第三十四話 白い花の先
エマちゃんは、白い花の束から目を離さなかった。
店主は括り終えた葉を棚へ置き、こちらへ来る。
「珍しいやつなのか?」
「寒い地域では、そこまで珍しくありません。ただ、この辺りで採れたと聞いたので」
「そうなのか。持ってきた奴は、北の森に入る手前で見つけたって言ってたぞ」
「前から持ってきていたんですか?」
「いや、最近だな。見つけたから持ってきたって」
エマちゃんが葉の裏を確かめる。
隣から覗いても、私には乾燥した葉と小さな白い花にしか見えなかった。
「別の場所から来た人が植えたとか?」
「それも考えられます。なので、実際に生えているところを見たいんです。人が植えたものなのか、自然に増えているのか。それが分かるだけでも、少し違いますから」
説明しながら、エマちゃんが私たちを見る。
まだ何も頼まれていないのに、何を言いたいか分かった。
「行きたいんでしょ」
「……いいですか?」
「私はいいよ」
シルヴィーも、特に迷わず頷いた。
「今日は町を見るくらいのつもりだったしな」
最後に、セルファへ目が向く。
「北の森なら、ここから歩ける」
「どれくらい?」
「入口まで三十分ほどだ」
「近いじゃん」
エマちゃんの顔が明るくなった。
店主へ頼み、花を一本だけ買う。紙で包んで鞄へ入れると、もう店の外へ目を向けていた。
切り替えが早い。
「……でも、ちょっと不公平じゃない?」
私が言うと、セルファが振り返った。
「何がだ」
「私の服は駄目だったのに、エマちゃんの草なら森まで行くんだ」
「植物です」
横から訂正が入った。
「そこは今どっちでもいいの」
「調べることがあるだろ」
セルファが店主へ礼を言う。
私にだって、刺繍を近くで見たいという目的があった。
見る前から、昨日の服で十分と決めるのはよくないと思う。
シルヴィーが笑いながら、外へ足を向けた。
「お前、根に持つな」
私は一瞬考えてから、顔を上げる。
「……草だけに?」
セルファは、そのまま歩いていった。
エマちゃんも続く。
シルヴィーまで、何も言わず店を出た。
「え、無視?」
誰も振り返らない。
今の、ちょっとよかったと思うんだけど。
◇
北へ向かう途中、エマちゃんは何度も鞄の花を確かめていた。
歩くのも、いつもより少し速い。
「そんな急いだら転ぶよ」
「大丈夫です」
答えた直後、石畳の段差へ靴先が引っかかった。
身体が前へ傾く。
「わっ」
隣にいたシルヴィーが腕を掴んだ。
エマちゃんは踏みとどまり、服の裾を整える。
「……ありがとうございます」
「前見て歩け」
「はい」
「大丈夫じゃなかったじゃん」
「転んではいません」
「シルヴィーがいたからね?」
エマちゃんは花の包みを鞄へ戻した。
今度はちゃんと前を向いている。
賢い話をしていた直後にこれだから、ちょっと心配になる。
店の並ぶ通りを抜けると、民家が増えた。そこから先は家もまばらになり、畑や草地の向こうに森が見え始める。
町の音が遠ざかった分、鳥の声や、風に揺れる葉の音がよく聞こえた。
「この辺、静かだね」
「昔はもう少し家があった」
セルファが道の先を見ながら言った。
「なんで減ったの?」
「そこまでは知らん」
「住んでたのに?」
「住んでいたら、全部知ってるのか?」
言われて考える。
日本にいた時だって、近所の家に誰が住んでいるかは、ほとんど知らなかった。
「……知らないね」
「そういうことだ」
エマちゃんが道端へしゃがみ込んだ。
生えている葉を見て、土へ少し触れる。立ち上がると、森と手元の花を見比べた。
「この辺りは、普通ですね」
「普通って?」
「気候に合う植物が生えています。あの花だけ、少し気になるんです」
シルヴィーが花の包みへ目を向ける。
「寒くねえと育たないのか?」
「絶対に育たない、とは言えません。ただ、自然にまとまって生えているなら、育ちやすい理由があるはずなので。日当たりや土の状態も、見ておきたいです」
「へえ」
私は花を見た。
聞いた後でも、普通の花に見える。
「シルヴィー、分かった?」
「細かいことは分かってねえよ」
「潔いね」
「だから見に行くんだろ」
それはそうだった。
エマちゃんが笑い、また歩き出す。
気づけば、私も森の方を見ていた。
何が変なのかは分からないけれど、見つけた時にエマちゃんがどんな顔をするかは、少し気になる。
◇
森の手前には、古い木の柵が残っていた。
その横から細い道が続き、木々の間へ入っていく。
セルファが周囲を見回した。
「店の奴が言っていたのは、この辺だろうな」
「探してみます」
エマちゃんが早速、道を外れかける。
その背中へ、セルファが声をかけた。
「離れるなよ」
「すぐそこです」
「すぐそこなら、一緒に行けばいい」
エマちゃんがこちらを見て、小さく頷いた。
私は鞄の紐を肩へかけ直す。
服屋を見るのと植物を見るのとでは、危ない場所が違うらしい。
四人で、森の縁を歩いた。
エマちゃんは少し進むたびに止まり、葉や茎を確かめている。最初は私も隣から覗いていたけれど、三回目くらいでやめた。
見ても違いが分からない。
ただ、探している白い花がないことは分かった。
「場所、違うんじゃねえか?」
シルヴィーが言うと、エマちゃんが顔を上げた。
「その可能性もあります。店の方も、詳しい場所までは知らなかったので」
「もう少し先まで見るか」
セルファが道の奥へ目を向ける。
木の枝が重なる場所へ入ると、足元の草が少し変わった。外より空気がひんやりして、湿った土の匂いもする。
その先で、エマちゃんの足が止まった。
「……ありました」
木の根元に、小さな白い花が咲いていた。
一輪だけじゃない。
少し離れたところにも、同じ形の花がある。
エマちゃんはしゃがみ、鞄から店で買ったものを出した。乾いた葉と、目の前に生えている葉を見比べる。
「同じです」
「ほんとに生えてるね」
私も隣へしゃがんだ。
細い茎の先に、小さな花がついている。顔を近づけても、強い匂いはしなかった。
エマちゃんは花を眺め、今度は根元へ目を向ける。葉を避けて地面を確かめ、少し離れたところの土にも触れた。
「どう?」
「表面を見るだけでは、理由は分かりませんね」
根元の落ち葉を指で少し除ける。
その下の土は、周りより色が濃かった。
けれど、エマちゃんは花を抜かず、その周囲を見回していた。
「採らないの?」
「少し、ほかのものも見たいです」
その視線の先に、また白い花がある。
私は立ち上がり、奥を見た。
木の根の脇にも、岩の近くにも咲いていた。見つけた一輪の先に別の一輪があって、木々の間へ点々と続いている。
「結構あるじゃん」
「はい。ここだけではないみたいです」
エマちゃんがゆっくり立ち上がった。
「少し奥まで見てもいいですか?」
セルファは森の中を確かめてから頷く。
「ああ。一人で先へ行くなよ」
「はい」
四人で道を離れ、白い花のある方へ進んだ。
頭上の枝葉が増え、空が見えにくくなる。足元には木の根が張っていて、エマちゃんも今度は歩くたびに顔を上げていた。
白い花は、まだ続いている。
何も咲いていない場所を少し歩くと、その先にまとまって見つかった。
私は来た方を振り返り、それから前を見る。
「奥の方が、多くない?」
エマちゃんも足を止めた。
入口の方では数本ずつだった花が、ここでは木の根元にいくつも咲いている。
「そうですね」
「こっちの方が育ちやすいのかな」
「それを確かめたいです」
返事をしたエマちゃんは、少し嬉しそうだった。
私なら、何でここに生えているのか、早く答えを知りたくなる。
エマちゃんは、まだ採ることもせず、周りの葉や地面まで見ていた。
「……研究って、気長だね」
「服を選ぶのも、結構時間がかかるでしょう?」
「それは迷ってるだけ」
「私も、今は似たようなものです」
「じゃあ、あとで戻って見直したくなるやつ?」
「なるかもしれません」
「分かった。それは長い」
エマちゃんが笑った。
そんな話をしながら進んでいると、花とは別のものが目に入った。
地面から、大きな石が半分ほど突き出している。
角が妙に真っ直ぐだった。
「なんかある」
私が近づく前に、セルファが石の周囲を見た。
表面には苔がつき、端の方は土に埋もれている。けれど、自然に転がっていた岩には見えなかった。
「古いな」
シルヴィーも、少し離れた場所で足を止める。
「こっちにもあるぞ」
見ると、木の根に押されて傾いた石があった。
その先にも、似たものが残っている。
シルヴィーが表面の苔を払い、刻まれた細い線へ指を止めた。
「……見覚えあるな」
声が低くなった。
セルファも近づき、その線を見る。
「ああ」
さっきまで、二人はエマちゃんの花探しについてきていた。
今は、もう花を見ていない。
「何か知ってるの?」
私が聞くと、セルファは石から顔を上げた。
「似たものを見たことがある」
「どこで?」
「別の遺構だ」
シルヴィーが森の奥へ目を向ける。
白い花は、古い石の間にも咲いていた。
その先には、崩れた壁のようなものが見える。
エマちゃんも立ち上がり、そちらを見た。
私は、壁と二人の顔を交互に見る。
花を見に来ただけだったはずなのに。
セルファが先に歩き出し、シルヴィーが続いた。
私とエマちゃんも、その後を追う。
崩れた壁の向こうにも、白い花が咲いていた。




