第四話 閃く刃
目的の林までは、歩いて一時間ほどだった。
晴れた空の下を、街道が緩やかに続いている。両脇には背の低い草が広がり、風が吹くたび、葉の裏が白っぽく光った。
昨日は町を目指していたのに、今日はその町を背にしている。隣に道を知っている人がいると、景色を見る余裕もあった。
足が疲れるのは、変わらないけど。
「ねえ」
「何だ」
「旅って、毎日こんな感じ?」
「こんな感じって?」
「歩く」
「歩くな」
「地味だね」
「戻るか?」
「それは嫌」
知らない景色を見るのは楽しい。そこまで全部、自分の足で行くとは思ってなかっただけ。
道端の草から大きな虫が飛び出し、思わずセルファの方へ寄った。ちらっと見られたので、何事もなかった顔で遠くを指す。
「あの山、名前あるの?」
教えてもらった名前を繰り返しているうちに、街道の先へ木々が近づいてきた。
林へ入ると、頬に触れる空気が少し冷たくなった。枝葉の間から日が差し、落ち葉の隙間には細い草や、小さな花が生えている。
頭上で鳥が鳴いた。
見上げても、葉が揺れるばかりで姿は見つからない。セルファが木の根元で足を止め、しゃがんだ。
「これだ」
隣から覗くと、白い花が咲いていた。細長い葉にも見覚えがある。受付で見せてもらった薬草だ。
「あ、これね。覚えた」
「似た毒草があるから気をつけろ」
「先に言ってよ」
「今言っただろ」
まあ、採る前だからいいか。
少し離れたところへしゃがみ直し、葉の陰を覗く。同じような花は、すぐに見つかった。
「あった」
根元へ手を伸ばす。
「それは違う」
「……嘘でしょ」
手を止め、セルファが持つ薬草と見比べた。
一緒じゃん。
「どこが?」
「花びらを見ろ。薬草は五枚だ」
顔を近づけて数える。
一、二、三、四、五。もう一枚ある。
「細かっ」
「そっちが毒草だ」
「危な」
初仕事で毒を納品するとこだった。
次に見つけた花は、五枚あるのを確かめてからセルファを呼んだ。
「これは?」
「ああ。それだ」
頷いてもらってから採り、袋へ入れる。
何株か探すうちに、少しずつ見つけやすくなってきた。上から眺めるより、しゃがんで葉の間を覗く。木の根元にも、いくつかまとまって生えていた。
「私、才能あるかも」
次の株へ手を伸ばしたところで、横から小さく息を吐く音がした。
花びらを数え直す。六枚。
「……今笑った?」
「笑ってない」
「絶対笑った」
「薬草探せ」
「誤魔化した」
その花から手を離し、隣の葉を持ち上げる。小さな虫が逃げていった。
洞窟も宝箱もない。二人でしゃがんで、花びらを数えているだけだ。
でも、思っていたより退屈ではなかった。
枝の隙間から差し込む光が、白い花と、土のついた指先を照らしている。場所を変えるたびに袋の中身が増えていくのも、ちょっと嬉しい。
必要な数までは、あと少しだった。
袋を確かめていると、離れた茂みが音を立てた。
顔を上げると、セルファもそちらを見ていた。
風かと思ったけれど、周りの枝は揺れていない。同じ場所だけが、内側から押されるように動いている。
「ヤマハ」
「うん」
セルファが立ち上がった。
枝の擦れる音に、低い唸り声が混じる。
葉の奥から灰色の頭が現れた。大型犬くらいの身体に、口元から覗く長い牙。背中には骨のような突起が並んでいる。
低く伏せた顔が、こちらを向いた。
「……あれ、魔物?」
「ああ。下がってろ」
セルファが私の前へ出て、刀の柄に手を掛けた。
袋を握り直して立ち上がる。一歩下がると、踵が木の根に当たった。
その瞬間、魔物が地面を蹴った。
速い。
茂みの前にいた灰色の身体が、もうセルファのすぐ近くにある。
刀は、まだ鞘の中だった。
「ちょ――」
セルファが身体をずらし、抜き放った刃が魔物の首元を横切った。
銀色の光が見えたのは、一瞬だけだった。
駆け抜けた魔物の脚がもつれ、その身体が地面へ崩れる。鈍い音と一緒に、枯れ葉が跳ねた。
セルファの右手には、刀があった。
私は袋を抱えたまま、動けずにいた。倒れた魔物も動かない。
セルファはしばらくその身体を見てから、刃についた血を払った。刀が鞘に収まり、小さな音がする。
そこでようやく、止めていた息が出た。
「……何それ」
「何がだ」
「めっちゃカッコいいじゃん」
「そうか」
「反応うす」
「褒められるためにやったわけじゃない」
「そういうとこまでカッコつけてる?」
「つけてない」
声は、さっきまでと同じだった。
私はまだ、心臓がうるさい。なのにセルファは、薬草を見つけた時と変わらない顔をしている。
強いんだろうとは思っていた。でも、こんなにあっさり倒せるとは知らなかった。
魔物へ目を戻す。背中の突起の間には、灰色の毛が生えていた。
少しだけ近づこうとすると、セルファに止められた。
「触るな」
「見るだけ」
「牙に毒がある」
足が止まった。
開いた口から、白い牙が覗いている。さっき、こっちへ向かってきたやつだ。
「……先に言ってよ」
「今言った」
「今日それ多くない?」
セルファは周りの木々へ視線を巡らせてから、私の袋を見た。
「あとどれくらいだ」
中を確かめようとして、袋の口を強く握っていたことに気づいた。指を緩め、潰れた葉をそっと直す。
「もう少し」
「集めて戻るぞ」
「うん」
しゃがみ直しても、茂みが気になった。
鳥が鳴く。葉が擦れる。さっきと同じ音なのに、その奥に何かいるような気がする。
横では、セルファが草を確かめていた。
あの速さで飛びかかられたら、私に何ができただろう。
雷を使うことなんて、思いつきもしなかった。昨日は、止まっている木板に向けて出しただけだ。
土のついた右手を見る。
指を開いてから、目の前の白い花へ視線を戻した。
一、二、三、四、五。
まずはこれを、ちゃんと持って帰ろう。
◇
帰りは、行きより足が重かった。
何度もしゃがんだせいか、歩くと脚までだるい。ローファーの中では、足の指も痛くなっていた。
袋を持ち直す。
せめて、これ以上は薬草を潰さないように。
町の門が見えた時には、ほっとした。
ギルドへ戻り、受付で袋を渡す。女性は薬草を取り出し、一株ずつ確かめていった。
途中で、いくつかを脇へ分ける。
「それ、違いました?」
「いえ。こちらは葉が傷んでいるので」
「ああ……」
茎が折れたものもあった。
数を揃えるだけじゃ駄目らしい。
残りの株を目で追う。足りるかな。余分に採ってきたけど。
女性が最後の一株を置き、顔を上げた。
「必要な数は揃っています。お疲れさまでした」
よかった。
差し出された報酬を受け取る。掌に、硬貨の重さが乗った。
「……これ、私が稼いだお金?」
「そうだな」
隣のセルファが答えた。
昨日もお金は手に入れた。でも、あれは持っていたものを売っただけだ。
今日は林まで歩いて、しゃがんで、何度も花びらを数えた。指先には、まだ土が残っている。
硬貨を傾けると、表面の模様に窓からの光が当たった。
「なんか嬉しい」
「そうか」
しばらく眺めてから、セルファを見る。
「半分いる?」
「いらん」
「なんで?」
「ほとんどお前が採っただろ」
「魔物倒したじゃん」
「ついでだ」
ついでで、あれ倒すんだ。
差し出してみても、受け取る様子はなかった。
「……じゃあ、もらっとこ」
遠慮は一回で十分。
財布へ硬貨をしまう。朝の買い物で心細くなっていた中身が、少し増えた。
ブーツには、まだ足りない。でも、近づいた。
ギルドを出ると、ローブの裾に枯れ葉がついていた。摘まんで落とし、土の汚れを軽く払う。
朝は、これを着て雷を出すところばかり想像していた。実際にはずっと草を探して、魔物が出た時には立っているだけだったけど。
「セルファ」
「何だ」
「雷の練習も、また付き合ってくれる?」
「ああ」
短い返事だった。
昨日、木板につけた黒い筋を思い出す。次はもう少し、狙ったところへ出せるようになりたい。
歩き出すと、ローファーの中で足がじんと痛んだ。
……その前に、ブーツかも。
服屋の前を通ったら、値段をもう一度見ておこう。
財布を確かめて、私はセルファの隣へ並んだ。




