↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
46/47

第四十四話 追う者

エマちゃんの手を引いて、木々の間を走った。

枝が袖に引っかかる。避けた先には根が張り出していて、足元に気を取られると、今度は顔に葉が当たった。払いのける暇もなく、そのまま走る。

背後で、何かが砕けた。

振り返りかけた私の肩を、セルファが押す。


「止まるな」


その向こうで、水が木の幹を貫いた。

倒れてくる木を、シルヴィーがユスラフの柄で押し返す。幹が隣の木に引っかかり、頭の上から葉と細い枝が降ってきた。


「こっちだ!」


セルファが斜面へ向きを変える。

木々の間に、石の露出した道があった。昔は荷車でも通っていたのか、草に埋もれた轍《わだち》が二本続いている。


「この先に橋がある。渡れば、上へ抜けられる」


握った手が、汗で滑りそうだった。

エマちゃんの息が近くで聞こえる。私も、もう苦しい。遺跡からずっと走っているのに、後ろの音は少しも遠ざかってくれなかった。


◇

橋は、細い谷に架かっていた。

濁った水が下を流れている。手すりの一部は折れ、古い板の隙間から谷底が見えた。

セルファが先に足をかける。

板が鳴った。


「……これ、渡って大丈夫なやつ?」

「一人ずつ来い」


答えになってない。

けれど、セルファはもう向こう岸へ渡っていた。こちらを振り返り、橋の先で待っている。


「エマ、先だ」

「エマちゃん、行って」

「でも、ヤマハさんは……」

「私もすぐ行くから。向こうで待ってて」


エマちゃんが橋へ踏み出す。

一歩ごとに板が沈み、張られた縄が揺れた。見ているだけで、変なところに力が入る。

早く渡ってほしい。でも、急いで踏み抜かないでほしい。そんなことを考えている間に、シルヴィーが私の前へ出た。森の奥で、水音がした。

濡れた地面から細い流れが集まり、木々の間を這ってくる。その上を歩くようにして、あの女が現れた。

裂けた袖の下に、赤い傷が見える。

さっき、私の雷が当たった場所だ。それでも、こちらへ来る足は止まらなかった。


「ずいぶん大事に運ぶのね」


女の視線が、私の鞄へ落ちる。

中には、布を巻いた封刃《クラヴィス》が入っている。私は肩紐を握り直した。


「使い方も知らないくせに」

「だから渡すとでも思ったか?」


シルヴィーがユスラフを構えたまま、私に言う。


「ヤマハ。行け」


エマちゃんは、もう向こう岸へ着いていた。

私は橋へ走った。

一歩目で、思ったより大きく揺れる。


「うわっ」


手すりを掴み、なんとか足を出した。下は見ない。板を見る。踏めそうなところだけを見る。

背後で、武器が何かを弾く音がした。

あと少し。

セルファの手が届きそうなところまで来た時、飛んできた水が橋を叩いた。

靴の裏が滑る。膝が板へぶつかり、痛いと思うより先に、身体が横へ傾いた。


「ヤマハ!」


セルファが岸から身を乗り出し、私の腕を掴んだ。

そのまま引かれ、土の上へ転がり込む。鞄が横腹に食い込み、息が詰まった。


「立てるか」

「……立てる」


膝がひりひりする。でも、動く。

セルファの手を借りて立ち上がると、対岸では、シルヴィーがまだ女と向き合っていた。


◇

水の刃が、ユスラフの柄を滑った。

シルヴィーが武器を傾けて受け流し、そのまま女の足元へ穂先を突き出す。女は半歩下がり、刃は土を抉《えぐ》った。

腰についた黒冠《ワーテル》の周りで、水が薄く広がる。

その一部が、シルヴィーの脇を抜けた。

こっちへ来る。

セルファが私たちの前へ出て、二本の刀で流れを断った。弾けた水が顔にかかる。その後ろから、もう一本が伸びてきた。


「下がれ!」


エマちゃんと一緒に身を伏せる。

頭の上で、手すりが切れた。

縄が外れ、橋の片側が大きく沈む。板が傾き、何枚かが谷へ落ちた。

まだ、シルヴィーが渡っていない。


「シルヴィー!」


声を上げた時、対岸で落ち葉が一斉に浮いた。

シルヴィーの足元から風が広がり、迫る水の刃を横へ押し流す。ユスラフの鉤《かぎ》で女の前に張られた水を引き裂くと、その隙に橋へ踏み込んだ。

板が割れた。

けれど、シルヴィーは落ちなかった。

踏み切った足の下から風が吹き上がり、大きな身体が傾いた橋を飛び越える。

こちらの岸へ着地した瞬間、セルファが腕を掴んだ。二人の足が土を削り、谷の縁で止まる。


「……風も使えんの?」


シルヴィーは橋の向こうを見たまま、短く息を吐いた。

首元の鱗《うろこ》が、さっきよりはっきり浮いている。袖から見える腕にも、硬そうな鱗が連なっていた。


「あと、なんか……身体も変わってない?」

「龍気《りゅうき》だ」


セルファが答える。

シルヴィーはユスラフを握り直し、こちらを見ずに言った。


「説明は後でな」


谷の向こうで、水が持ち上がった。

壊れた橋が押しのけられ、残っていた板も落ちていく。女が足を前へ出すと、その下へ水が集まった。

流れが、谷を渡るように伸びてくる。

橋がなくても、関係ないんだ。

セルファが私を見た。


「ヤマハ。刀へ流せるか」


二本の刃が差し出される。

私は頷き、右手を上げた。指が少し震えている。走ったせいか、怖いせいか。たぶん、どっちもだ。

それでも、やり方は覚えている。


「《フルメクタ》」


指先で弾けた火花が、刀身へ移った。

黎閃《れいせん》と宵閃《しょうせん》に青白い光が走る。セルファは刃に流れる雷を確かめ、女へ向き直った。


「シルヴィー」

「ああ」


エマちゃんが私の袖を引く。


「こっちです」


道の脇に、崩れかけた石壁があった。二人でその陰へ入り、坂の下を見る。

走るだけじゃ、追いつかれる。

あの人を、一度止めないと。



◇

水の上から女がこちらの岸へ降りた瞬間、シルヴィーが地面を蹴った。

足元の石が跳ねる。さっきより、速い。

ユスラフの斧刃を、女が水の膜で受け止めた。衝突の音が石壁の向こうまで響き、膜が大きく沈む。

シルヴィーは押し返されず、そのまま柄を捻った。

鉤が膜の端に食い込む。

そこへ風が吹き込み、水を横へ引き剥がした。

セルファが、空いた隙間へ入る。

青白い光が二本、交差した。

女が身を捻る。長い刃が脇腹を掠《かす》め、短い刃が腰の冠へ迫った。

その直前で、水が弾ける。

刀を逸らした女が、初めて大きく後ろへ下がった。


「……鬱陶しい」


足元の水が、二人を囲むように広がった。

シルヴィーがユスラフを引く。中央で柄が分かれ、左右の刃がそれぞれの手に収まった。

右の刃で顔を狙い、女が避けた先へ左の刃を振るう。

迫っていた水の切っ先は、風で横へ逸れた。シルヴィーはそのまま踏み込み、女の腕を弾き上げる。

脇腹から血が落ちた。

遺跡で受けた傷だ。服に赤い染みが広がっているのに、シルヴィーは下がらなかった。

セルファの刀が、もう一度腰へ伸びる。

女が足を踏み込んだ。二人の足元で、水が盛り上がる。


「セルファ!」


私は石壁から手を出した。

女の顔へ狙いをつける。


「《フルメン》!」


青白い雷撃が、一直線に走った。

女がこちらへ顔を向け、肩を引く。光は頬のすぐ横を抜け、後ろの木に弾けた。

外した。

けれど、女が私へ注意を向けた一瞬、足元の水の立ち上がりが鈍った。

セルファが跳び退く。シルヴィーも風をまとって横へ抜けた。

直後、噴き上がった水が、二人のいた場所を打ち抜く。石が砕け、破片が壁に当たった。

エマちゃんが私の腕を引く。


「ヤマハさん、上へ!」


石壁の横には、坂道が続いていた。

走り出すと、すぐにセルファが追いついた。シルヴィーも後ろへつく。

四人で坂を上がった。背後で、木が折れる。

足音は、まだついてくる、あれだけやっても。

傷だって、増えたのに。


「逃がすと思った?」


声が、近かった。


◇

坂の途中で、セルファが足を止めた。

私たちを背中へ下げ、刀を構える。シルヴィーも隣へ立った。息が荒い。

鱗の浮いた首元に、汗が流れていた。ユスラフを繋ぎ直す手にも、血がついている。

女は、坂の下からゆっくり歩いてきた。

片手を脇腹へ添えている。その指の間から血が滲んでいたけれど、もう片方の手には水の刃が伸びていた。


「その鞄を渡せば済む話でしょう」


私は肩紐を握った。

渡したら、帰れるのかもしれない。

そんな考えが浮かんだ。

でも、帰してくれるなんて、この人は一度も言っていない。女の手が上がる。

水の切っ先が私へ向き、その先端が、ふっと揺れた。

女が森へ顔を向ける。

私も、つられてそちらを見た。

木々の奥から、一人の男が歩いてきた。

土のついた長い外套《がいとう》。片側だけ留めた襟の下に、古い傷が見える。手には、鞘《さや》から抜いた剣を下げていた。

走ってはいない。

こちらへ声をかけることもなく、そのまま坂へ出てくる。

女の周りで、水が動いた。

私へ向いていた刃が引き戻される。セルファたちの足元へ伸びていた流れも、女の前へ集まった。

全部、あの人へ向いた。

女は脇腹を押さえていた手を離し、両手を構える。


「……まだ追ってきたの」


さっきまでとは、声が違った。

男は、血のついた女の手を見た。それから、腰の冠へ目を移す。


「返してもらうぞ、ネレイア」


女は答えなかった。

二人の間に、水の膜が幾重にも重なる。

セルファの刀も、まだ下がっていなかった。


「シルヴィー。二人を連れて行け」

「……ああ」


いつもなら何か言いそうなシルヴィーが、それだけで頷いた。

私の肩へ、大きな手が触れる。


「歩け。足元を見ろ」

「でも、セルファは?」

「すぐ来る」


男が、坂へ一歩踏み出した。

ネレイアの水が、その足元へ走る。

下げていた剣が動いた。

水の刃が二つに割れ、その向こうの地面まで裂ける。遅れて土が跳ね上がり、男の外套を汚した。

私は息を止めた。

剣を振ったのは見えた。

でも、どうして、その先の地面まで斬れたのか分からない。

セルファの手が、私の背中を押す。


「行け」


◇

シルヴィーの後ろを歩いた。

走れと言われたら、もう無理だったかもしれない。エマちゃんも息が苦しそうで、私の袖を掴んだまま足元を見ている。

背後で、激しい水音がした。

続いて、何かが地面を打つ。

振り返りかけると、シルヴィーが首を振った。


「見るな。今のうちだ」


セルファが追いついた。

それでも、誰もほっとした顔にはならなかった。二本の刀にはまだ雷が残り、セルファは私たちの後ろを歩いている。

坂を曲がり、木々の向こうへ入った。

もう、あの二人は見えない。


「……今の人、味方?」


尋ねると、セルファは少しだけ後ろを見た。


「俺たちを助けに来たわけではないだろうな」


鞄が、歩くたびに腰へ当たる。

私は肩紐を持ち直した。

ネレイアに追われていた時とは、違う怖さが残っていた。

あの人は最後まで、私たちの顔を一度も見なかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。