第11話:偽りの聖女が流した、あまりに「計算通り」の涙
「――嘘だ。そんなはずがあるか! 私の、私のコレクションが……!」
ロスタンド王国の王宮。かつては豪奢を極めた王太子ジュリアンの私室に、野卑な怒鳴り声が響き渡った。
だが、その声に応えるのは、冷徹な「執行官」たちの無機質な沈黙だけだ。
部屋の壁を飾っていた名画、先代王から譲り受けたという魔導銀の彫像、そして金糸で編まれた寝具。
それら全てに、今、鮮やかな「赤色の紙」が貼られていく。
「やめろ! それに触るな! 私はこの国の次期国王だぞ!」
「残念ながら、殿下。法の下では、王族のプライドも一ペニーの価値も持ち合わせません」
執行官の一人が、淡々と書類を突きつけた。
そこには、エレナが去り際に残した「清算書」に基づく、正当な『物権返還請求権』の行使が記されている。
「この部屋の備品の八割は、ロスタンド家――ひいてはエレナ様個人が、王家の予算不足を補填するために私財で購入されたものです。婚約が破棄され、返済の目途も立たぬ以上、これらは『持ち主』の元へ回収されます」
「ぐ、……ッ!」
ジュリアンは床に膝をついた。
暖房の消えた部屋は、外気と変わらぬ冷たさだ。
彼が守ろうとした「威厳」という名の虚飾が、一枚、また一枚と剥がされていく。
「ああ、なんていうことでしょう……。ジュリアン様、おいたわしい……っ」
その傍らで、新しい婚約者である聖女ミレアが、ハンカチを顔に当てて肩を震わせていた。
溢れんばかりの涙。
か細い声。
まさに悲劇のヒロインそのものだ。
「ミレア……君だけだ、私の味方は……!」
ジュリアンが彼女の肩に手を置く。
ミレアはうつむいたまま、さらに深く咽び泣いた。
「ごめんなさい、ジュリアン様……。私の祈りが足りないばかりに。私がもっと、お姉様のように……帳簿のことも、お金のことも分かっていれば……っ」
「いいんだ、君が謝ることはない! 悪いのは全て、あのアリのような女だ! 自分がいなければこの国が回らないと知っていて、嫌がらせのように細工をして逃げ出した、あの執念深い女が……!」
ジュリアンは呪詛を吐き散らす。
その醜い顔を、ハンカチの影から見つめるミレアの瞳。
――そこには、一滴の涙も、欠片の同情も存在しなかった。
(……ふふ。本当に、計算通りに喚くのね。このゴミ溜めの王様は)
ミレアの脳内では、エレナ直伝の「感情を切り離したシミュレーション」が高速で走っていた。
彼女は知っている。
ジュリアンが今、必死に握りしめているその「王印」が、実は既にエレナの手によって法的効力を停止されていることを。
彼女がわざとらしく聖水の在庫を切らしたことで、王宮の浄化システムが完全に麻痺し、貴族たちの間で「不吉な予兆」という名のパニックが蔓延していることを。
全ては、あの日、エレナと交わした「密約」の通り。
『ミレア。私はこの国を、外側から経済的に窒息させるわ』
『じゃあ、私は内側から、一番汚い部分を腐らせてあげる。……お姉様。自由になる時は、一緒よ?』
ミレアは、エレナという唯一の理解者を救うため、あえて「無能な聖女」という泥を被った。
彼女が愚かであればあるほど、王国の崩壊は加速し、エレナの「正しさ」が黄金のように輝きを増す。
「ミレア? どうしたんだ、震えて……」
「い、いえ、なんでもありませんわ。ただ……お姉様が、隣国でとても素晴らしい生活を送っているという噂を耳にして。……羨ましくて、つい」
ミレアは顔を上げ、花が綻ぶような微笑みを浮かべた。
絶望に沈むジュリアンの目には、それが聖母の慈悲に見えただろう。
だが、その言葉の裏にある「投資」の意味を、彼は一生理解できない。
「ジュリアン様。いっそのこと、この冷え切った王宮を売り払ってしまえば、楽になれるのではありませんか?」
「なっ……城を売るだと!? そんなこと、できるはずが――」
「あら、お姉様が残した書類の裏に、面白い項目がありましたわ。……『王宮維持管理費の永続的延滞に伴う、敷地権の競売条項』。……今、帝国の商人が、とても高い値で買い取ってくれるそうですわよ?」
ジュリアンの顔から、完全に表情が消えた。
彼に残された最後の資産。
それが、エレナという名の執行官の手によって、公の場に「商品」として引きずり出されようとしていた。
◇
同時刻、アイゼン要塞。
私は、ハンスが届けた王都からの密信を、暖炉の火に翳していた。
「……ミレア。相変わらず、性格の悪い『掃除』を続けているようね」
「何か面白い報告でも?」
背後から、カシアンが声をかける。
「ええ。王太子殿下が、ついに自分の家を競売にかけざるを得ない状況まで追い詰められましたわ。……カシアン卿。帝国の予算で、あの王宮を買い叩く準備はよろしくて?」
カシアンは、私の手から密信を奪い取ると、不敵に口角を上げた。
「王宮を買い、そこを帝国の『徴税所』に作り替えるか。……最高に悪趣味な投資だな、エレナ」
「いいえ。私はただ、汚れた場所を『清算』したいだけですわ」
私の眼鏡の奥で、王国の地図が「没収資産リスト」へと書き換えられていく。
王太子ジュリアン。
あなたが守ろうとした玉座。その脚は、既に私のペン一本で切り落とされていることに、早く気づいてください。
……さもないと、次に差し押さえるのは、あなたの『命の値段』になってしまいますから。
お読みいただきありがとうございます。
王宮の「内側」で暗躍するミレアの視点、いかがでしたでしょうか。
「無能な悪女」のフリをして、エレナのために王国を内側から食い荒らす共犯者――そんな彼女の存在が、復讐劇にさらなる深みを与えてくれます。
さて、次回。
ついに「王都の競売」が始まります。
豪華絢爛だった王宮が、帝国の金貨によって一枚ずつ剥がされていく様は、まさに圧巻。
そして、追い詰められた王太子が取る、最後にして最悪の「暴挙」とは……。
第12話「差し押さえられた王冠、競売にかかる王太子」
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