第四十二話 二本目の封刃
シルヴィーが戻ってくるまで、私たちは扉の前で待った。エマちゃんは手帳を開き、刻まれた紋様を写している。セルファは灯りを足元へ置き、扉の下と、その周りの石を確かめていた。
「向こう、見える?」
「台がある。それ以上は、ここからでは分からん」
少し近づこうとして、止まる。
扉は傾いていた。壁まで続く亀裂を見ると、勝手に触る気にはなれない。やがて、通路の向こうから足音がした。
「伝えてきた。流れの方は、外の奴らが見に来る」
「入口は?」
「保ってる。壁の傷も話した。俺たちが先を確かめる間、こっちの通路には入らねえそうだ」
セルファが頷き、扉の端を指した。
「上の枠が割れて、下へ沈んでいる。持ち上げれば動く。開いたら、こちらへ倒れない位置で止める」
「そっちは頼むぞ」
シルヴィーが手をかけ、セルファが反対側へ回る。
私とエマちゃんは、通路の角まで下がった。
石が擦れる音がする。
傾いていた扉が少し浮き、ゆっくり横へ動いた。上から土が落ちたが、壁が大きく崩れることはなかった。
人が通れる幅まで開くと、二人は扉を壁側へ寄せた。セルファが足元へ石を噛ませ、動かないことを確かめる。シルヴィーが先に奥へ入り、それからこちらを呼んだ。
「来い。足元に石があるぞ」
◇
部屋の中は、ほとんど濡れていなかった。
入口の近くに泥が入り込んでいるだけで、奥の床には埃が残っている。
さっきの水槽の部屋より狭く、窓もない。
中央に、四角い石の台があった。その上を見て、足が止まる。
「……あった」
黒い短剣が、横たわっていた。
封刃。
大きさは、シルヴィーが持っているものとほとんど同じだ。柄の近くには細かな紋様があり、黒い刃が灯りを鈍く返している。
本当に、あった。
近づこうとすると、台の上に石の格子が被さっていることに気づいた。中は見える。
でも、短剣を取り出せるほどの隙間はない。
シルヴィーが台の周りを一周した。
「こっちは、あまり傷んでねえな」
「扉の内側には、水が入りにくかったんだろう」
セルファが台の縁へ灯りを寄せる。
四隅に継ぎ目があった。格子は台の一部ではなく、上から被せられた蓋らしい。
エマちゃんが手帳と短剣を見比べる。
「扉の紋様と、似ていますね」
「ああ」
セルファは格子の下へ目を向けた。
刃の下に何か挟まっていないか。台の内側に穴や溝がないか。一つずつ確かめてから、シルヴィーを見る。
「持ち上げられるか?」
「掴めりゃな」
格子の端へ指をかけ、シルヴィーが少し力を加えた。
片側が浮く。そこで一度下ろし、手をかけ直した。
「下がってろ」
私たちは壁からも台からも離れた。
シルヴィーが蓋を持ち上げる。埃が落ち、格子の影が短剣の上を動いた。蓋は、そのまま床へ下ろされた。
重い音が部屋に響く。
「……取れた」
シルヴィーが手首を振った。
「重えな」
「普通に持ってたじゃん」
「重いもんは重いんだよ」
それは、そうか。
軽そうに持つから、こっちまで勘違いする。
セルファが台の内側をもう一度見た。
エマちゃんが紋様を写し終えるのを待ってから、柄へ手を伸ばす。黒い刃が持ち上がった。
何も起きなかった。
台も壁も動かず、床もそのままだった。
私は息を吐く。
「……よかった」
「何がだ」
「取った瞬間、床が抜けるとか」
「言うなら、取る前に言え」
シルヴィーが足元を見る。
一応、気にはなるらしい。
◇
セルファが短剣を灯りへ寄せた。
シルヴィーも自分のものを取り出し、横へ並べる。
よく似ている。でも、刻まれた紋様が違った。
シルヴィーの方には、龍の手を思わせる形がある。二本目は線の伸び方が違い、同じ部位には見えなかった。エマちゃんはそれぞれを描き、違うところへ印をつけていく。
「これで二本だな」
シルヴィーが言った。七本のうち、二本。
町の店で見つけた一輪の花から、ここまで来た。
私だけで旅していたら、あの花を見ても通り過ぎていたと思う。土を持ち帰ることも、井戸の水を比べることもなかった。
エマちゃんは、描いた紋様をもう一度確かめていた。
私はその手元から、短剣へ目を移す。
「ヤマハ」
セルファに呼ばれ、顔を上げた。
「持ってみろ」
柄をこちらへ向け、短剣が差し出される。
慌てて両手を出した。思ったより重い。
右手で握り直すと、柄が掌に収まった。
「私でいいの?」
「持つだけならな。刃には触るな」
「分かってる」
シルヴィーが自分の短剣をしまう。
「見つけたら持ちたいって言ってたろ」
「言ったけど……」
いざ渡されると、持ち方まで気になった。
シルヴィーの短剣には、ゼノと冠が封じられている。
見た目は同じような刃だった。
あの中に、森で戦ったやつがいるなんて、見ただけでは分からない。
私は握った柄へ目を落とした。
これも、そういうものなのだ。
エマちゃんが鞄から厚い布を取り出してくれた。
「運ぶなら、これで包みましょう。刃先が出ないように」
「私が持ってていい?」
「ああ。鞄の中で動かないようにしておけ」
セルファに確かめてもらいながら布を巻く。刃先には布を重ね、紐で留めた。
鞘は町へ戻ってから用意することになった。
「ありがと、エマちゃん」
「瓶とは離して入れてくださいね」
「うん。さすがに一緒にはしない」
包んだ短剣を鞄へ入れると、底へ重さが加わった。
セルファが灯りを持つ。
「戻るぞ」
私は鞄をかけ直し、エマちゃんと一緒に後を追った。
◇
水槽の部屋では、管理人が流れを確かめていた。
作業員が一人、灯りを持ってついている。
セルファが壊れた石板と溝を示すと、男はしゃがみ込み、水の行き先を追った。
「ここで分けてたのか。なら、こっちを塞いで――」
言葉が止まった。
男の足元で、水が揺れた。溝を流れていた水が、ふっと減る。
私は水槽へ目を向けると、水面が傾いていた。
器を斜めにした時みたいに、片側だけが高くなっている。
水槽そのものは、動いていない。
「……セルファ」
呼ぶより先に、セルファが男の腕を掴んだ。
「外へ出ろ」
「何だ?」
「今すぐだ」
シルヴィーも動いていた。
作業員を通路へ向け、肩を押す。
「入口の奴らにも言え。道具は置いていけ」
低い声だった。
男たちが走り出す。
エマちゃんが手帳を鞄へしまい、私の隣へ来た。
水が溝の縁を越え、床を横切っていく。
通路へ集まり、石段を上っていった。
流れてきた方へ、戻っている。
「こっちだ」
セルファが私たちを壁際へ寄せる。
シルヴィーは通路の入口に立ち、《ユスラフ》を斜めに構えた。
水音が、急に近くなる。
次の瞬間、通路の奥から細い流れが飛び込んできた。
シルヴィーが武器を振ると、金属を叩くような音がした。散った水の一部が横へ走り、その先で石壁が裂ける。
薄い線が壁の端まで伸び、遅れて欠片が落ちてきた。
私はエマちゃんの腕を引き、しゃがんだ。
床へ落ちた石が、足元で跳ねる。
シルヴィーは武器を下げなかった。
踏み込んでいた足が、わずかに後ろへずれている。
さっき、一人であの石を持ち上げていた人が。
「……戻ってきやがったか」
通路から、足音がした。
女が一人、石段の方から歩いてくる。
濡れた髪が頬へかかり、片方の袖が裂けていた。肩には傷があり、服に暗い色が滲んでいる。
それなのに、足取りは乱れていなかった。
腰を囲む黒い輪が、灯りを返す。
黒冠。
女はシルヴィーを見て、セルファへ視線を移した。
そこで初めて、足を止める。
「……あなたたちまで」
セルファが刀を抜いた。
女の横で、水が薄い膜になって広がる。
床へ落ちず、壁の傷の前で揺れていた。
さっき見つけた、長い溝。
今、壁に増えた傷。同じ高さだった。
私は鞄を身体へ寄せた。
女の視線が、こちらへ向く。
顔から、鞄へ。
「奥へ入ったのね」
セルファが私と女の間へ立った。
「ヤマハ。エマを連れて外へ出ろ」
前を向いたまま、そう言った。
でも、出口へ続く通路には、あの女がいる。
「……どこから?」
「左だ。道を空ける」
シルヴィーが半歩、前へ出た。
二人が並ぶ。私はエマちゃんの手を掴んだ。
女が、傷のある肩をわずかに動かす。
横に浮いていた水の膜が、細く伸びた。
その先を見ようとした時には、金属が鳴っていた。
セルファの刀が、目の前を横切っている。
散った水の向こうで、壁にもう一本、傷が増えた。
シルヴィーが女へ踏み込む。
大きな刃が通路の片側を塞ぎ、女が横へ身を引いた。
左側が空く。
「走れ!」
私はエマちゃんの手を引き、二人の背中を追い越した。




