第四十一話 石の下に続く道
遺跡へ着くと、崩れた壁の前に人が集まっていた。
水路の管理人と、道具を持った作業員が三人。木材や縄が地面に置かれ、壁の下では土が取り除かれている。
流れ出す水は、浅く掘られた溝へ移されていた。
「町へ行く方は?」
「止めてある。今はこっちへ逃がしてる」
管理人が指した先には、低くなった地面があった。
水はそちらへ流れ、町へ続く水路から離れている。
エマちゃんが頭を下げた。
「ありがとうございます」
「別の井戸は使えるからな。原因と決まったわけじゃねえが、先に分けておいた」
男は壁へ向き直った。
「奥に空間がある。下の石を外す前に、上を支えたいんだが……」
シルヴィーが近づき、隙間を覗く。
上に残った石は大きく、その端が斜めにずれていた。支えを入れようにも、下へ突き出た石が邪魔になっている。
「どれを持つ?」
「この石だ。少し浮けば、下へ梁を入れられる」
シルヴィーが足元を確かめ、両手をかけた。
「位置を決めろ。持ってる間に入れろよ」
作業員が顔を見合わせる。
「一人でか?」
「入れる用意はできてんのか」
「あ、ああ。おい、そっち持て」
男たちが木材を持ち直した。
私とエマちゃんも、作業の邪魔にならない場所まで下がる。
シルヴィーが腰を落とすと、石がゆっくり動いた。土が細く落ち、下の隙間が広がっていく。
そこへ、木材が差し込まれた。
「もう少し、そっちだ」
セルファが横から位置を指す。
作業員が梁を動かし、その下へ支えを足した。管理人が位置を確かめてから、シルヴィーへ頷く。
石がゆっくり木材へ下ろされた。
木が軋んだが、支えは動かなかった。
「……すご」
思わず声が出た。
シルヴィーは掌の土を払う。
「お前は真似すんなよ」
「できると思って言ってる?」
持ち上がる前に、私の方が潰れるでしょ。
シルヴィーの口元が少し緩んだ。
作業員の一人も笑い、それから石とシルヴィーを交互に見た。まだ、一人で持ったことが信じられないらしい。
その横で、セルファは壁に走る亀裂を見上げていた。
◇
下の石を外すと、人が一人通れるほどの穴が開いた。
その向こうに、石段が見える。
水は段の脇を流れ、外へ出てきていた。
作業員が灯りを差し入れると、下に平らな床が見えた。入口は埋まっていたけれど、中まで全部崩れているわけではなさそうだ。
「地下があったのか」
管理人が呟く。
セルファが灯りを受け取った。
「先に俺たちが見る。入口は、このまま保っていてくれ」
「ああ。水の流れが分かったら教えてくれ。中をいじる前に、こっちでも確かめたい」
「分かった」
シルヴィーが背中の《ユスラフ》を下ろした。
持ち手の近くで金具が鳴り、張り出していた刃の一部が折り畳まれる。
「それ、そうなるんだ」
「狭えからな」
便利。
ただ、畳んでも十分でかかった。
先にシルヴィーが穴をくぐり、セルファが続く。下からこちらを見上げ、手を伸ばしてくれた。
石に手をつき、入口を跨ぐ。
段は濡れていた。腕を支えてもらいながら、足を置く場所を選んで降りる。
最後にエマちゃんが入ってきた。
外の声が、石の向こうへ遠ざかる。
私は一度振り返り、入口から差し込む光を確かめた。
帰る時も、ここを通る。
◇
地下には、細長い通路があった。
天井は低いけれど、立って歩ける。壁には水の跡が残り、床の端に掘られた溝を、細い流れが通っていた。
「元から、水を流す場所だったのかな」
「そのようだな」
セルファが灯りを寄せる。
溝の縁は真っすぐに削られ、途中には石板を差し込めそうな切れ目もあった。
エマちゃんがそこへ目を向けた。
「流れを止めたり、分けたりしていたのかもしれません」
少し進むと、通路が二つに分かれた。
片方は石と土で塞がっている。もう片方から、水の音が聞こえた。
シルヴィーが先へ進み、角の向こうを確かめる。
「来い。部屋だ」
続いて曲がると、灯りの届く範囲が広がった。
壁沿いに、四角い石の水槽が並んでいる。
一つには水が溜まっていた。高いところに開いた隙間から、細く日の光が落ちている。
その下に、白い花が密集していた。
「……ここにも」
外で見たものとよく似ている。
ただ、茎は細く、葉の色も薄い。水槽の縁を覆うように生えていて、根は水の中まで伸びていた。
エマちゃんが近づきかけ、足を止める。
「そこまで行っても大丈夫でしょうか」
「待て」
セルファが先に床と周囲の石を確かめた。
シルヴィーは反対側へ回り、暗い隅と天井を見ている。
呼ばれてから、私たちも水槽へ近づいた。
水の底には細い根が重なり、黒くなった葉や茎も沈んでいた。縁には、乾いた土の塊が引っかかっている。
エマちゃんが道具で根を少し持ち上げた。
「長く、ここで育っていたようですね」
「外の花は、ここから流れたとか?」
「種が運ばれた可能性はあります。同じ種類か、持ち帰って確かめます」
花と根を分けて包み、水も瓶へ採る。
私は水槽の横へしゃがんだ。
縁のすぐ下に、四角い穴がある。そこから出た水が床の溝へ入り、通路へ流れていた。
「これが、外まで続いてるんだ」
隣の水槽との間には、欠けた石板があった。
周りに落ちている破片を見て、セルファが膝をつく。
「ここで分けていた流れが、片側へ寄ったらしい」
「雨で壊れた?」
セルファは残った石板へ灯りを寄せた。
「水が増えた跡はある。だが、それだけで壊れたかは分からん」
水槽の向こう側も、縁が欠けていた。
床には破片が散らばり、壁の高いところまで泥がついている。今よりずっと水が多かったことは、私にも分かった。
エマちゃんが採った水を小さな器へ分け、家で使った液体を一滴落とした。
細かなものが浮かび、底へ沈んでいく。
遺跡の外で採った水より、はっきり見えた。
「こちらの方が、反応は強いですね」
エマちゃんが器を光へ寄せる。
根や枯れた葉が沈んでいる水槽。
そこから出る水。
通路の溝と、壁の下の隙間。
町で瓶を並べていた時には見えなかった繋がりが、今は目の前にあった。
「外の人にも、ここを見てもらう?」
「ああ。流れを分ける場所が分かれば、中でも対処できる」
セルファが答える。
エマちゃんは器をしまい、採った根の包みを確かめた。
「こちらは先生にも見ていただきます。地上のものと違いがあるか、調べたいです」
その時、シルヴィーが部屋の奥で足を止めた。
「……おい」
セルファが顔を上げる。
シルヴィーは壁を見ていた。
灯りを近づけると、石の表面に深い溝があった。
横へ、長く走っている。
一枚の石だけじゃない。継ぎ目を越え、その隣も、さらに隣も、同じ高さで削れていた。
「これも、水?」
私が尋ねると、シルヴィーは溝の先へ目を向けた。
「溜まっただけなら、こんな削れ方はしねえ」
床へ落ちた石の欠片には、まだ明るい面が残っていた。
壁のほかの部分は汚れているのに、その傷の内側だけ、色が違う。
セルファが壁から天井へ灯りを動かす。
そこにも亀裂があった。
ただ、壁の溝とは向きが違う。上から斜めに走り、柱の一部を割っている。
二人はそれぞれの傷を見て、黙った。
「……何?」
声をかけると、セルファがこちらへ向き直る。
「壁から離れろ。上にも損傷がある」
エマちゃんと一緒に、部屋の中央へ戻った。
シルヴィーが割れた柱の向こうを覗く。
「外まで通ってるな」
「ああ」
柱の奥には、細く空が見えた。
そこから入り込んだ光が、落ちた石を照らしている。
木がまとめて倒れていた、と二人は言っていた。
その話と、この傷が繋がるのかは分からない。
でも、セルファは水槽を見ていた時より、長く天井を確かめていた。
◇
部屋の奥には、別の通路が続いていた。
入口の半分ほどが、落ちてきた石で塞がっている。
セルファが天井と残った壁へ灯りを向け、その場で止まった。シルヴィーも横へ並び、奥を見る。
「向こうは落ちてねえな」
「足元を先に確かめる」
シルヴィーが、通り道にある小さな石を脇へ寄せた。
セルファが先へ進み、安全な場所を指してから、私たちを呼ぶ。
突き当たりに、石の扉があった。
片側が枠から外れ、斜めに沈んでいる。扉の上から壁まで、長い亀裂が続いていた。
隙間の奥は暗かった。
私はセルファの横から覗こうとして、足を止める。
扉の表面に、紋様が刻まれていた。
昨日、地上の台で見たものと似ている。
エマちゃんも気づき、手帳を開いた。写してあった線と、扉の紋様を見比べる。
「……ここ、同じ形です」
セルファが頷いた。
封刃があるかもしれない場所。
その入口が、やっと見つかったのかもしれない。
シルヴィーは扉を見上げ、それから背後の部屋へ目を戻した。
「水の流れは分かった。先に外へ伝えてくる」
「頼む。壁と柱の傷も見てもらいたい。確認が済むまで、誰も勝手に降りないよう言ってくれ」
「ああ」
シルヴィーが通路を戻っていく。
足音が角の向こうへ消えると、水の音がよく聞こえるようになった。
セルファは扉へ手をかけず、私たちを少し下がらせた。
エマちゃんが手帳を閉じる。
扉の隙間へ灯りが向けられたけれど、奥までは届かなかった。
短剣があるかもしれない場所は、まだ、この先だった。




