第22話:身内の赤字は、一族の恥。……いいえ、ただの『損切り対象』です
「――お久しぶりですね、お姉様。随分と派手な『紙芝居』を始めたようで」
官邸の応接室。
豪奢なソファに深く腰掛け、生意気な笑みを浮かべて私を見上げる少年――義弟のエドワード。
かつてロスタンド公爵家で、私が「教育コストに見合わない」と断じた、あの怠惰な瞳は変わっていない。だが、その肩には聖教会の紋章が入った豪奢なマントが羽織られていた。
「ハンス。……セキュリティの質が落ちましたわね。なぜ、一度清算を終えた『廃棄物』がここに座っているのかしら?」
「申し訳ございません、お嬢様。……彼、聖教会の『会計監査権』を盾に強行突破を」
ハンスが苦々しく報告する。
エドワードは楽しげに、テーブルに置いてあった私の紅茶を勝手に口にした。
「酷いなぁ。王国が潰れて、路頭に迷う弟を救うのが姉の義務だろう? それとも、帝国の財務卿に囲われて、家族の情まで節約することにしたのかい?」
「家族、ですか。……エドワード。あなたの私の脳内評価額は、既にマイナスに振り切っていますわ。情などという不確かな資産を私に求めないことね。……で、その不渡り寸前の顔で、私に何を請求しに来たのかしら」
私は彼と対角線上の位置に座り、脚を組んだ。
隣ではカシアンが、冷ややかな殺気を隠そうともせず、エドワードを射抜いている。
「ふん。用件は単純だよ」
エドワードは、懐から羊皮紙を一枚、テーブルに放り出した。
そこには教会の刻印と、今は亡き父――ロスタンド公爵の署名があった。
「お姉様が王国から持ち出した百二十億ゴルド。……それ、元を正せばロスタンド家の共有財産だよね? 父上は死ぬ直前、聖教会の立会いの下で、家の全資産の継承権を『僕』に譲渡する契約を結んでいたんだ。……つまり、今お姉様が回しているその『エレナ紙幣』の原資は、法的には僕のものなんだよ」
一瞬、部屋が静まり返る。
カシアンの瞳が、獲物を狙う猛獣のように細まった。
「……なるほど。教会は自力でエレナを屈服させられないと悟って、身内の『所有権争い』という泥仕合に持ち込んできたか。セシル枢機卿、浅知恵を絞ったものだ」
「カシアン卿、黙っていて。……これは、私の『過去の記帳漏れ』を片付ける作業ですわ」
私は、手元の銀の手帳を開いた。
王国時代の、ロスタンド公爵家の個別貸借対照表(B/S)。
「エドワード。……あなたが十歳の時にカジノで作った負債、三百六十万ゴルド。誰が補填したか覚えているかしら?」
「え……? そ、それは、姉上が勝手に……」
「あなたが十四歳の時、聖教会の寄進枠を買うために父が使い込んだ予備費。その穴を埋めるために、私がどれだけの資産を運用したと思っているの? ……ロスタンド家の資産は、私が管理を始めた時点で既に実質的破綻状態にありました」
私は、手帳の一頁をエドワードの目の前に突きつけた。
そこには、彼への「教育投資」と「不始末の補填」の履歴が、一分一厘の狂いもなく並んでいる。
「この十年間で、私があなたと父に投じた金額は計八億ゴルド。……対して、あなたたちが家にもたらした利益は『ゼロ』。……エドワード。商法上の理屈で言えば、あなたは私に対して八億ゴルドの未払い債務を抱えた『債務者』です。……所有権を主張する前に、まずその利息を払いなさい」
「なっ……! 家族の間でそんな細かい計算……!」
「数字に細かいのではなく、あなたが『大雑把すぎる』だけです。……聖教会の後ろ盾があるなら、その八億、今すぐキャッシュで用意できるのかしら? ……できないのなら、あなたはただの『支払能力のないクレーマー』。……ハンス、強制退去の準備を」
エドワードの顔が、屈辱で真っ赤に染まった。
彼はガタッと椅子を蹴って立ち上がる。
「……いいのかい、お姉様! 僕を追い出せば、聖教会は正式にロスタンド家の権利を根拠に、帝国の新紙幣を『盗品』として国際指名手配にかけるよ! ……そうなれば、この国の『信用』は一晩で暴落する!」
「暴落? いいえ、その心配はありませんわ」
私は、エドワードの瞳をまっすぐに見つめ、冷たく微笑んだ。
「新紙幣の信頼は、私の『名前』ではなく、北方塩湖の『実物資産』に紐付いています。……あなたが主張する所有権が、塩湖の一粒にでも及んでいると証明できるかしら? ……あれを買い取ったのは、ロスタンド公爵令嬢ではなく、帝国の経済顧問としての『私個人』ですもの」
「くっ……!」
「……さて。エドワード。……計算外の訪問者との面談時間は終了です。……あ、退出する前に一つ、教えてあげますわ」
私は、わざとらしく銀の懐中時計をパチンと閉じた。
「教会のセシル枢機卿。……彼はあなたを、私の『弱点』だと思って送り込んできたのでしょうが。……あの方は、一つだけ致命的な計算違いをしています」
「……なんだよ」
「私は、一度『損切り』を決めた銘柄には、二度と追加投資をしない女だということですわ。……さようなら。次にお会いする時は、法廷の『被告席』でお会いしましょう」
エドワードは捨て台詞を吐く余裕もなく、ハンスの手によって力ずくで引きずり出されていった。
◇
静かになった室内。
カシアンが、私の肩に手を置いた。
「……身内だろうと容赦ないな。君という女は、本当に心がないのか?」
「心はありますわ。……ただ、それを『動かすコスト』に見合わない相手には、一ペニーも使いたくないだけです」
「くく……。だが、エドワードが最後に浮かべたあの笑み……。奴、何かまだ隠し持っているな」
カシアンの言う通りだった。
引きずり出される間際、エドワードは私の耳元で、確かにこう囁いたのだ。
『お姉様。……あの「合わない端数」の理由……教会の金庫に、その「答え」が眠っているよ。……監査してみるかい?』
私は、自分の胸に手を当てた。
『世界の端数』。
その隠し口座の鍵を、あのような無能な弟が握っているはずがない。
……だが、もし。
「……カシアン卿。……帝国の予算に、『聖都への潜入調査費』を計上していただけますか?」
「……。君がそう言うなら、いくらでも出そう。……ただし、私の『利子』は高くつくぞ」
カシアンの懐中時計が、再び不協和音を奏で始めた。
清算の舞台は、ついに聖教会の本丸――聖都へと移ろうとしていた。
お読みいただきありがとうございます!
義弟エドワードの身勝手な主張を、過去の「不始末リスト」で一蹴したエレナ。
「損切りした銘柄には二度と投資しない」という言葉、彼女らしい冷徹な美学ですね。
しかし、エドワードが残した「世界の端数」に関する言葉。
果たして聖教会の金庫には何が隠されているのか。
次話、第2部・激動の「聖都潜入編」が始まります!
帝国での新通貨の安定をミレアに任せ、エレナとカシアンは二人きり(?)で、教会の中心地へと向かいます。
第23話「帝国中央銀行設立:金貨の重さを書き換えます」
「義弟を追い払うシーンがスカッとした!」「カシアン様との聖都二人旅(?)が気になる!」
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