第三十五話 七本の封刃
木々の向こうへ出ると、崩れた石壁が広がっていた。
屋根はない。柱も途中で折れていて、地面に転がった石には苔がついている。残った壁の隙間から、白い花が顔を出していた。
「……ここ、何だったの?」
足元の石を跨ぎながら尋ねると、セルファが辺りを見回した。
「何に使われていたかまでは知らん」
「家とか?」
「にしては広いな」
シルヴィーが倒れた柱へ目を向ける。
たしかに、これが全部建物だったなら、かなり大きい。残っている壁だけでも、セルファの家がいくつか入りそうだった。
エマちゃんは入口の近くでしゃがんでいた。花を覗き込み、手帳へ何かを書いている。
「こっちにも咲いてる?」
「はい。あちらより密集しています」
指された先には、白い花が固まって咲いていた。
私にはさっきの花と同じに見えるけれど、エマちゃんは葉の裏まで確かめている。邪魔しないように横を通り、セルファたちの方へ歩いた。
二人は、草に埋もれた石の台を見ていた。
「何かある?」
「まだ分からん」
セルファが台の表面に積もった落ち葉を払う。
平らな石には、細い線が刻まれていた。汚れで見えづらいけれど、ただの傷ではなさそうだ。
シルヴィーが腰を落とし、残った土を指で擦る。
「……似てるな」
「ああ」
二人の顔を交互に見た。
「何に?」
「封刃だ」
セルファの返事に、昨日の庭を思い出した。
黒い冠を、その中へ吸い込んだ小さな刃。
「シルヴィーが持ってるやつ?」
「ああ。あれを見つけた場所にも、こういう紋様があった」
シルヴィーが上着の内側から短剣を取り出した。
鞘から少しだけ抜かれた黒い刃には、薄い光沢がある。昨日も見た、龍の手のような模様が刻まれていた。
私は石の台へ顔を近づけ、見比べる。
「……同じ?」
線の曲がり方が少し違う気がした。
短剣の模様ははっきり見えるけれど、石の方は途中が欠けている。土に埋まったところもあって、全体の形は分からなかった。
エマちゃんも、手帳を持ってやって来た。
「少し、形が違いますね」
「ああ。だが、彫り方はよく似てる」
セルファが石に残った線を指で辿る。
エマちゃんは短剣と石の台を順番に見て、手帳へ描き始めた。
「何か分かりそう?」
「まだ分かりません。ただ、ここを離れてから見比べたくなっても、描いておけば確かめられますから」
「なるほど」
花のことは分からないけど、それなら私にも分かる。
部屋で見えた景色を書いておいたのと、少し似ていた。
「じゃあ、ここにも短剣があるかもってこと?」
「可能性はある」
「おお……」
ただ花を見に来ただけだったのに。
急に、足元の石まで気になってきた。
「その短剣って、ほかにもあるんだ?」
「全部で七本だ」
セルファが答える。
七本。この世界の広さを考えたら、七本しかないとも言える。
「今持ってるのは?」
「俺の一本だけだ」
シルヴィーが短剣を軽く持ち上げた。
その一本に、今はゼノが封じられている。
「ほかのも見つけたら、黒冠と戦う時に使えるんだよね」
「ああ。それに、奴らも探している」
少し浮かれていた気持ちが止まった。
「黒冠も?」
「ああ」
「自分たちを閉じ込めるものなのに?」
「だからこそ、他人には持たせたくねえんだろ」
シルヴィーが刃を鞘へ戻す。
セルファは石の台から手を離し、立ち上がった。
「だが、それだけじゃない。奴らが集めようとしているのは、七つの冠と七本の短剣。その両方だ」
「……集めて、どうするの?」
「『夜』を呼び戻す」
風が吹き、足元の白い花が揺れた。
光を奪い、土地を沈めていくもの。
森へ行く前に聞いた話が、頭へ戻ってくる。人も家も、道ごと暗闇の中へ消えてしまう。
私は空を見上げた。枝の間には青い空がある。
葉を透かした光が、エマちゃんの手帳にも落ちていた。
「それを、わざわざ戻そうとしてるの?」
「ああ」
「自分たちだって、ここにいるんでしょ。何でそんなことするの」
セルファは少し黙った。
「奴らが、その先に何を望んでいるかまでは分からん」
「……意味分かんない」
「分からねえままでも、止める理由にはなるだろ」
シルヴィーが言った。
私は、彼の上着へ目を向ける。
「昨日、ゼノの冠も短剣に入ったよね」
「ああ」
「じゃあ、それを持ってれば、向こうは両方とも揃えられない?」
「そうだ」
少しだけ、息がしやすくなった。
けれど、昨日聞いたことも思い出す。
別の冠が触れれば、封印は解ける。
ゼノの身体も、冠も戻ってくる。
「……逆に、取られたら二つとも渡すことになるんだ」
「ああ」
シルヴィーが、短剣をしまった場所へ手を置いた。
昨日は、ゼノが勝手に戻ってこなくなったことが嬉しかった。
でも、あの短剣を奪われたら、またあいつが出てくる。
それだけじゃなく、夜を呼び戻すためのものまで向こうへ渡る。
「それ、めちゃくちゃ大事じゃん」
「だから、持ち歩いてんだよ」
家の棚へ置いておけるものではないらしい。
私は石の台を見る。
「ほかの短剣も、先に見つけた方がいいんだね」
「ああ。奴らに渡る前にな」
セルファが頷いた。
エマちゃんは描き終えた紋様を見直し、手帳を閉じる。
「見つける手掛かりになるかもしれません。ここの場所も記録しておきます」
「頼む」
シルヴィーが崩れた壁の奥へ目を向けた。
「あっちも見てくる」
「足元に気をつけろ。下に空間があるかもしれん」
「お前もな」
二人が動き出したので、私も近くの石を覗き込んだ。
さっきまでは、全部ただの瓦礫に見えていた。
今は、隙間や土に埋まった形が気になる。
「私が見つけたら?」
「何がだ」
「短剣。私が持っててもいい?」
「見つけてから考えろ」
「先にやる気出させてくれてもよくない?」
「見つけたら褒める」
「子供扱いじゃん」
セルファは草の向こうへ歩いていった。
まあ、まだ見つけてもないんだけど。
エマちゃんは台の周りの花を踏まないように、小さく場所を空けてくれた。
「ここなら、足元も見やすいですよ」
「ありがと。エマちゃんは花?」
「はい。もう少し根元を調べてみます」
「気になるもの、増えたね」
「そうですね」
困った様子もなく頷き、エマちゃんは花のそばへしゃがんだ。
私も腰を落とし、石の隙間へ目を向ける。
昨日の短剣は、見た目だけなら片手に収まる小さなものだった。こんな場所にあったら、上から眺めるだけでは見落としてしまう。
細い枝を拾い、溜まった落ち葉をそっと動かした。
ゼノと戦った時は、倒せば終わると思っていた。
でも、身体を倒した後にも、やらなきゃいけないことがあった。
もし、ここでもう一本見つけられたら。
少なくとも、向こうには渡さずに済む。
私は枝を持ち直し、石の奥へ引っかかっていた葉を掻き出した。




