第三十一話 帰って来れる場所
荷物を下ろした途端、肩が軽くなった。
案内された部屋には、大きなテーブルと四脚の椅子があった。壁際には棚と暖炉があり、窓から入る夕方の光が床まで伸びている。
私は椅子へ座り、買った服を膝に置いた。エマちゃんも本を受け取り、隣へ腰を下ろす。
シルヴィーは向かいの椅子を引いた。身体を預けると木が少し軋んだけど、本人は気にしていなかった。
座っても、でかい。
その首元へ、また目が向く。
さっき見えた模様は、やっぱり鱗みたいだった。
「……シルヴィーって、人?」
「聞き方どうにかならねえのか」
「いや、それが気になって」
首元を指差すと、隣のエマちゃんも身を乗り出した。
「私も、もしかしたらと思っていたんですが……龍人族の方ですか?」
「嬢ちゃんは分かるのか」
「本で読んだことがあります。実際にお会いするのは初めてですけど」
「ああ。龍人族だ」
普通に頷かれた。
エルフの次は、龍人族。
近くで見ても顔は人とほとんど変わらない。でも、首元から覗く鱗は、腕にも少しだけ見えていた。
「ほかにもいるの?」
「今じゃ、俺しか残ってねえ」
思っていたより重い答えが来た。
何と返せばいいか迷っていると、シルヴィーは机の上の本へ目を向けた。
「そいつに何て書いてある?」
「これは植物の本です」
「じゃあ俺のことは載ってねえな」
「植物だったら載ってるかもね」
「お前、適当に喋ってるだろ」
エマちゃんが小さく笑った。
私も少しだけ肩の力が抜ける。
そこへセルファが椅子を引いて座り、手にしていた荷物を足元へ置いた。
シルヴィーがそちらを見る。
「ゼノの冠は?」
「持ってきた」
セルファは布の包みを取り出した。
私は膝の上の服を抱え、椅子を引く。
「……それ、ここでも出す?」
「今のうちに済ませる」
セルファがシルヴィーへ目を向けた。
「封刃はあるな」
「ああ」
シルヴィーが上着の内側へ手を入れた。
取り出したのは、鞘に収まった一本の短剣だった。大きな手で持っているせいか、余計に小さく見える。
鞘には細い線を重ねた模様が刻まれている。古そうなのに欠けたところはなく、窓からの光を受けても色が暗かった。
セルファが布を開く。
冠が見えると、シルヴィーの顔から笑いが消えた。
しばらくそれを眺め、短剣を持つ手に力を込める。
「……よく持って帰ったな」
「こいつと二人でな」
セルファが私へ目を向けた。
シルヴィーもこちらを見る。
「そうか」
「めっちゃ大変だったよ」
「あいつ相手なら、そうだろうな」
今度は笑わなかった。
セルファが立ち上がり、包みを持って庭へ向かった。シルヴィーも続き、私とエマちゃんは顔を見合わせてから後を追う。
◇
庭の端に、平らな石があった。
セルファはそこへ冠を置き、布を引き抜いた。
「ここでいい」
「ああ。少し下がってろ」
言われて、私はエマちゃんと一緒に離れた。
シルヴィーが短剣を抜く。
刃は黒かった。
そこには、龍の手を描いたような模様が刻まれている。
ゼノの冠と似た色なのに、見ていても、あの嫌な感じはしなかった。
シルヴィーが冠へ切っ先を当てる。
「……それで、ゼノを閉じ込めるんだよね?」
「ああ。冠ごと封じる」
セルファが答えた。
「中にいる限り、身体を作り直すこともできなくなる」
私は頷き、石の上へ目を戻した。
シルヴィーが刃の位置を少し変える。
強く振りかぶることも、冠を斬りつけることもなかった。
切っ先が触れたところから、黒いものが滲み出す。
煙かと思った。
けれど、それは上へ昇らず、細い筋になって刃へ吸い込まれていった。
冠が震える。石を擦る音がして、私は一歩下がった。
輪の内側に、炎のようなものが揺れた。
ゼノの腕を繋いでいた火が頭を過ぎり、息が止まる。
シルヴィーは手を離さなかった。
刃に刻まれた模様が黒く染まり、冠の輪郭が薄れていく。
欠けたわけでも、割れたわけでもない。
そこにあったものが、少しずつ短剣の中へ引き込まれていた。
最後に、低い音がした。冠が消えた。
石の上には、何も残っていない。
「……終わり?」
「ああ」
シルヴィーが短剣を持ち上げた。
刃の模様には、黒い色が残っている。
私は石の上を見たまま、セルファへ聞いた。
「じゃあ、もう戻ってこない?」
「封印が解かれなければな」
「……解けるの?」
「別の黒冠が、自分の冠をその短剣に触れさせれば、解放できる」
短剣へ目が戻る。
あの中に、ゼノがいる。
「じゃあ、それ、絶対取られちゃ駄目じゃん」
「だから持ってんだろ」
シルヴィーが刃を鞘へ戻した。
「一年経ったら勝手に出てくるよりは、よっぽどいい」
「……それは、そう」
また会おう。
あの言葉を聞いてから、思い出すたびに嫌だった。倒したはずなのに、まだどこかで笑っていそうな気がしていた。
少なくとも、今は違う。私は小さく息を吐いた。
「……よかった」
シルヴィーは短剣を懐へしまい、上着を整えた。
セルファが空になった布を畳む。
それを見て、私はようやく石から目を離せた。
◇
家へ戻ると、さっき座った椅子がそのまま待っていた。
膝から服を下ろし、足元の鞄の上へ置く。
シルヴィーが棚を開け、カップを四つ持ってきた。
「せっかく集まったんだ。酒でも飲むか」
「ああ」
セルファが普通に頷く。
さっき玄関で殴られてたよね?
男同士の再会って、こういうものなんだろうか。
たぶん違うと思う。
「いいね。私も飲む」
隣でエマちゃんが私を見た。
「ヤマハさん、お酒飲むんですか?」
「いや、飲んだことない」
「ないんですか?」
「ない。でも、ちょっと飲んでみたい」
私はシルヴィーへ顔を向ける。
「こっちって、お酒は何歳から飲んでいいの?」
「決まりはねえな。ただ、若いうちから飲みすぎると頭が悪くなるとは言われてる」
「へえ」
シルヴィーの顔を、もう一度見る。
「じゃあ、シルヴィーは若い時から飲んでた?」
「ぶっ飛ばすぞ」
返事が早すぎて、笑ってしまった。
隣でも、小さく息が漏れる。
「エマちゃんも思ったよね?」
「い、いえ。私は何も」
「今笑っただろ、嬢ちゃん」
「……ちょっとだけ」
シルヴィーが呆れたように鼻を鳴らす。セルファまでカップを持ったまま、口元を緩めていた。
「お前は、まず少しにしとけ」
シルヴィーが私のカップへ、薄い赤色の酒を注いだ。
匂いは少し甘い。
これなら飲めるかもしれない。一口含む。
「ぐえー、クソまず」
思わず顔をしかめた。
甘そうだったのに渋いし、喉が熱い。カップを置いて舌を出すと、向かいでシルヴィーが肩を揺らした。
「そんな顔になるか」
「なるでしょ。なんでこれ飲むの?」
セルファは自分のカップへ口をつけている。
全然平気そうだった。
「飲み慣れれば分かる」
「分かるまで飲む必要ある?」
「ない」
「じゃあ水ください」
シルヴィーが笑いながら、別のカップを持ってきた。
エマちゃんは少しだけ飲んで、自分の酒を眺めている。
「エマちゃんもまずかった?」
「思っていたより、強いですね」
「じゃあ水にしよ」
「私は、もう少しだけ」
「そっか……」
仲間だと思ったのに。
私が水を飲んでいる間に、セルファが部屋を見回した。
「しばらくはここにいる。家も片づけたい」
「その後は?」
聞くと、セルファはカップを置いた。
「また旅に出る。その時、必要ない物は置いていけばいい」
私は足元の服へ目を向けた。
「ここに?」
「ああ」
「私の物、置いていいの?」
「構わん」
「服も?」
「ああ」
「靴も?」
「持ってきた物を置く話だろ。増やす相談を始めるな」
まだ言ってないじゃん。
顔には出ていたかもしれない。
エマちゃんも、自分の鞄を見ていた。
「研究に使う道具も置かせていただけますか?」
「ああ。旅のたびに全部持ち歩く必要はないだろ」
それを聞いて、エマちゃんが嬉しそうに頷いた。
今までは、どこへ泊まっても荷物をまとめて出ていくことばかり考えていた。買う前には鞄に入るか確かめて、増えたら持ち歩くしかない。
ここには、置いていけるらしい。
「また戻ってきてもいいんだよね」
「そのための家だ」
セルファは普通に答えた。
私も、つい頷く。
今日来たばかりなのに、帰ってくる時のことを少し考えてしまった。
「シルヴィーも一緒に行くの?」
向かいを見ると、シルヴィーが酒を飲み込んだ。
「ああ。そのつもりだ」
「じゃあ、四人か」
「嫌か?」
「いや。魔物の時、働く人が増えるなって」
「最初に考えるのがそれかよ」
セルファまで、少し笑っていた。
仕方ないじゃん。 一か月、結構働いたんだから。
シルヴィーはカップを置き、エマちゃんへ目を向けた。
「嬢ちゃんは、何を調べてるんだ?」
「薬や植物、魔力を含んだ素材ですね。場所が変わると、採れるものも違うので」
「道端で急に降りたくなるんだよね」
「ヤマハさんも、服屋を見つけると急に降りたくなるでしょう」
「まあ、そうだけど」
そこは否定できない。
エマちゃんは少し迷ってから、二人を見た。
「旅の途中で気になるものがあったら、また寄ってもいいですか?」
「急いでいなければな」
セルファが答える。シルヴィーも頷いた。
「面白そうなものがあったら、止まりゃいい。旅なんてそんなもんだろ」
「シルヴィー、いいこと言うじゃん」
「お前に許可した覚えはねえぞ」
「私だけ?」
エマちゃんが笑った。
四つのカップが置かれたテーブルへ、夕方の光が斜めに差していた。私の服とエマちゃんの本はまだ足元にあって、玄関には旅の荷物が並んでいる。
何も片づいていないけれど、私は椅子へもう少し深く座り直した。
服を置いて、エマちゃんが道具を広げて。
次の旅に出る時には、必要なものだけを持っていける。
セルファの家に泊めてもらうつもりで来たのに、思っていたより長い付き合いになりそうだった。
「で、私たち、どこで寝るの?」
顔を上げると、セルファが二階へ続く階段を見た。
「空いてる部屋を使えばいい」
「選んでいい?」
「ああ」
私はエマちゃんを見る。
「見に行こ」
「今ですか?」
「いい部屋なくなる前に」
「私たちしか選ばないんですよね?」
そうだった。
それでも、エマちゃんは本を抱えて立ち上がった。
私は買った服を持ち、二人で階段へ向かった。




