敵か、味方か
私たちはその場に立ち、カリュドールが怒りに吠えるのを見ていた。
その声は、魔物の喉の奥に閉じ込められた雷のように、中庭を震わせて響いた。
出血は止まっていた。
レイナの炎がその身体に刻んだ傷は、今や分厚く硬化した泥の層の下に封じられている。
しかも、それはただの泥ではなかった。
カリュドールの巨体に鎧のようにまとわりつき、何層にも重なって、もはやその魔物は肉の塊というより、動く巨岩のように見えた。
誰もが完全に反応する前に、カリュドールが後ろ脚を上げた。
そして、踏み下ろした。
その衝撃が、槌のように中庭を打った。
氷が一瞬でひび割れる。
凍った地面に長い亀裂が走り、ギザギザの線となって外側へ広がっていく。
次の瞬間、その下の地面が持ち上がった。
石、土、砕けた氷が一斉に隆起し、割れ、崩れ、中庭の床を不安定な地形に変えていった。
「動きなさい!」
レイナが叫んだ。
地面が噴き上がった。
割れた氷を突き破り、石の棘が上へ伸びる。
細く鋭い槍のようなものもあれば、まともに当たれば身体を押し潰せるほど太いものもあった。
全員が同時に反応した。
マーカスと私は、地面から突き上がる最初の棘の波を避けるため、後ろへ跳んだ。
私の足は割れた石板の上に着地し、危うくバランスを崩しかけたが、無理やり姿勢を立て直した。
マリアダが両手を上げた。
彼女の足元と周囲からいくつもの棘が噴き上がるのと同時に、彼女を包む球状の結界が形成される。
石は下から、そして横から結界に衝突し、その表面に紫色の閃光を走らせた。
レイナは大きくは動かなかった。
現れた棘を、その場で焼き払っていた。
彼女の手から炎が噴き出し、石が完全に伸び切る前に切り裂いていく。
鋭い先端は煙を上げる破片となって崩れ、中庭に散らばった。
そこは完全に戦場と化していた。
砕けた氷。
隆起する石。
蒸気。
土埃。
そして、そのすべての中心に立つカリュドール。
鎧のように覆われた鼻先から、熱い息を吐いている。
次の瞬間、突進した。
今度は、誰を狙うかなど気にしていないようだった。
一番近い相手へ向かう。
そして、一番近くにいたのはマリアダだった。
彼女はまだ球状の結界の中にいて、カリュドールが作り出した石の棘に囲まれていた。
位置を変える前に、猪は頭を下げ、彼女へ向かって一直線に駆け出した。
「マリアダ!」
レイナが叫んだ。
彼女はカリュドールの側面へいくつもの火球を放った。
それらは泥の鎧にぶつかって爆ぜ、煙と炎を空中へ巻き上げる。
だが、カリュドールは止まらなかった。
無傷のまま、煙を突き破ってくる。
カリュドールはマリアダの周囲に立つ石の棘へ突っ込み、乾いた枝でも折るようにそれらを砕き散らした。
そして、頭を跳ね上げた。
マリアダの結界は割れなかった。
だが、彼女を中に閉じ込めたまま、球状の結界そのものが空中へ弾き飛ばされた。
「メアリーさん!」
私は一歩前へ出た。
カリュドールは彼女から視線を外し、次の標的を定めた。
レイナだ。
彼女は崩れた地面の上を軽やかに動き、横へかわしながら、その顔や脚へさらに炎の魔法を撃ち込んでいく。
火球は一つ一つ命中していた。
だが、泥の鎧は以前よりもその威力を吸収していた。
「猪って、魔法を使えるんですか?」
私は距離を置いたまま見つめながら言った。
まだ、自分が何を見ているのか理解しようとしていた。
「ゼウスの森の獣ですからな」
隣にいたマーカスが言った。
「使えて当然です」
「ちっ」
苛立ちが表に出るのを止められなかった。
魔物でさえ、まともに魔法を使えるのか。
それなのに私は、まだ自分が何をしているのかさえ、ろくに理解できていない。
マーカスが私をちらりと見た。
ほんの一瞬だけ。
だが、その一瞬だけで、彼は重要なことに気づいたらしい。
「クライ様」
彼は言った。
「今、マナ・ビルドを使っておられますか?」
私の目が一瞬で見開かれた。
今まで、誰にも直接聞かれていなかった。
もちろん、何かが違うことは明らかだった。
髪の色は変わっているし、マナはまだ体内を流れている。
だが、それを言葉にされると、罪悪感が一気に込み上げてきた。
「あ……」
私は目を逸らした。
「はい」
そして、すぐに付け加えた。
「でも、レイ師匠には言わないでください」
マーカスは少しも間を置かなかった。
「遅いですな。おそらく、もうご存じでしょう」
私は固まった。
知ってる?
「今は、それを気にしている場合ではありません」
彼は一歩前へ出て、自分のマナを高めた。
淡い光が身体を包み、彼もまたマナ・ビルドを発動する。
私のものと比べれば、その光は弱かった。
周囲から引き寄せるマナの量も、私ほどではない。
ほんの一瞬、彼は身を震わせた。
だがすぐに、体勢を整える。
「よく聞いてください」
マーカスはカリュドールから目を離さずに言った。
「今ここで、私の速さについてこられるのはクライ様だけです」
彼は腰に差していた予備の剣へ手を伸ばし、それを私へ投げた。
私は返事を考えるより先に、それを受け取っていた。
「ですから、援護を」
そう言って、彼は猪へ向かって走り出した。
私は剣を握る手に力を込め、彼の後を追った。
足元の地面は砕け、不安定になっていた。
それでも、私たちは走った。
中庭は、もはやただひび割れているだけではなかった。
石畳は裂け、カリュドールの魔法が地面を引き裂いた場所では、土の塊が突き出している。
そこを走るのは難しかった。
一歩ごとに、足を置く場所を選ばなければならない。
マーカスは私の前を、熟練した正確さで進んでいく。
隆起した石板を飛び越え、砕けた氷を横へかわし、無駄な動き一つなく荒れ果てた地形を渡っていった。
私はできる限り彼の後についていった。
割れた石の隆起を飛び越え、半分凍った穴を避けて足を進める。
魔法はもう、カリュドールにはまともに効いていないようだった。
少なくとも、さっきまでのようには。
そして今、カリュドールは次の標的としてレイナを選んでいた。
頭を下げる。
そして、突進した。
猪が彼女へ届く前に、マーカスがその前へ現れた。
彼は砕けた地面に両足を踏みしめ、両手でその突進を受け止めた。
衝撃は凄まじかった。
マーカスの背後から衝撃波が弾け、舞い上がった土埃を空中へ吹き飛ばす。
彼は呻き、腕に力を込める。
その靴が地面を削りながら、線を刻んでいった。
マナ・ビルドを使っていても、あれほど大きなものを止めるなど常識外れだった。
まるで、暴走する鉄の馬車を素手で押さえ込もうとしているのを見ているようだった。
それでも、彼は耐えた。
隙が生まれる。
私は地面を蹴り、カリュドールへ向かって飛んだ。
空中で身体をひねり、全体重を乗せて斬撃を叩き込む。
剣が、その首へ振り下ろされた。
ガンッ。
刃は泥の鎧に当たり、弾かれた。
私は横へ着地し、すぐに当たった場所を見る。
何もない。
傷一つ、ついていない。
「もう一度!」
私は無理やり体勢を立て直し、その頭へ向かって駆け出した。
今度は、前に目を潰した側を狙う。
もし鎧に弱い場所があるなら、傷ついた部分の周りのはずだった。
私は力いっぱい剣を振った。
刃が硬化した泥をこすり、鋭い金属音を立てる。
火花が散った。
それでも、斬撃は通らなかった。
「何でできてるんだ、こいつ……」
その時、カリュドールの残った右目が左へ動いた。
私の方へ。
私は半呼吸だけ固まった。
まだ私が見えているのか?
カリュドールはマーカスとの押し合いをやめた。
頭が荒々しく振られる。
その頭蓋の側面が、私に激突した。
防ぐ時間などなかった。
それは全力の突進よりは弱かった。
だが、そんなことは関係なかった。
崩れ落ちる壁にぶつかられたような衝撃だった。
肺から空気が一気に押し出され、私は中庭を横切って吹き飛ばされた。
地面に叩きつけられ、激しく転がり、土埃と砕けた石の中を滑っていく。
そして、崩れた壁の瓦礫のそばでようやく止まった。
しばらく、息ができなかった。
それから、咳き込んだ。
腹と肋骨に痛みが広がる。
「くそ……」
カリュドールが私の方を向いた。
再び頭を下げる。
そして、突進した。
動こうとしたが、身体はまだ痛みに追いついていなかった。
カリュドールが私に届く前に、透明な壁がその周囲へ次々とはまり込むように現れた。
幾重にも重なった結界の箱が魔物を囲み、ほとんど身動きできないほど狭い空間に閉じ込める。
カリュドールはすぐに結界の壁へ激突したが、今度は十分な勢いをつけられなかった。
全員が一瞬、動きを止めた。
レイナでさえ驚いたように見えた。
その時――
「レイナ様!」
マリアダの声が中庭を切り裂いた。
彼女は砕けた石の棘の瓦礫の中から立ち上がった。
先ほど張った結界に守られたままだった。
服は土埃で汚れていたが、怪我はなかった。
その目は、閉じ込められた猪に固定されている。
「今です!」
彼女は叫んだ。
「今すぐ溺れさせてください!」
レイナは、はっと我に返ったように一度瞬きをした。
それから、両手を空へ向けて掲げる。
「水魔法――シャワリング・ウォーターフォール」
何も起きなかった。
水は降ってこない。
猪は結界の檻の中に閉じ込められたまま、暴れ、壁に身体を叩きつけ続けていた。
レイナの表情が変わる。
「……あ」
気づいたのだ。
彼女は先ほど、自分の魔法属性を切り替えていた。
今の彼女のマナは炎に合っている。
水ではない。
「くそっ」
彼女は悔しげに両手を下ろした。
水魔法を使うには、まず水属性へ戻さなければならない。
「パリヴァルタ・タットヴァ。リバート」
風とマナが彼女の周囲に立ち上り、身体の構造そのものが調整されているかのように上へねじれていく。
彼女の周囲の空気が揺らめき、以前の状態へ戻っていくことを示していた。
だが、もう遅かった。
マリアダの結界の檻に亀裂が走る。
「だめ……」
マリアダの声は静かだった。
カリュドールがもう一度、結界へ激突した。
檻が砕けた。
透明な破片が外へ弾け飛び、空気の中へ溶けるように消えていく。
そして、カリュドールは再び私の方を向いた。
ゆっくりと。
だが、恐ろしいほど確かな動きで走り始めた。
全員が一拍だけ固まった。
動いたのは、マーカスだけだった。
カリュドールが通り過ぎる瞬間、彼はその背へ飛び乗った。
泥の鎧に覆われた身体の上を駆け、前方へ跳ぶ。
そして、魔物と私の間に着地し、砕けた中庭に両足を踏みしめた。
私を引きずって逃がす時間はない。
避ける時間もない。
マーカスに残された選択肢は一つだけだった。
もう一度、受け止める。
突進は、まっすぐ私たちへ向かってきていた。
マーカスは腰を落とし、全身で身構えた。
私は彼の背後で地面に座り込んだまま、息を呑み、見ていることしかできなかった。
カリュドールは十分な速度に達していた。
もしマーカスが失敗すれば、私たちは二人とも押し潰される。
頭上の空が暗くなった。
中庭の、ごく一部だけが。
雲が不自然なほど速く集まり、まるで何かに引き寄せられたかのように、幾重にも重なっていく。
空全体を覆うほどではない。
昼を夜に変えるほどでもない。
マーカスが瞬きするよりも早く、雷が落ちた。
それはカリュドールを直撃した。
衝撃が中庭全体に爆ぜた。
土埃、砕けた石、氷の破片、割れた土が、着弾点から外へ弾け飛ぶ。
爆風は地面を伝い、まるで物理的な壁のように空気へ叩きつけられた。
全員が顔を守るために腕を上げた。
私も同じように、飛び散る破片から顔を背けた。
一瞬、何も見えなかった。
土埃と煙だけ。
そして、雷鳴の余韻だけが耳に残っていた。
「……今、何が起きたんだ?」
声はかろうじて出た。
誰も答えなかった。
誰にも、何が起きているのか分からなかった。
私たちは動けないまま、土埃が晴れるのを待った。
ゆっくりと、風が落ち着いていく。
そして、荒れ果てた中庭の中央に、カリュドールが立っていた。
だが、もう同じ魔物ではなかった。
その身体のあちこちは黒く焦げていた。
硬化した泥の鎧は全身に亀裂を走らせ、干ばつの後の乾いた大地のように、ギザギザの板状に割れている。
背中と肩からは煙が上がり、焼けた肉の臭いが中庭に広がった。
重く、不快な臭いだった。
誰も口を開かなかった。
その光景だけで、言葉が奪われるには十分だった。
今のは、何だ?
一撃で、あれほどの傷を与えられる者がいるのか?
敵なのか。
味方なのか。
答えを待つ必要は、長くなかった。
一頭の虎が、音もなく崩れた壁を抜けてきた。
最初、誰もそれに気づかなかった。
私たちの注意は、まだカリュドールに釘づけだった。
その時、私の周囲の空気が帯電した。
腕の毛が逆立つ。
視界の端を、何かが通り過ぎた。
赤みがかった橙色の毛並み。
黒い縞。
脚のあたりに混じる白い毛。
目が見開かれた。
唇がわずかに開いたが、声は出なかった。
次に気づいたのはマーカスだった。
彼の反応は即座だった。
構えを変える。
カリュドールと対峙していた時よりも、その虎に向き合う彼の方が明らかに緊張していた。
だが、虎は彼に一瞥すらくれなかった。
ただ、前へ歩いていく。
まっすぐ、カリュドールへ向かって。
一歩一歩が無音だった。
あれほどの力を持つ存在にしては、あまりにも静かすぎた。
虎は焦げた猪の前で足を止め、それを見上げた。
風が虎の脚を撫で、そこに生えた淡い毛を揺らす。
尻尾の毛先には、電気の火花がちらついていた。
「また一匹増えたの?」
レイナが低い声で、信じられないというように言った。
マリアダは何も言わなかった。
私たちよりはるかに鋭い感覚を持つ彼女は、私たちがまだ完全には理解していないことを悟っていた。
鉄牙猪と戦った後で、この虎に勝つことなど考えられない。
カリュドールがわずかに震えた。
まだ生きている。
力はもう残っていない。
だが、命は残っていた。
虎は気にしなかった。
低く唸る。
牙の間から、電気の火花がちらついた。
頭上の小さな空だけが、再び暗くなる。
同じ不自然な雲が集まった。
空気が張り詰める。
そして、虎が吠えた。
雷が、再びカリュドールへ直接落ちた。
悲鳴を上げる暇さえなかった。
雷がそれを呑み込んだ。
光が消えた時、鉄牙猪はゆっくりと崩れ落ちた。
巨大な身体が傾き、重い音を立てて地面に落ちる。
残った目は白く反転し、泥の鎧は黒く焦げた破片となって砕けた。
見たところ、少し触れただけでも、その身体は灰になって崩れそうだった。
私たちは全員、言葉を失っていた。
誰も動かない。
大きく息をする者さえいなかった。
その時、虎が頭を向けた。
私の方へ。
黄金の瞳が私を捉えた瞬間、中庭全体が消えたように感じた。
すべてが背景へ沈んでいく。
虎はゆっくりと、私へ向かって歩き始めた。
私は考えるより先に後ずさった。
手のひらが地面をこする。
理由を理解するより早く、炭にされるのが怖かった。
「動くな」
マーカスの声が、低く鋭く響いた。
私は彼を見た。
彼は完全に動きを止めていた。
「動けば」
彼は囁いた。
「死にます」
喉が締めつけられた。
私は虎へ向き直り、無理やり身体を止めた。
強く唾を飲み込み、震える神経を落ち着かせようとする。
虎は、顔が私の目の前に来るほど近づいてきた。
心臓の音が耳の奥で聞こえるほど激しく鳴っていた。
呼吸は速く、乱れている。
身体中の本能が、逃げろと叫んでいた。
だが、私は動かなかった。
虎は私を見ていた。
その目は獰猛だった。
だが、怒りはなかった。
あるのは、恐ろしいほどの静けさだけだった。
数秒間、何も起きなかった。
やがて、虎が頭を上げた。
私から一歩離れる。
そして、もう一歩。
誰もそれを止めようとはしなかった。
止められる者などいなかった。
私たちはただ、虎が崩れた壁へ向きを変え、ゼウスの森へ戻っていくのを見ているしかなかった。
尻尾に走る電気の火花が、最後に消えた。
木々の間へ消えていく。
その時――崩れた壁の向こうから、咆哮が響いた。
それはゼウスの森から流れ出し、屋敷の敷地全体へ広がっていった。
まるで、自分のものだと主張する縄張りに印をつけるかのように。
※
「あれは、何だったのでしょうか」
マーカスは虎が消えていった場所を見つめたまま尋ねた。
「鉄牙猪を倒すためだけに、ここへ来たのでしょうか」
誰も答えなかった。
答えられるはずがない。
今起きたことを説明できる者など、誰もいなかった。
ゼウスの森から虎が現れ、雷でカリュドールを打ち倒し、私の顔を真正面から見つめたあと、まるで私たちの誰にも価値がないとでも言うように去っていった。
私の身体は、まだ恐怖に縛られていた。
レイナの声が中庭を切り裂いて、ようやく私は我に返った。
「クライ!」
私は振り向いた。
彼女はすでに、こちらへ歩いてきていた。
その顔は張り詰めていて、一瞬、すぐに怒鳴られるのだと思った。
だが、彼女は代わりに私の肩を掴んだ。
「大丈夫?」
声は鋭かった。
けれど、その目には本物の心配が浮かんでいた。
それに、私は少し面食らった。
「え……? あ、はい。大丈夫です」
私は腹に軽く触れながら言った。
「たぶん、打撲くらいです」
レイナはもう一秒、私を見つめた。
それから、強く息を吐く。
肩に入っていた力が、ほんの少しだけ抜けた。
「……よかった」
私の中でも、何かが緩んだ気がした。
妙な安堵が胸に広がる。
猪は死んだ。
虎は去った。
私は生きている。
ほんの一瞬だけ、最悪の事態は過ぎたのかもしれないと思った。
その直後、レイナが私を殴った。
その音が、荒れ果てた中庭に響いた。
マリアダがぴくりと反応する。
マーカスは驚いたように瞬きをした。
私は呆然とレイナを見つめた。
何かを言う前に、彼女は私の襟を掴んだ。
「あなた、いったい何をしたの?!」
心配が怒りへ変わるのがあまりにも早すぎて、私はその変化を理解する暇もなかった。
「説明しなさい! ゼウスの森で何をしたの?!」
「な、何もしてません……」
声は弱く出た。
そして、自分でもそれがかなりまずい言い方だと分かった。
レイナが完全に怒りを爆発させる前に、マーカスが一歩前へ出た。
「落ち着いてください、レイナ様。まずはその子を下ろして、文明的に話しましょう」
「文明的に話している時間なんてないわ」
レイナが鋭く返した。
「この子は話を聞かないの」
彼女は片手で私の襟を掴んだまま、一度だけ私を揺さぶった。
「最初は鉄牙猪。次に、あの雷の虎まで現れた」
その目が細くなる。
「ゼウスの森で、何をしていたの?!」
私は唾を飲み込んだ。
「……すみません! ただ、剣の腕を試したくて森に入っただけです。それだけです」
「……」
レイナの表情が暗くなった。
彼女は、まるで不快なものでも持っていたかのように私を突き放し、手を離した。
私はよろめいた。
するとすぐに、マリアダが隣に来て、片手で私を支えてくれた。
「誰が許可したの?」
レイナが問い詰める。
「ゼウスの森は危険だと、私が言わなかった?」
私は目を逸らした。
彼女が間違っていたからではない。
自分でも彼女が正しいと分かっていたから、言い返したくなかった。
「あなたの軽率な行動で、ここにいる全員を危険に晒したのよ」
返す言葉はなかった。
言い訳もない。
気の利いた返答もない。
何も。
私は少しだけ身体の向きを変えた。
これ以上ひどくなる前に、この場を離れたかった。
こんなの、付き合っていられない。
「クライ、待ってください」
マリアダが私を止めた。
それから、彼女はレイナの方へ向き直る。
「レイナ様、そこまで厳しくなさる必要はありません。許可なく森へ入ったことは、確かに彼が悪いです……」
「ちっ」
レイナは舌打ちした。
それでも、マリアダは続けた。
「……ですが、猪と虎の件がすべて彼のせいだというわけではありません」
彼女は私を振り返った。
「それに、謝りましたよね?」
レイナの目は、私に向けられたままだった。
「……反省している顔には見えないわね」
彼女は私の顔を指さした。
「反省している人間の顔が、そんなに不細工なはずないもの」
その言葉は、最悪の形で私の神経を逆撫でした。
私は彼女を睨んだ。
「ほらね?」
レイナが言った。
「うっ……! これ以上、何を望んでるんですか?」
私は思わず言い返した。
「謝ったじゃないですか」
「謝った直後に逃げようとしていたでしょうが」
レイナもすぐに言い返した。
「自分の行動に責任を持つことを覚えなさい、このガキ!」
「ガキ……?」
マーカスが両手を上げ、私たちの間に入った。
「お二人とも、そこまでです」
その声は落ち着いていた。
だが、はっきりとした強さがあった。
「この件は、後で片づければよろしいでしょう」
彼はレイナへ視線を向けた。
「今は、もっと重要なことがあります」
レイナとマリアダは、二人とも彼を見た。
「何の話よ?」
レイナは不本意そうに尋ねた。
マーカスは焼け焦げたカリュドールの死体へ視線を向け、それから荒れ果てた中庭を見た。
「鉄牙猪との戦いは、本来の形では進みませんでした」
レイナの表情が変わる。
彼女はすぐに理解した。
「……そうね」
彼女は死体を見返しながら言った。
「私の火力は、本来よりずっと弱かった」
「まさにその通りです」
マーカスが付け加えた。
「あの程度の魔物を、私たち三人で相手取るなど、本来ならあり得ません」
それから、彼は二人を見た。
「通常であれば、二人いれば十分対処できるはずです」
「……なら、今日はどうして違ったの?」
レイナが尋ねた。
「……」
「それは、空気中のマナが少なかったからです」
マリアダが言った。
レイナは彼女へ顔を向けた。
「ん?」
「先ほどから感じていました」
マリアダが答える。
「この周辺のマナが、普段より少ないのです。闇のマナキュルでさえ、薄くなっていました」
「そんなはず……」
レイナは、自分の目でマナを見ようとするかのように空を見上げた。
だが、見る必要はなかった。
彼女には、それを感じ取ることができた。
彼女の言う通りだ。
空気中のマナが少ない。
マーカスが、二人の注意を再び引き戻した。
「原因に心当たりがあります」
全員が彼を見た。
「マナ・ビルドは、術者の身体を強化するために、周囲からマナを取り込むものです。ご存じでしょう?」
「そうね……」
レイナの目がわずかに動いた。
理解が形になり始めていた。
「あなたのせい?」
「残念ながら、違います」
マーカスは一瞬、目を閉じた。
「じゃあ、誰のせいなの?」
レイナが当然の問いを投げかけると、彼は目を開き、私を見た。
全員が私へ振り向いた。
一斉に。
私は固まった。
「何ですか?」
レイナは今度、私を慎重に見た。
私の身体。
私の髪。
私の中を流れるマナ。
「はぁ……」
彼女は長く疲れた息を吐き、片手で顔を覆った。
「なるほどね」
それから、独り言のように呟き始める。
「言うことを聞かない。言うことを聞かない……」
「え?」
私は彼らの間で視線を動かした。
「どうして皆、そんな目で私を見るんですか?」
レイナは手を下ろし、私を見つめた。
「あなたが無茶をする子だとは知っていたけれど、ここまで来ると感心するわ」
「今、どうして私を侮辱するんですか?」
「あなた、自分がずっとマナ・ビルドを使っていることに、私たちが気づかないと本気で思っていたの?」
私は後頭部をかいた。
「……えっと……」
「だから空気中のマナが少ないのね」
レイナは続けた。
「あなたの身体が、ずっと吸い込み続けていた」
彼女はわずかに目を細めた。
「そんな量のマナを身体に入れて、本当に大丈夫なの?」
私が答えるより先に、マリアダが私の両肩を掴んだ。
「どれくらいの間、使っていたのですか?」
その手に力が入っていた。
ついさっきまで私を怒鳴っていたレイナでさえ、マリアダの声に滲む不安に少し驚いたようだった。
「ランブルテイルと戦った時からです」
私はすぐに答えた。
マリアダの表情が引き締まった。
「……止めてください。今すぐに」
「と、止め方が分かりません」
情けなく聞こえないようにする前に、言葉が口から出てしまった。
マリアダは手を離さなかった。
彼女は私を頭から足先まで見た。
顔。
腕。
呼吸。
髪。
一つ一つを確認していく。
レイナが割って入った。
「メアリー、大丈夫よ。副作用らしいものは出ていない。たぶん平気よ」
マーカスも頷いた。
「限界に達すれば、おそらく意識を失うでしょう。命に関わるものではありません」
それでも、マリアダは落ち着かなかった。
むしろ、その言葉でさらに不安を強めたようだった。
「何かしなければ」
彼女は一歩下がり、私へ向けて片手を上げた。
「まだマナを取り込み続けています。供給を断てば、止まるかもしれません」
「マリアダ、待ちなさい」
レイナが言った。
「そこまでする必要はないわ」
マリアダは鋭く振り向いた。
「何をおっしゃっているのですか? 彼は強化を制御できていません。このままでは、過負荷を起こすかもしれません」
「それは分かっているけど――」
「いいえ」
マリアダの声が硬くなった。
「マナの供給を断ちます」
彼女はもう決めていた。
「結界魔法――スペース・カプセル」
その言葉が口から出るのとほとんど同時に、小さな円形の紫色の結界が私の周囲に形成された。
それは私を完全に閉じ込めた。
薄く透明な殻。
滑らかで、淡く光るそれが、中庭の空気と私を隔てていた。
レイナとマーカスは、黙って見ていた。
マリアダはわずかに手を下ろし、私の顔を見つめたまま尋ねた。
「どう感じますか?」
私は自分の身体を見下ろした。
変化はすぐに分かった。
私の中へ流れ込んでいたマナが止まっていた。
「身体が……マナを吸収しなくなりました……」
マリアダの表情が、安堵でわずかに和らいだ。
レイナが息を吐く。
マーカスも少しだけ緊張を解いた。
一秒だけ、問題が解決したように見えた。
だが、私は眉をひそめた。
「……でも、変な感じがします」
安堵が消えた。
ドクン。
心臓が胸を強く打った。
大きく。
全員が動きを止めた。
私の身体を包んでいた光が薄れ始める。
髪に走っていた色も、一本一本抜け落ちるように白へ戻っていった。
何が起きている?
動こうとした。
だが、身体が言うことを聞かなかった。
動け……ない……
私の中にあったマナは消えていなかった。
ただ、正しく流れなくなっていた。
膝から力が抜けた。
次の瞬間、身体の内側にあるすべてが一斉に崩れ落ちたように感じた。
私は倒れた。
体内の圧力が激しくねじれる。
まるで、これまで私の中を流れていたマナが行き場を失ったかのようだった。
細く焼けるような痛みが、皮膚を裂くように走る。
鼻と口から温かい血がこぼれ、視界に黒い斑点が広がっていった。
身体の中に、あまりにも速く何かを詰め込まれたあと、そのまま封じられたような感覚だった。
これで終わりだ。
「クライ……」
マリアダが、そっと私の名前を呼んだ。
彼女は一歩後ろへ下がった。
私が倒れる光景が、彼女の集中を乱した。
スペース・カプセルが震える。
そして、砕けた。
数秒の間、私はただそこに横たわることしかできなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
感想やコメントをいただけると、とても励みになります。
次回は「二十年」です。




