第五話 杖は譲れない
ギルドを出て、腰の財布に触れた。
朝より、少し重い。
あのブーツまで、あとどれくらいだろう。そんなことを考えていると、後ろで扉が開いた。
長いローブを着た女の人が出てくる。手には、自分の身長ほどもある杖。先端の青い石が、日の光を受けて輝いていた。
思わず目で追った。
「……セルファ」
「何だ」
「杖買お」
「やめとけ」
「早くない?」
「今のお前にはいらない」
「魔法使いだよ、私」
「だから何だ」
「魔法使いは杖持つじゃん」
「誰が決めた」
「私の中の魔法使い」
セルファは、通りを遠ざかる女の人へ目を向けた。
「杖は魔力を安定させたり、術を組みやすくしたりする道具だ。威力を補うものもある」
「ほら。いるじゃん」
「最後まで聞け」
「はい」
「お前の雷は発動が速い。今は杖を通すより、直接出す方が扱いやすいだろう」
右手を見る。
確かに、昨日は何も持たずに出せた。今日、魔物が来た時に動けなかったのも、杖がなかったからじゃない。
でも。
「持ってた方が魔法使いっぽくない?」
「それが理由なら好きにしろ」
「じゃあ買う」
「ただ、あんな長いのはやめとけ。旅には邪魔だ」
もう一度、女の人の杖を見る。
あれを持って薬草を採るとなると、毎回どこかに置くことになる。林の枝にも引っかかりそうだった。
「短いやつは?」
「そこまで欲しいのか」
「一回は持ってみたい」
セルファが小さく息を吐いた。
「じゃ、見に行こ」
「俺もか?」
「分かんないんだから来てよ」
「今説明しただろ」
「買う時も説明して」
一歩踏み出してから、止まる。
どこで売ってるんだろ。
隣を見ると、セルファが反対側の通りを指した。素直についていく。
◇
案内された店に入った瞬間、足が止まった。
壁一面、杖だった。
片手で扱えそうな短いものから、私の背より長いものまで。木を削っただけのような柄もあれば、銀色の装飾が絡んだものもある。
先端にはめ込まれた石は、赤、青、緑に紫。透明な石の向こうには、壁の木目が透けていた。
「おー……かっこいい」
近くの一本を覗き込み、隣へ目を移す。
「こういうのだよ。私が想像してた魔法使いって」
「そうか」
「反応うす」
「杖だろ」
「そりゃそうだけど」
セルファには、見慣れた道具なんだろう。
私は、画面の中でしか見たことがない。それが目の前にあって、選んで買える。
ちょっとすごくない?
大きな青白い魔石のついた杖に目が留まった。
濃い色の木でできた細身の柄に、銀色の金具が巻きついている。石を囲む細工も綺麗だった。
「これ、めっちゃいい」
「長いぞ」
「そこがいいんじゃん」
「さっき言っただろ」
分かってる。
でも実物見ると、話変わるじゃん。
近づいて細工を眺め、値札へ目を落とした。もう一度、桁を数える。
「……うん。無理」
「だろうな」
「石一個でこんなする?」
「上等な魔石だからな。大きさだけじゃなく、純度や魔法との相性でも値段は変わる」
詳しいことは分からない。私が今日買うものじゃないのは分かった。
「じゃ、これは?」
「それも高い」
「……次」
装飾が控えめなものの並ぶ棚へ移った。
異世界の魔法使い、お金かかる。
そこで、細い黒い柄が目に留まった。
立てると胸元に届くくらいの長さ。先端には細い金属の輪を重ねた枠があり、その中心に透明に近い魔石が収まっていた。
横から見ると、石の中に淡い青が見える。少し傾ければ紫にも見えて、正面に戻すと、また向こう側が透けた。
「……これ好き」
今度は先に値札を見る。
安くはない。でも、さっきみたいに即諦める値段でもなかった。
手に取ると、見た目より軽い。細い柄が掌に収まり、傾けた先で金属の輪が光った。
鏡の前へ移動する。
金髪に眼鏡。黒いローブ。そこに、杖。
「めっちゃ魔法使いじゃん、私」
「それが一番大事なのか?」
「大事でしょ」
持つ位置を変えてみる。ローブとの釣り合いも、いい感じだった。
差し出すと、セルファが杖を受け取った。柄を回し、継ぎ目や魔石を確かめている。
やっぱり、来てもらってよかった。
私だけだったら、鏡見て終わってる。
「これなら悪くない。今のお前には十分だ」
「ほんと?」
「ああ」
「じゃあ、これにする」
「その金で、先に旅の道具を揃えられるぞ」
「旅の道具?」
セルファが杖を返してきた。
「東へ行きたいんだろ」
柄を受け取りながら、昨日の宿の前を思い出した。
途中まで一緒に行くかと誘われて、今日決めると答えた。服を買って、薬草を採って、今は杖を選んでいる。
目の前のことばかりだったけど、もう返事はできる気がした。
「……行くよ」
「いいのか?」
「昨日よりはセルファのこと分かったし」
「一日いただけだろ」
「昨日よりは、って言ったじゃん」
知らないことは、まだ多い。
どうして東へ行くのかも、私の名前を聞いて足を止めた理由も分からない。
でも、毒草へ手を伸ばせば止めてくれた。魔物が出た時には、私の前へ立った。そのあとも、こうして買い物に付き合ってくれている。
「一人で行くより、セルファと行った方が楽しそうだし」
「そうか」
「そこは、よろしくとかないの?」
「……よろしく」
「言わせたみたいになったじゃん」
「言わせただろ」
それもそうか。
少し笑って、杖を持ち直す。
「で、旅の道具って?」
「まず鞄だな。宿に置いてある、あれで行くつもりか?」
学校の鞄を思い浮かべた。
教科書と筆箱なら入る。食料と毛布は、ちょっと厳しい。
「……無理だね」
「だろ」
「じゃあ、杖やめた方がいい?」
「俺は最初からそう言ってる」
「それは嫌」
セルファが黙った。
気に入った一本を、もう一度見る。やっぱり棚へ戻したくない。
「杖も鞄も買う」
「金は?」
財布を開き、値札と見比べた。
「……鞄、いくらくらい?」
教えてもらった額を、残りのお金から引く。必要なものを揃えるなら、ほかの買い物は我慢するしかなさそうだった。
ブーツが、遠のく。
でも、手の中の杖は譲れない。
「これにする」
会計へ向かうと、セルファがもう一度だけ息を吐いた。
◇
次は、市場の一角にある旅道具の店だった。
入口から奥の壁まで、大小さまざまな鞄が並んでいる。肩掛けの小さなもの、外側にいくつも袋がついたもの。背中をすっぽり覆いそうなものもあった。
「これじゃない?」
一番大きな鞄の前で止まる。
「いっぱい入る」
「やめとけ」
「なんで?」
「お前、入るだけ詰めるだろ」
「入るなら入れた方がよくない?」
「自分で背負うんだぞ」
棚から持ち上げてみると、空なのにもう重い。
ここへ食料と毛布を入れて、一時間歩く。旅なら、その先も歩く。
「なしで」
「決めるの早いな」
セルファが示したのは、一回り小さなバックパックだった。
厚手の布でできていて、底や留め具には革が使われている。口は大きく開き、外側にも小さな収納があった。
「これくらいで十分だ」
「地味じゃない?」
「旅道具だぞ」
「毎日持つんだから、見た目も大事でしょ」
隣の、革の飾りが多いものへ手を伸ばす。
こっちの留め具、可愛い。
「重さは?」
持ち上げた腕に、ずしっときた。
「……ちょっと重い」
「なら、こっちだ」
言い返したかったけれど、林から戻ってきた時の足を思い出した。
セルファの選んだ鞄を背負ってみる。肩紐が太く、背中にも思ったより収まりがいい。
鏡の前で横を向く。ローブと合わせても、そんなに変ではなかった。
「まあ、悪くない」
「何と戦ってるんだ」
「見た目」
「そうか」
結局、その鞄を買った。
次は中へ入れるものだ。持ち歩ける食料、水を入れる容器、毛布、火を起こす道具に傷薬。
セルファに必要なものと使い方を聞きながら、何軒かの店を回った。
毛布も、広げた時だけ見ればいいわけじゃない。畳んで鞄につけられるか、重すぎないか。食料も、どれくらい日持ちするのかを確かめる。
眺めるだけなら、全部面白かったのに。
自分で背負うとなると、急に選ぶのが難しい。財布の中身も、減っていく。
「旅って金かかるね」
「今さらか」
「杖買ったんだけど」
「知ってる」
「もうちょっと止めてよ」
「止めただろ」
「もっと本気で」
「知らん」
確かに止められた。
でも、今だって杖を返したいわけじゃない。
柄を握り直したところで、甘い匂いがした。
露店に、小さな焼き菓子が並んでいる。薄く焼き色のついた、一口くらいの大きさ。袋に入っていて、持ち歩けそうだった。
「あ、これも」
「いらん」
「いる」
「何に使う」
「食べる」
「旅に必要なものを買ってるんだぞ」
「途中で甘いもの食べたくなったら?」
「我慢しろ」
「無理」
一番小さな袋を買った。
セルファが、その袋を見ている。
「これは必要だから」
「まだ何も言ってない」
「顔で言ってた」
鞄の口を開き、菓子が潰れない場所を探す。重い物の下は嫌なので、一番上の隙間へそっと入れた。
最後に、丸めた毛布を外へ括りつける。
空だった鞄が、すっかり旅人の荷物になった。両肩へ背負ってみる。
「……おも」
店で試した時とは、全然違う。
肩紐を直すと、セルファが留め具を指した。
「そこも締めろ。荷物が動く」
「こう?」
「ああ」
少し歩いてみる。
さっきよりは、背中に落ち着いた。
◇
買い物を終える頃には、建物の隙間から差す光が橙色になっていた。
市場では空いた木箱が積み上げられ、店先から品物が下げられている。人を避けるたび、背中の荷物が少し遅れて動いた。
片手には、買ったばかりの杖。
先端の輪に夕日が当たる。財布はだいぶ軽くなったけど、やっぱり買ってよかった。
「セルファ」
「何だ」
「ほんとに行くんだね」
「ああ」
「東だっけ?」
「そうだ」
その先には、海がある。
数年かかると言われた場所。旅に出たって、すぐには着かない。
途中には知らない町があって、その間には、今日みたいな街道や林が続いているんだろう。魔物も出るし、歩き疲れる日もある。
それでも、行ってみたい。
「楽しみかも」
セルファがこちらを見た。
「ああ」
短く答えて、また前を向く。
私も肩紐を引き、鞄の位置を直した。ブーツは、しばらく買えそうにない。
でも、宿へ帰ったら荷物を詰め直そう。学校の鞄に入っているものも、全部は持っていけないだろうし。
杖を持ち直すと、魔石の中に淡い青が見えた。
これを持って海の前に立ったら、どんな感じだろう。ローブの裾が風で広がって、杖の先が光って――。
「前見ろ」
「あ、うん」
足元の石を避ける。
まずは、宿まで転ばずに帰ろう。
少し遅れた足を速め、セルファの隣へ戻った。




