第八話 名前のある魔法
「……ほんとに、危なくなったら止めてね」
「ああ」
セルファは、いつも通りの顔だった。
昨日、魔物を倒したところは見た。この人なら大丈夫だとは思う。でも、怖いものは怖い。
下ろした荷物を道の端へ寄せ、杖を握り直した。
草むらにいる三匹が、こちらを見ている。長い牙も、背中の突起も、自分が戦うと決まった途端、さっきより気になった。
「俺の後ろに立て。まずは一匹だ」
「……分かった」
セルファが前へ出ると、一匹が道へ進み、残る二匹は左右へ広がった。
私も動こうとすると、手で制される。
「そこにいろ」
セルファは右へ回り、二匹との間に入った。刀を少し抜くと、近づきかけていた二匹が足を止める。
「正面の一匹を見ろ」
示された相手へ、杖の先を向けた。
まだ距離はある。灰色の身体が草を押し分けるたび、牙が見えたり隠れたりしていた。
訓練場で教わったことを思い出す。
肩の力を抜く。右足を少し引く。
指先へ集めていた魔力を、今度は握っている杖へ流してみた。先端の魔石で、青白い光が弾ける。
出せそう。
「ねえ、セルファ」
「何だ」
「魔法って名前あるよね?」
「あるものもある」
「これ、名前あんの?」
「知らん」
「知らないんだ」
「お前の魔法だ。好きに呼べばいい」
そんな感じでいいらしい。
魔石で弾ける光を見る。雷っぽくて、口に出した時も、それっぽいやつ。
「……フルメン」
何となく口から出た言葉を、もう一度繰り返した。
《フルメン》。
「うん。これにしよ」
返事がなかった。
横を見ると、セルファがこちらを見ていた。
「どう?」
「……前を見ろ」
「感想は?」
「今は相手を見ろ」
少し強い声だった。
顔を戻すと、ヴァルグが草むらから出てきていた。
「ちょっと待って、もう来てる」
「だから言った」
慌てて杖を向け直す。
少し右。いや、動いたから左。
狙いを合わせようとしているうちに、灰色の身体が低く沈んだ。
地面を蹴った。
「《フルメン》!」
青白い雷が、ヴァルグの横を抜けた。草が裂け、その向こうで土が跳ねる。
外した。
そう気づいた時には、牙がすぐそこまで来ていた。
「うわっ!」
下がろうとして、足がもつれる。
その瞬間、セルファが私の前へ踏み込んだ。横から振られた刀が首を捉え、ヴァルグは足元の草へ倒れた。
向こうで残る二匹が動く。
セルファは刀を構え直し、私を背に庇った。
「大丈夫か?」
「大丈夫……」
杖を支えに、どうにか立ち直る。
私が撃った場所には、黒く焦げた筋が残っていた。狙った相手は、その手前に倒れている。
「一発目から当てるくらい、いけると思ってたんだけど」
「初めて動く相手に撃ったんだ。当たらなくてもおかしくない」
「そういうもん?」
「ああ。ただ、相手から目を離しすぎだ」
セルファは二匹を見たまま続けた。
「杖の先ばかり見ていた。撃ったあとも、その場で止まっていたな」
その通りだった。
魔力を集めて、杖へ流す。名前を呼んで、撃つ。
そっちで頭がいっぱいだった。
「相手を見ろ。外したら、すぐ次の動きに移れ」
「……うん」
「下がるなら、先に足元を確かめておけ」
後ろを見る。荷物は道の端に寄せてあるし、足を取られそうな石もない。
それから、もう一度ヴァルグへ目を戻した。
木板は動かない。外しても飛びかかってこない。
同じ雷を出すだけなのに、全然違う。
「まだやれそうか?」
「……もう一回」
「分かった」
セルファが残る二匹へ近づくと、片方が牙を剥いた。もう一匹は脇へ回り、私へ向き直る。
「そいつだ」
「分かった!」
杖を構えた。
今度は、魔石の光ばかり見ない。
ヴァルグが走り出す。真っすぐ来るかと思ったら、途中で右へ逸れた。
その身体を追い、杖を向ける。
「《フルメン》!」
雷が走った。
また、外れた。
「うそ、また?」
でも、立ち止まらない。斜め後ろへ下がりながら、杖を向け直した。
まだ追ってくる。
魔力を集め直す。さっきより早く、魔石に光が灯った。
「《フルメン》!」
雷が前脚を掠めた。
甲高い声が上がり、灰色の身体が傾く。
「当たった!」
「まだだ!」
分かってる。喜ぶのは、あと。
ヴァルグは脚を踏み直し、こちらへ顔を向けた。
次に動く前に。
「《フルメン》!」
雷が胴体を捉えた。
青白い光が毛の間を走り、身体が大きく跳ねる。そのまま草へ倒れ、動かなくなった。
杖を向けたまま、しばらく待つ。
起き上がってこない。
「……やった」
息が一度に出た。
「セルファ、倒した」
「ああ」
「私が。魔法で」
「分かったから、前を見ろ」
「え?」
もう一匹いた。
セルファの向こうで、最後のヴァルグがこちらを見ている。
低く伏せた身体が地面を蹴った。セルファの脇を抜け、私へ向かってくる。
私も杖を向けようとした。
でも、先端はまだ下がったままだった。
持ち上げて、狙いを合わせて。
その間にも、牙が近づく。
咄嗟に左手を前へ出した。
さっきまで杖へ流していた魔力を、そのまま指先へ。
「《フルメン》!」
掌から、青白い雷が走った。
ヴァルグの胴体に光が弾ける。飛びかかろうとしていた身体が跳ね、目の前の地面へ落ちた。
枯れ草が散った。
左手を伸ばしたまま、動けなかった。
すぐ横まで来ていたセルファが、刀を構えたまま倒れた身体を確かめる。少し待ってから、刃を下ろした。
「……倒した?」
「ああ」
ヴァルグは、もう動かない。
左手を見ると、何も持っていないし、痛くもない。
訓練場で雷が出ることは分かっていた。でも、あれで魔物まで倒せるとは思っていなかった。
「杖なくても、ちゃんと倒せるんだ」
「最初から言ってるだろ」
右手の杖を見る。それから、左手。
「……セルファ」
「何だ」
「これ買う前に、もうちょっと聞けばよかった」
「説明したぞ」
してたな。
◇
「あー、疲れた……」
緊張が切れると、脚から力が抜けた。
道脇へ座り、杖を横に置く。歩いていた時とは違う疲れ方だった。もう一度魔力を集めようとしても、さっきのようにはいかない。
「少し休め。続けて魔法を使ったからな」
「魔法って、こんな疲れんの?」
「使いすぎれば、もっと動けなくなる」
「先に言ってよ」
「今言った」
「それ何回目?」
荷物から水筒を取り出して飲む。
喉を潤してから、左手を開いた。
今日、これで魔物を倒した。
嬉しい。
でも、最後の牙は近かった。
倒れた三匹を見ると、足がもつれた瞬間を思い出す。セルファが入ってくれなければ、一匹目で終わっていたかもしれない。
「最後のも、相手を忘れてたな」
「……うん」
「全部倒すまでは、気を抜くな」
「分かった」
水筒の蓋を閉める。
雷を出すことと、戦うことは違うらしい。覚えること、まだいっぱいある。
横に置いた杖を拾った。金属の輪に空の光が当たっている。
「これ、ほんとにいらなかったかも」
「だから言っただろ」
「今それ聞くの、結構つらい」
ブーツ、買えたかな。
そこまで考えて、杖を傾ける。
魔石の中に、淡い青が見えた。
……でも、可愛いんだよなあ。
「まあ、かっこいいからいいか」
「それで買ったんだろ」
「そうだった」
少し笑って、膝の上へ置く。
次の町までは三日。まだ、一日目の途中だ。
「セルファ」
「何だ」
「もうちょっと休んでいい?」
「ああ」
今度は、すぐに頷いてくれた。
杖を抱え直し、私はもう一口、水を飲んだ。




