第三話 まずは格好から
翌朝、目を覚まして最初に見えたのは、まだ見慣れない天井だった。
窓の方が明るい。廊下からは、誰かの足音が聞こえてくる。机へ手を伸ばして眼鏡をかけると、椅子の背に掛けた制服も、壁のランプも、昨夜と同じ場所にあった。
「……ほんとに異世界じゃん」
寝たら元に戻るとか、そういうのはないらしい。
スマホを手に取る。圏外。充電は昨日より減っていた。
これ、なくなったらどうするんだろ。コンセントなんて見当たらないし。
昨日、売った方がよかったかな。
画面を見つめてから、机へ戻した。まあ、まだいい。
窓を開けると、冷たい空気と一緒に町の音が入ってきた。
店の前へ木箱を運ぶ人。その横をゆっくり通る馬車。向かいの建物では、二階の窓から布団が干されていた。
異世界でも布団は干すんだ。
窓辺の人が、布の端を引っ張っている。昨日は剣や魔法ばかり気になっていたけれど、こうして見ると、ちゃんと誰かの住んでいる町だった。
お腹が鳴った。
「ご飯……」
椅子の制服へ手を伸ばしかけて、止まる。
その前に、服だ。
昨日もこれ。今日もこれ。放っておいたら、明日もこれ。
「いや、さすがに無理」
開いた窓から、パンの焼ける匂いが流れてきた。ちょっとだけ外を見てから、制服を手に取る。
先に服。パンは逃げない。
◇
結局、昨日と同じ制服を着て宿を出た。
新しい服を買うために、昨日の服を着ていく。仕方ないけど、なんか負けた気がする。
朝の通りには、もう人が集まっていた。
焼きたてのパンが並ぶ店。その向かいでは、野菜や見たことのない赤い果物が屋台に積まれている。どこかから鉄を叩く音も聞こえた。
気になるものは多いけど、今は服屋。
昨日歩いた道を思い出して角を曲がる。
「……あれ?」
知らない店だった。
一つ手前だったかと戻ってみても、似たような石の建物が並んでいる。
昨日、何を見て歩いてたっけ。
店。服。食べ物。
道、見てないわ。
しばらく歩き回り、ようやく大通りへ出た。店先に掛かった灰色のローブを見つけて、思わず足が速くなる。
「あった」
昨日見たものだ。肩の金具も、裾の形も、やっぱり可愛い。
もう一度持ち上げてみる。
うん。重い。
「それ、買うのか?」
「うわっ」
すぐ後ろから声がした。
振り返ると、セルファが立っている。髪を後ろで束ね、腰には細身の刀を一本下げていた。
「びっくりした」
「そんなに驚くか?」
「後ろから急に喋られたら驚くでしょ」
セルファは、私が持っているローブへ目を向けた。
「昨日のやつか」
「うん。可愛いんだけど、やっぱ重い」
「だから言っただろ」
「見るだけならいいじゃん」
裾を戻して、店の中を覗く。
「ていうか、なんでいるの?」
「ギルドへ行く途中だ」
「あ、私も行く。服買ったら」
昨日、一緒に仕事をする話になっていた。あとで探す手間が省けた。
「朝飯は?」
「まだ」
「先に食え」
「服見てから」
「飯が先だろ」
「服」
セルファが黙った。
「……好きにしろ」
「最初からそうするつもり」
せっかく辿り着いたんだから、もう離れたくない。
◇
店の中は、外から見るより広かった。
壁には上着やローブ。棚には畳まれたシャツとパンツが並び、革のベルトや小さな鞄もある。奥にはブーツまであった。
昨日は、見るだけだった。
今日は気に入ったものを買える。それだけで、ちょっと楽しい。
上着を手に取り、鏡の前で身体に合わせてみる。
色は好き。でも丈が短い。隣のものは裾が可愛いけれど、垂れた飾りがあちこちに引っかかりそうだった。
見た目と、重さと、動きやすさ。昨日よりは考えながら選んでいるつもりだ。
「まだ決まらないのか」
「まだ五分くらいでしょ」
「十分以上いる」
「服選ぶのに十分は一瞬だよ」
「そうか」
分かってない返事。
店の奥へ進んだところで、壁に掛かった一着が目に留まった。
黒いローブだった。
大きく開いた前から、白に近い薄い裏地が覗いている。裾は長さの違う布が重なっていて、袖は少し広め。腰の辺りには、小さな金具が並んでいた。
裾を持ち上げる。
軽い。指を離すと、生地が柔らかく揺れた。
「……これ可愛い」
鏡の前で合わせてみる。
黒の間に白が見えるから、重たい感じにならない。短いパンツとブーツを合わせたら、絶対いい。
鏡に映る、金髪と眼鏡と黒いローブ。
ここで手から雷とか出したら。
「いいじゃん」
「何がだ」
「全部」
横に来たセルファが、鏡を見る。
「これ着て雷使ったら、めっちゃそれっぽくない?」
「雷は服で変わらないぞ」
「そういう話じゃない」
なんで性能の話になるの。
ローブに合わせて白いシャツと、短めの黒いパンツを選んだ。太めの革ベルトには、小さなポーチもつける。
値段を聞くたび、残るお金を数えた。宿代と食事代は残さないといけない。
「セルファ」
「何だ」
「どう?」
選んだ服を身体の前に重ねて見せる。
「動きやすそうだな」
「可愛いか聞いてんの」
「最初からそう言え」
「今ので分かるでしょ」
セルファはもう一度服を見た。
「悪くないんじゃないか」
微妙に褒めるじゃん。
まあ、私が気に入ってるのでいい。
最後に靴の棚へ向かった。
黒いショートブーツがある。金具の色もローブに合っていた。
これまで揃えたら、完璧では。
「金、なくなるぞ」
手に取ったところで、横から言われた。
財布を開く。シャツ、パンツ、ローブ、ベルト、ポーチ。そこにブーツを足す。
……今夜、どこで寝る?
そっと棚へ戻した。
「ブーツは今度にする」
「そうしろ」
「でも絶対買う」
「好きにしろ」
今日はローファー。
足元だけ学校でも、仕方ない。
◇
会計を済ませ、買った服を抱えて宿へ戻った。セルファには下で待っていてもらい、部屋で着替える。
白いシャツに黒いパンツ。ベルトを締め、ポーチを腰へ下げた。最後にローブを羽織る。
歩くと、長さの違う裾が脚の横で揺れた。少し回ってみれば、ふわっと広がって、遅れて戻ってくる。
「おお」
魔法使いっぽい。
昨日は制服のまま雷を出していたけれど、こっちの方が断然いい。
もう一度だけ回ってから、眼鏡を直した。脱いだ制服を畳み、鞄のそばへ置く。
部屋を出る前に振り返ると、今度はそっちが妙に浮いて見えた。
階段を下りる。
セルファが顔を上げたので、ローブの裾を軽く持ち上げてみせた。
「似合ってる?」
「さっき見ただろ」
「合わせるのと着るのは違うじゃん」
「……似合ってる」
「最初からそれ言えばいいのに」
「聞かれたから言っただけだ」
可愛げないな。
でも、ちょっと嬉しい。
裾を見下ろしたところで、お腹が鳴った。セルファの目が、私の顔へ戻ってくる。
「ご飯にしよ」
今度は素直にそう言った。
◇
遅めの朝食を済ませ、ギルドへ向かった。
扉を開けると、人の声が重なって聞こえた。
受付で話す鎧姿の男。その後ろには、大きな斧を背負った女の人が並んでいる。杖を持つ老人も、私とあまり歳の変わらなさそうな子もいた。
相談所とは、また違う。
椅子の脇に置かれた荷物や、背中の武器が、やけに目に入った。自分もローブを着ているせいか、そこまで浮いてはいない気がする。
たぶん。
「なんかそれっぽくなってきた」
「何がだ?」
「私」
「そうか」
セルファは壁際へ向かった。
何枚もの紙が貼られている。大きさも書き方もばらばらで、読んでいた人が一枚取って、受付へ持っていった。
「これ、依頼?」
「ああ」
隣に並んで読んでみる。文字は普通に分かった。
昨日の値札も読めたし、この辺は神様がちゃんとしてくれたらしい。
ただ、書いてある魔物が何なのかは分からない。犬くらいなのか、熊くらいなのか。
報酬を見て宿に何泊できるかは考えられても、それで割に合う仕事なのか、さっぱりだった。
「これ何?」
一枚を指差す。
「街道沿いに出る小型魔獣の討伐」
「お、いいじゃん」
「今のお前には無理だ」
「早」
小型なのに。
隣の紙へ指を移した。
「これは?」
「荷運び。一日仕事だ」
「んー……こっちは?」
「下水路の掃除」
「なし」
「即答だな」
「選べるうちは選びたい」
店番、採取、迷子の家畜探し。並んでいるのは、思ったより身近な仕事だった。
「もっと洞窟行ったり、宝箱探したり、竜倒したりするのかと思ってた」
「そういう依頼もある」
「あるんだ」
「今のお前には無理だ」
「それは分かってる」
竜は、見つかったら死ぬって昨日聞いた。服を買っただけで勝てるとは思ってない。
壁に沿って見ていくと、薬草採取の紙があった。
「これは?」
「町の近くの林だ。場所さえ分かれば難しくない」
「危なくない?」
「魔物が出ることはある」
「出るんじゃん」
「町の外なら、どこでも可能性はある」
昨日、一人で草原を歩いてきたのを思い出す。
……普通に危なかったのでは。
もう一度、紙へ目を戻した。
一人で知らない草を探すのは不安だけど、セルファは場所を知っているらしい。町の外も見ておきたい。
一緒に旅をするかどうか、まだ決めていないのだから。
「セルファも来るよね?」
「一人で行くつもりだったのか?」
「ない」
「なら聞くな」
当然みたいに言う。それは助かるけど。
もうちょっと言い方あるでしょ。
薬草採取の紙を壁から取った。
「これにする」
「ああ」
受付へ持っていくと、必要な量と、採る時の注意を教えてもらえた。
見本も出してくれたので、葉の形と茎をよく見る。
今は分かる。林に入って、ほかの草と混ざっていたら分からない気もする。
最後にもう一度見せてもらってから、受付を離れた。
ギルドの扉を開ける。
通りへ吹き込んだ風に、ローブの裾が揺れた。腰のポーチを確かめる。新しい革は、まだ少し硬い。
「行くぞ」
「うん」
セルファの隣へ並ぶ。
通りを歩きながら、頭の中で見本の葉を思い浮かべた。細くて、縁が――どんなだったっけ。
「セルファ」
「何だ」
「薬草、見たら分かる?」
「分かる」
「よかった」
「お前も覚えろ」
はい。
まずは、ちゃんと見つけて帰ってこよう。
ブーツ代も稼ぎたいし。




