第6話:追放されたはずの私を、なぜ『黒い獣』が追ってくるのか
「――追手、ですか。私の移動コストと拘束のリスクを天秤にかけられないほど、故国の知能指数は低下しているようですね」
伝令が飛び込んできた官邸の一室。
私は、手にしていた銀のペンの蓋を静かに閉じた。
カシアン・ド・ヴァロアは、窓の外――夜の帳が下りた帝都の街並みを一瞥し、口角を歪な形に釣り上げた。
「『黒い獣』か。王国が誇る影の暗殺部隊だな。わざわざ国境を越えてまで、ゴミ掃除の続きをしたいらしい」
「ゴミ、ですか。彼らの育成には一人当たり金貨五百枚は下らないはず。それを使い捨てにするとは、王太子殿下のポートフォリオは穴だらけですわね」
私は席を立ち、執務室の隅にある書棚へ向かった。
パニック? 恐怖?
そんなものは、貸借対照表のどこにも記載されていない。
ただ、今の私には「現在の雇用主」であるカシアンを守り、私の資産価値を維持するという明確な義務がある。
「エレナ。君は地下の避難庫へ行け。私の『資産』を傷つけられては寝覚めが悪い」
「お断りしますわ、カシアン卿。避難に要する十五分と、そこで何も生産できない損失は計り知れない。それに――」
私は書棚の奥から、一束の「古い名簿」を取り出した。
それは、私が王国を去る直前に、私物として持ち出しておいた財務資料の一部だ。
「彼らがどこを狙い、どのタイミングで踏み込んでくるか。……帳簿を見れば、全て分かりますわ」
「何だと?」
「暗殺部隊の装備、食費、そして移動用の馬。これら全ての予算を承認していたのは私です。彼らの行動半径は、支給された『魔力錠』の持続時間で制限されている。……この官邸の南側、警備の薄い通用口。そこが彼らの『損益分岐点』ですわ」
カシアンの目が、鋭く細まる。
彼は私の言葉を疑うことなく、壁に掛けられた重厚な剣を手に取った。
「……いいだろう。君の予言が当たるか、賭けてみるか」
直後。
官邸の空気が、ガラスを叩き割るような衝撃と共に震えた。
――来た。
窓ガラスが粉砕され、漆黒の装束を纏った「獣」たちが音もなく室内に滑り込む。
その数、五。
彼らが手にする短剣には、致死性の猛毒が塗布されている。
「エレナ・フォン・ロスタンド! 王命により、その首を頂戴する!」
先頭の男が放った声は、かつて私を罵った貴族たちのそれと同じ、根拠のない優越感に満ちていた。
私は、一歩も引かずに彼らを「査定」した。
「左から二番目。そのブーツ、靴底が擦り減っていますわね。予算をケチって安物を支給されたのでしょう。着地の際に、右足に負荷がかかっている。……三秒後、あなたは体勢を崩します」
「黙れ、小娘がぁ!」
男が跳躍する。
だが。
私が宣告した通り、男の右足が着地の瞬間に僅かに滑った。
そのコンマ数秒の隙を、カシアンが逃すはずがない。
――閃光。
抜剣の音さえ聞こえなかった。
カシアンの振るった一撃が、暗殺者の喉元を正確に断ち切る。
鮮血が舞い、豪華なペルシャ絨毯を汚していく。
「……君の分析通りだな。この絨毯のクリーニング代、君の給料から引いておくぞ」
「あら、それを命じたのはカシアン卿でしょう? 過失割合は三対七で、あなたの負担ですわ」
死線の只中。
私たちは、まるで市場の競りでもするかのように言葉を交わす。
残りの四人が、同時に襲いかかってきた。
だが、カシアンは一人、また一人と、流れるような動作で彼らを「処理」していく。
彼の剣は、暴力というよりは洗練された「執行」だった。
無駄な動きを削ぎ落とし、最短ルートで敵を無効化する。
それは、私が数字を整える美学に、どこか似ていた。
最後の一人がカシアンに組み伏せられ、首筋に剣を突きつけられる。
「……ど、どうしてだ。なぜ、これほど完璧に俺たちの動きが……っ」
「理由は簡単よ。あなたの装備しているその短剣。……三ヶ月前に、私が『耐久性に難あり』として廃棄処分を命じたロットのものだもの。強引に振り抜けば、重心が右に寄るのよ」
私は、倒れた男の目元に冷たい視線を向けた。
「王国は、私という『ブレーキ』を失って、古い在庫を使い回すほど困窮している。……哀れですね。使い捨てにされる側も、それを命じる側も」
「……殺せ。任務に失敗した俺に、帰る場所はない……」
「殺しませんわ。死体は資産価値がゼロですから」
私は、カシアンに合図を送る。
「カシアン卿。彼を帝国騎士団の取調室へ。……彼が持っている『王国の暗号鍵』の情報を売れば、三億ゴルド以上の価値になります」
「……ふん。相変わらず、情けの欠片もない女だ。気に入った」
カシアンは剣を収め、部下たちに拘束を命じた。
嵐が去った室内に、再び静寂が戻る。
カシアンは、私のすぐ目の前まで歩み寄り、その長い指先で私の顎を掬い上げた。
至近距離。
彼の瞳の中に、私が映っている。
「エレナ。君を、我が主……皇帝陛下に正式に拝謁させる。……そして、改めて提案しよう」
彼の声が、私の耳元で低く、熱を帯びて響く。
「君を、百二十億で買い取りたい。……いや。君の価値にふさわしい額は、もはや私一人の権限では書き切れないかもしれないな」
私は、眼鏡を押し上げ、不敵に微笑み返した。
「私を買い取るための予算、帝国にございますか? ……高くつきますわよ、カシアン卿」
故国からの追手を退け、私の「市場価値」は一段と跳ね上がった。
王太子ジュリアン。
あなたが捨てたものは、ただの事務屋ではない。
あなたの国を、根こそぎ買い叩くための「怪物」だということに、いつ気づくのでしょうか。
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迫り来る暗殺部隊を、カシアンの武力とエレナの「予算分析」で見事に返り討ちにした第6話。
「死体は資産価値がゼロ」というエレナの徹底した合理主義に、カシアンもいよいよ本気で惚れ込み始めた(?)ようです。
さて、次回。
物語は舞台を移し、いよいよ「隣国ヴァロア帝国」の本丸へ。
エレナに提示された次なるミッションは、なんと皇帝直々の依頼。
そして、王国側ではミレアが「ある恐ろしい計画」を進行させていて……。
第7話「隣国の財務卿は、私に『愛』ではなく『帳簿』を求めた」
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