第2話:代わりの聖女様、私の残業代も肩代わりしてくださいね
「明かりを! 誰か明かりをつけぬか!」
背後で、ジュリアンの絶叫が響く。
夜会の広間を照らしていた数千の魔導キャンドルが、一斉にその命を吹き消した。
暗闇。
静寂。
そして、嗅ぎ慣れない煤の匂い。
私は一度も振り返ることなく、宮殿の重厚な扉を抜けた。
カツ、カツ、と。
私の靴音だけが、闇に沈んだ回廊に規則正しく響く。
乱れはない。焦りもない。
ただ、予定されていたタスクを順調に消化した後の、心地よい「手応え」があるだけだ。
「……お嬢様。馬車の用意ができております」
宮殿の門前、影に溶け込むように待機していたのは、私の私設秘書官である老いた従者、ハンスだった。
彼は私の手から重い帳簿を無言で受け取ると、その重みだけで全てを察したように深く頭を下げた。
「お疲れ様でございました。清算は済みましたかな?」
「ええ。百二十億八千万ゴルド。端数は切り捨ててあげましたわ。私の最後の『慈悲』です」
馬車に乗り込み、ふかふかのシートに身を沈める。
窓の外を見れば、王宮だけではない。
王都の街路灯が、ドミノ倒しのように次々と消えていくのが見えた。
驚くには当たらない。
この国の魔導インフラを維持する「魔力触媒」の購入費用は、全て私の決済印一つで動いていたのだ。
決済が止まれば、供給も止まる。
経済とは、血液だ。
止まれば、指先から腐っていく。
「さて。代わりの『聖女様』は、この暗闇をどう料理なさるのかしら」
私は口角をわずかに上げ、銀の懐中時計を確認した。
明朝、午前九時。
この国に最初の「不渡り」の報せが届くはずだ。
◇
一方、パニックに陥った王宮の広間。
予備の松明が運び込まれ、煤臭い煙が揺れる中、ジュリアン王太子は真っ青な顔で立ち尽くしていた。
「どういうことだ……! なぜ魔法が消える! 宮廷魔導師は何をしている!」
「で、殿下! 魔力増幅器の燃料となる『魔導銀』が、在庫切れです! 納入業者に確認したところ、エレナ様のサインがない限り、一粒たりとも卸さないと……!」
「な……!? あいつ、本当に止めおったのか……!」
ジュリアンは震える手で、足元に転がっていた「請求書」を拾い上げた。
そこに並ぶ無機質な数字。
彼にとってはただの記号でも、私にとっては戦場を支配する兵士と同じだ。
「ジュリアン様、落ち着いてください……っ」
隣で震えるミレアが、彼の腕にすがりつく。
か細い声。潤んだ瞳。
ジュリアンは縋るように、彼女の肩を抱き寄せた。
「そうだ、ミレア! 君は『真実の聖女』だろう? 君の祈りで、この闇を払ってくれ! エレナのような小細工を弄する女などいなくとも、君がいれば……!」
「え……? あ、はい。やってみますわ……」
ミレアは困惑したように瞬きをしながらも、そっと両手を組んだ。
聖女としての祈り。
彼女の体から、淡い黄金色の光が溢れ出す。
周囲の貴族たちから、期待のこもった溜息が漏れた。
光は広間を優しく照らし――。
――そして、わずか十秒で、パッと霧散した。
「……あれ?」
ミレアが首を傾げる。
「ど、どうした? 続けろ!」
「あの、ジュリアン様……祈りの触媒となる『聖水』がございません。いつもは部屋の祭壇に用意されていたのですが……」
そこへ、息を切らせた侍女が駆け込んできた。
「で、殿下! 聖女様の祭壇の備品が……全て運び出されています! 『これはロスタンド公爵令嬢の私物である』という差し押さえ票が貼られて……!」
「……っ!!」
ジュリアンの顔が、今度は屈辱で赤黒く染まった。
そう。
ミレアが使う聖水も、祈りを捧げる祭壇も、彼女が身に纏う「聖女の法衣」さえも。
私が私の判断で、最高の品質のものを買い揃えていたのだ。
愛? 慈悲?
そんなもので、聖水の仕入れ値が安くなると思っているのかしら。
「ミレア様。本日から、それら全ての『管理』もあなたの仕事ですわ」
闇の中で、誰かがそう囁いた気がして、ジュリアンは周囲を見渡した。
だが、そこには怯える貴族と、煙を吐く松明があるだけだ。
「……探せ! エレナを、今すぐ連れ戻してこい!」
「それは無理です、殿下」
冷ややかな声が、広間の入口から響いた。
現れたのは、近衛騎士団長のガストンだった。
彼はエレナのやり方を苦々しく思いつつも、その「有能さ」だけは認めていた数少ない一人だ。
「エレナ様は先ほど、国門を通過されました。……公式な『国外追放』の手続きに従って」
「な……に……?」
「そして殿下。さらに悪い報せがございます」
ガストンは、一枚の報告書を差し出した。
「騎士団の馬。それらの飼料の在庫も……今夜で底を突きました。明日の朝から、我が国の軍馬は一歩も動けなくなります」
ジュリアンの手から、請求書が力なく滑り落ちた。
床に落ちたその紙を、ミレアがそっと拾い上げる。
うつむいた彼女の唇が、一瞬だけ、歪んだ。
それは恐怖による震えか。
あるいは――込み上げる「笑い」を堪える動きか。
◇
王都を離れる馬車の中で、私は手帳を閉じた。
「……ハンス。隣国との国境まで、あと何時間?」
「三時間ほどですな。夜明けまでには」
「よろしい。そこで、私の『新しい雇用主』が待っているはずよ」
私は窓の外に広がる、真っ暗な故国を見つめる。
かつて私が守ろうとした場所。
だが、彼らは私を捨てた。
ならば、その対価は「破滅」で支払ってもらうしかない。
私は、膝の上に置いたカバンを叩いた。
そこには、王国の全口座を凍結させるための、最後の一鍵が入っている。
「本当の『ざまぁ』は、まだ始まったばかりですもの」
私は静かに、深い眠りへとついた。
明日からは、もっと忙しくなる。
隣国の「負債」を「富」に変えるという、知的なゲームが待っているのだから。
お読みいただきありがとうございます。
ついに「実務」という名の反撃が始まりました。
聖女といえど、触媒がなければただの人。エレナがどれほど緻密にこの国の「喉元」を握っていたか、ご理解いただけたでしょうか。
さて、次話ではエレナを「120億で買い取りたい」と豪語する、あの男が登場します。
隣国の若き財務卿、カシアン。
彼は敵か、味方か。あるいは――。
第3話「受領証は置いていきます。返済期限は……明日までです」
ここから物語のスケールが一気に加速します。
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