだった。
「……はっ。左回りの回廊でございますね。陛下のご意向、承知いたしました。あえて遠回りなルートを選ばれ、城内の警備状況を密かに視察なさる……。なんと隙のない御心」
(違う。ただ右か左か聞いただけだ。あと、左って言ったよな!? 右に顎振ったのに!)
俺は無表情を装いながら、宰相に導かれて静かに歩いた。
絨毯が足音を吸い込み、壁に並ぶ歴代王の肖像画たちが、冷ややかな視線で俺を追いかけてくる。
やがて、重厚な黒檀の扉の前に辿り着いた。
バルトが恭しく扉を開け、俺が中に入るのを待つ。
「のちほど、本日の『コレクション』……あの道化をこちらへ運んでまいります。準備が整い次第、ノックさせていただきます」
(……俺の身体。あいつをここに連れてくるのか)
背筋に冷たいものが走った。
ここで「やめてくれ」と懇願しようものなら、スキルが発動して『もっと激しくいたぶれ』に変換される未来が見える。
俺は答えず、ただ短く頷いて、バルトを部屋の外へと押し出した。
ガチャン。
重い扉が閉まり、鍵が掛かる音が室内に響いた。
誰にも見られていない。
誰にも、俺の「正体」を暴かれる心配はない。
その瞬間。
「……っ、はあああああああっ」
糸が切れた人形のように、俺の膝がガクンと崩れた。
豪華な黒ベルベットのローブが、床に大きく広がる。
俺はそのままベッドにうつ伏せになり、激しく呼吸を乱しながら身を震わせた。
動悸が止まない。
耳の奥でドクドクと脈打つ音が、まるで警告音のように鳴り響いている。
恐怖。緊張。後悔。
すべてを「王の仮面」でやり過ごした数時間の反動が、津波のように押し寄せてきた。
俺はベッドに顔を埋めたまま、今日一日の出来事を脳内で高速再生する。
まず、クラス転移。いきなり王に転生。
そして、最悪のスキル「王命」。
「ちょっと待って」と言えば、『未だその時は来ぬ。待つべし』と神託が下る。
「殺さないで」と言えば『屠る前に弄ぶがよい』になる。
親切心で喋れば喋るほど、自分自身と周囲に「残酷な独裁者」としてのイメージが蓄積されていく。
さらに、正気を疑うスキル「ダメ人間」。
スキル名からして病名みたいなもんだが、あろうことか周囲に感染する。
あの冷徹な宰相まで「事務作業が面倒くさい」と脱力させるほど強力だ。
だが、さっきの宰相の様子だと、けっこう短い期間で元の状態に回復するようでもある。
そして、女性陣。
純粋に俺を崇拝しているように見える王女と、俺のダメっぷりを「高度な心理戦」みたいに誤認して興味を持ってきた王妃イザベラ。
二人とも顔は似ているが、どちらも俺のような凡庸高校生が太刀打ちできるレベルの人間じゃない。
(……どうすればいいんだ、これ)
俺はゆっくりと上体を起こし、部屋を見渡した。
天井の高い、贅沢な空間。
壁には、この世界の大陸全図と思われる巨大な羊皮紙の地図が掛けられていた。
俺はふらつく足取りで地図に近づき、その詳細を眺めた。
複雑に絡み合う河川。連なる山脈。点在する無数の都市。
想像を絶する広さだ。
すべてを手中にしているのか、……と思ったら違った。
ぜんぜん違った。
国名が記載されている。
俺は、自分たちが今いるこの場所を探した。
指先でなぞり、ようやく見つけた文字。
『エルグ王国』
(……は?)
地図の端、隅っこに、豆粒のように小さく描かれている。
隣接する帝国や王国や共和国や皇国に比べれば、冗談のようなサイズだ。
(小さすぎる……!!)
隣国が、ちょっと本気で軍を動かせば、一日で消滅するレベルの広さしかないのではないか。
たしか召喚直後に王女が言っていた。
隣国の侵攻に対抗するために勇者が必要だと。
戦争に備えるのだと。
つまり、俺は「いつ滅んでもおかしくないちっぽけな国」の、絶対的な権力者の座に座らされている。
沈みかけた泥船の船長に成り代わって豪華な椅子に座っているようなもんだ。
さらに、この部屋まで案内される道すがら、宰相が言っていた。
ランクの高い勇者たちは「試練」という名の特訓に回され、スキルの発動方法を習得する。
底辺ランクの連中は泥臭い訓練と経過観察になる。
つまり、クラスメイトたちの今後の方向――生存ルートか廃棄ルートか――を、実質的に俺が決定する立場にある?
あと……、そうだ。月城が言っていたと委員長が言っていた俺への好意は本当だろうか。まあ信じられない。西園寺委員長の勘違いだろう。
(……この状況で、どうやって生き延びればいい?)
俺は地図の前で、再び力なく膝をつく。
豪華な王室の静寂が、今は何よりも恐ろしい。
だが、同時に理解し始めていた。ただ待っているだけでは絶望への一本道だ。
このちっぽけな国で、正体を隠し通し、この「王」という皮を最大限に利用して、生き残る術を探さなければならない。
そのとき。
コンコン。
静かな、けれど拒絶を許さないノックの音が、扉から響いた。
「陛下。ご指示の通り、『コレクション』を連れてまいりました」
宰相バルトの声だった。
指示などしていないが、俺は震える手で自分の顔を覆い、目を閉じてゆっくりと立ち上がった。
「……ふん」
自分の声、いや、元王の声が聞こえてきた。
檻の中には「俺の身体」がいた。




