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第四十話 雨の先

エマちゃんが水を小さな器へ分けていく。

瓶と同じ印を横へ置き、量を揃える。その間に、シルヴィーがセルファへ顔を向けた。


「……あいつか?」

「まだ分からん」

「誰?」


二人がこちらを見る。

セルファは窓から離れ、テーブルへ近づいてきた。


「水を操る黒冠《ワーテル》に、心当たりがある」

「雨降らせられるってこと?」

「ああ」


私は右手を見下ろした。

雷を出せるようになって、魔法はすごいと思った。

でも、何日も雨を降らせるなんて。

手から何かを出すとか、そういう大きさの話じゃない。


「……それ、森全部に魔法を使ってたようなもの?」

「降った範囲が分からん。だが、あの話が本当なら、かなり広いな」


シルヴィーが腕を組む。


「北の森ばっかりってのも、気になる」

「そこにいるかも?」

「いた可能性はある。今もいるとは限らん」


セルファの返事に、昨日の遺跡を思い出した。

台に刻まれた紋様。

壁の下から流れ出していた水。


「封刃《クラヴィス》を探してたとか?」

「考えられる。だが、雨を降らせた目的までは分からん」

「町の人を眠らせるため……とか」

「雨と眠気が繋がっていたとしても、それが狙いだったとは限らない」


セルファは、並んだ器へ目を向けた。


「まずは、こっちを確かめよう」

「はい」


エマちゃんが頷き、細い瓶を取り出す。

中には薄い茶色の液体が入っていた。


「それ、何?」

「薬草の成分を調べる時に使うものです。反応する種類は限られていますが、水に違いがあれば分かるかもしれません」


南側の井戸の水へ、一滴落とす。

茶色が広がり、すぐ薄くなった。

次に北側の井戸。その次に、畑の水路。

最後に遺跡で採った水へ落とすと、細かなものが浮かび、ゆっくり器の底へ沈んでいった。


「……違う?」


身を乗り出す。

エマちゃんは器を窓の光へ寄せ、ほかのものと見比べた。

北側の井戸にも、少しだけ同じようなものが見える。


「反応はあります。もう一度、確かめますね」


別の器が出てきた。


「またやるの?」

「道具に何か残っていた可能性もあるので。同じ結果になるか、確かめたいです」

「なるほど」


一回出たから終わり、じゃないらしい。

今度は私が、印を確かめて瓶を渡した。

エマちゃんは水の量を揃え、同じ順番で調べていく。二度目も、遺跡の水が一番はっきり反応した。

水路と北側の井戸には薄く出て、南側の井戸には見えない。

シルヴィーも立ち上がり、覗《のぞ》き込んだ。


「遺跡の方が濃いってことか」

「反応するものは、こちらの方が多いようです」

「それで眠くなる?」

「何が反応しているかまでは、まだ分かりません。身体に影響するものかどうかも」


エマちゃんは結果を書き留め、白い花の包みを開いた。

葉を一枚、小さな器で潰す。根も少し切り分け、それぞれに水を加えた。

私が渡す瓶は、ひとまずなくなった。

椅子へ座り直すと、シルヴィーが台所からパンを持ってくる。皿を置く場所がなかったので、私が受け取り、膝へ載せた。


「エマちゃん、一個いる?」

「あとで頂きます」


道具から目を離さないまま、返事が来た。


「その、あとでって長くない?」

「これが終わったら」

「どこまで?」

「……この分です」


私が器を見ると、三つあった。

一つじゃないんだ。

シルヴィーがパンを一個取っていく。私も端をちぎり、エマちゃんの手元を眺めた。

花から採った液体にも、似た反応が出た。

エマちゃんが顔を近づけ、手帳を開く。


「こちらにも出ますね」

「じゃあ、花が原因?」

「花から何かが水へ出ているのか、水に含まれているものを花が吸っているのか。それも確かめたいです。同じ反応でも、同じ成分とは限りませんから」


手帳に、花と水を結ぶ線が増えた。


「……まだ、どっちが先か分かんないのか」

「はい。ただ、調べるものは絞れてきました」


エマちゃんは採ってきた根を指先で持ち上げた。

細い根の間に、黒い土が残っている。


「遺跡の中にも咲いてるのかな」


口にすると、彼女が顔を上げた。


「その可能性はあります」

「でも、暗かったよね。あそこ」

「見えたのは隙間の奥だけです。天井が崩れて、光が入る場所もあるかもしれません」


セルファが椅子から立ち上がる。


「下を調べる必要はあるな」


エマちゃんは頷き、記録したページを見直した。


「先に、先生へこれを見てもらいたいです。水と花も預けて、向こうでも調べていただければ」

「ああ。俺たちは水路の方へ行ってくる」


セルファが上着を取った。

シルヴィーも立ち上がり、皿からもう一個パンを取る。そのまま、エマちゃんの目の前へ差し出した。


「出る前に食え」

「……ありがとうございます」


ようやく道具が置かれ、パンが受け取られる。

私は膝の皿を見下ろした。

一個、残っていた。


「これ、セルファの?」

「食っていい」

「やった」


エマちゃんが調べ終わるのを待つより、そっちの許可は早かった。



◇

医者はエマちゃんの記録を見ながら、水を採った場所を順番に尋ねた。

エマちゃんが手帳の図を示し、瓶を並べる。

飲んでいた量の違い。雨が続いた時期。遺跡から町へ入る流れ。

医者は頷きながら聞き、白い花も手に取って確かめた。


「この花だけで、あそこまで眠り続けるとは考えにくいな」

「はい。私の知っている作用とも違います。ただ、根の周りの水に何が含まれているかは、まだ分かりません」


エマちゃんが、遺跡の水を採った瓶を指す。


「中にも育っているなら、その様子を見て、根の近くからも採りたいです」

「こちらでも調べよう。水と花を少し預かっていいか?」

「お願いします」


瓶を渡す間、私は医者へ顔を向けた。


「眠っている人は……まだ?」

「今のところ、目を覚ましたという知らせはない。呼吸や脈に変化がないか、引き続き見ている」


朝から、もう何度も町を歩いた。

森へ行って、戻って、話を聞いて、家で水を調べた。

その間ずっと、あの人たちは眠っている。


「水路の方からも連絡があった」


医者が瓶へ栓をする。


「遺跡から入る流れは、いったん町へ来ないようにするそうだ。井戸も、別のものを使うよう知らせている」

「じゃあ、あの水はもう飲まなくて済むんですね」

「ああ。原因かどうかはまだ調べる必要があるが、今は避けてもらう」


少し、肩の力が抜けた。

エマちゃんが鞄の口を閉じる。


「遺跡で何か分かったら、またお伝えします」

「ああ。頼む。こちらで分かったことも知らせよう」

外へ出ると、セルファとシルヴィーが待っていた。

「どうだった?」

「向こうでも調べてくださいます。遺跡の方は?」

エマちゃんが尋ねると、セルファは北へ顔を向けた

「水の流れを確かめに行った者が、壁の隙間も見ている。上を支えて、下を調べる準備をするそうだ」

「今日入れるの?」

「どこまで開けられるかによる。俺たちも立ち会う」


私は鞄をかけ直した。

また、森だ。

昨日は花を探して、短剣があるかもしれない場所を見つけた。

今日は、その下から町へ水が流れていると分かった。

同じ場所なのに、確かめたいことが増えている。

シルヴィーが歩き出しながら、セルファへ声を落とした。


「作業の奴も言ってたな」

「ああ」

「森の奥で、木がまとめて倒れてるとよ」


私は顔を上げた。


「雨で?」

「風か、土が崩れたか。それならいいんだがな」


シルヴィーの返事は、そこで止まった。

セルファが私とエマちゃんを見る。


「地下に入れたとしても、勝手に奥へ行くな。水の音が急に変わったり、何か聞こえたりしたら、すぐ知らせろ」

「分かってる」


エマちゃんも頷いた。

私は二人の腰と背中へ目を向ける。

二本の刀と、大きな武器。

昨日も同じものを持っていた。それなのに、今日は二人が周りを確かめるたび、私までそちらへ顔を向けてしまう。


「……その黒冠がいたら?」


セルファが振り返った。


「見えたら、まず離れろ」

「二人でも?」

「ああ」


短い返事だった。

ゼノと戦った時、セルファは私を下がらせて、自分は前へ出た。

今は、二人でも離れると言っている。

シルヴィーも否定しなかった。背中の武器の位置を直し、前へ向き直る。

私はエマちゃんの隣へ寄った。

町を抜ける道の先に、北の森が見えている。

空は晴れていた。

それでも、そこへ入る前に二人が何を探しているのか、少し分かった気がした。


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