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第二十八話 次は

翌朝、目が覚めた時には、身体がベッドへ沈んでいた。

寝る前と同じ姿勢だった気がする。腕を持ち上げると重いし、膝を曲げれば腿《もも》まで痛い。

寝たら全部治る、なんて都合のいいことは起きなかった。


それでも、昨日よりは動ける。

枕元の紙を手に取った。レグナディア。

その下には、黒い空と青白い雷、二本の刀を持った背中。

書いた文字を見ても、そこから先は浮かばなかった。

少し眺めてから紙を畳み、鞄へしまう。

食堂へ降りると、セルファとエマちゃんが先に座っていた。

セルファの脇には、昨日持ち帰った荷物がある。

あの中に、冠が入っている。


「……それ、ご飯のとこに持ってこないでよ」

「部屋に置いておく方が嫌だろ」

「それもそう」


朝から嫌な二択だった。

エマちゃんが私の歩き方を見て、隣の椅子を引く。


「まだ痛みますか?」

「めっちゃ。昨日の私、働きすぎ」

「今日は無理しないでくださいね」

「聞いた? セルファ」

「ああ。飯を食ったらギルドへ行く」

「聞いただけじゃん」


セルファがパンを割りながら、こちらを見る。


「報告はしておかなきゃならん。歩くのがつらいなら、俺だけで行く」

「いや、行く。冠のことも聞きたいし。でも、報告したら帰るからね」

「ああ」

「追加で森を見てこいとか言われても、私は行かないから」

「俺も行かん」


それを聞いて、ようやくパンをちぎった。

出されたスープは温かい。浸して食べている間だけは、身体の痛みも少し遠くなった。

セルファも昨日より顔色はいい。

ただ、椅子を引いた時に脇腹を庇《かば》っていた。

こいつも、ちゃんと痛いらしい。



◇

ギルドの扉を開けると、受付の女性がこちらを見た。

私たちの顔を確かめ、それからセルファの服へ目を向ける。


「戻っていらしたんですね。調査は……」

「ギルド長に話がある」


その声を聞くと、女性はすぐに奥へ向かった。

案内された部屋で、私は椅子へ腰を下ろした。エマちゃんも隣へ座り、セルファが机の前へ進む。

ギルド長は書類を脇へ寄せた。

後ろへ撫でつけた白髪と短い髭《ひげ》は、前に会った時と変わらない。けれど、私たちを見る目はすぐに険しくなった。


「怪我をしたと聞いたが」

「ああ。ゼノに気づかれた」

「……戦ったのか?」

「そうなった」


セルファが荷物を机へ置く。

布をほどき、中のものを取り出した。

黒い冠が現れたところで、私は椅子を少し引いた。


「いや、近いと嫌で」

「布の中ならいいのか」

「見えない方がまだいいじゃん」


セルファは冠を机へ置いた。

乾いた音がして、ギルド長の視線が止まる。

ゼノの右腕に嵌《は》まっていたもの。

昨日あれだけ見たはずなのに、明るい部屋に置かれると、余計に場違いに見えた。


「……間違いないのか」

「ああ。身体は消えた。残ったのはこれだ」

「二人で倒したのか?」


ギルド長が私を見る。


「まあ……はい。もう一回は無理ですけど」


あれを何度もできる人がいたら、そっちに頼んでほし

い。

セルファは隣の椅子へ座り、気づかれた時のことから話し始めた。

炎で退路を塞がれたこと。離れた腕で、別々に狙われたこと。途中から剣を使い始めたこと。

短く、順番に伝えていく。


聞いていると、昨日の熱さが少しだけ戻ってきた。

私は膝の上で手を握った。

ギルド長は途中で口を挟まず、最後まで聞いていた。


「……よく戻ったな」

「ああ」

「頼んだのは調査だ。戦わせるつもりではなかったんだが」

「それは分かってる」


ギルド長が息を吐き、もう一度冠を見る。


「これが残っているなら、まだ終わってはいないな」

「ああ」


セルファの答えに、私は顔を上げた。


「……どういうこと?」


二人の視線がこちらへ向く。


「他の黒冠《ワーテル》が何かしたら、戻るとか?」

セルファは机の上の冠を見た。


「それだけじゃない。封じられていなければ、一年ほどで身体が戻る」


言葉が、すぐには入ってこなかった。

冠を見て、それからセルファを見る。


「……置いとくだけで?」

「ああ」

「誰も助けなくても?」

「そうだ」


また会おう。あの声を思い出した。

死ぬ前の捨て台詞だと思いたかった。

でも、あいつにとっては違ったんだ。


「じゃあ、倒したんじゃなくて……一年、来なくしただけ?」

「身体を失わせたのは間違いない。だが、それで終わる相手じゃない」


昨日、何度撃っても立ち上がってきた姿が浮かぶ。

ようやく動かなくなったと思ったら、今度は冠が残っている限り戻る。

私は机から少し足を引いた。


「……どうしたら止められるの」

「封刃《ふうじん》という短剣がある。それを使えば、本人と冠を封じられる」


知らない名前が、また増えた。


「セルファ、持ってないの?」

「持っていない」

「探さなきゃってこと?」

「ああ」


ギルド長が、机へ手を置いた。


「その冠、ここで預かろうか」


セルファは首を振る。


「俺が持つ」

「狙われるぞ」

「ここへ置いても同じだ。別の黒冠が回収に来た時、職員に守らせるつもりか」


ギルド長は黙った。

しばらくして、机に置いていた手を引く。


「……分かった。調査には協力してもらえるか」

「ああ。必要なことがあれば聞け」


セルファが冠を布で包み直した。

姿が隠れても、もう安心できなかった。

あの中には、また身体を作って出てくるものが残っている。


「セルファ、それ……」

「町へ置いてはいけない」


私が何を言うか、分かっていたような返事だった。

荷物の口が閉じられる。

私はそれを見たまま、膝の上の手を握り直した。

ギルド長が書類を一枚取り出す。


「調査の報酬は渡しておく。討伐については確認を進め、追加分を出そう」

「……追加?」


思わず背筋が伸びた。

セルファが横を見る。


「今の話の後でも、それには反応するんだな」

「別の話じゃん。痛かったし、服も焼けたし」

「そうだな。そこは、きちんと払わせてもらう」


ギルド長が少し笑い、職員を呼んだ。

渡された袋を持ち上げると、中で硬貨が重なる。

いい音だった。

さっきまでの話を忘れたわけじゃない。

でも、帰ってきた先にご飯代と宿代があるのは、かなりありがたい。


「まずは休め。追加分の準備ができたら、宿へ知らせる」

「ありがとうございます。めっちゃ休みます」

「ああ。そうしてくれ」


私は袋を抱え、椅子から立ち上がった。

今度こそ、帰って寝ていいらしい。



◇

それから数日、私たちはレイゼルで過ごした。

エマちゃんに付き添ってもらって怪我を診てもらい、最初の二日は宿でほとんど寝ていた。

セルファも外へ出ることは少なく、食堂へ降りると大体同じ席にいる。

身体が動くようになってからは、少しずつ町を歩いた。


焼けた服の代わりを探し、帰りにパンを買う。

昨日までは痛かった階段が、今日はそこまで気にならない。肩を動かしても、前ほど顔をしかめずに済む。

店はいつも通り開いていた。

荷車は通るし、酒場は夜になると賑わう。

町の人にとっては、近くの森で起きた戦いだったのだろう。

私も食べて、寝て、気づけばエマちゃんと笑っている。

ただ、あの紙は鞄に入れたままだった。

何か浮かんだら書こうと思っていたけれど、文字はまだ増えていない。

やがてギルドから知らせが来て、追加の報酬を受け取った。

袋は、前にもらったものより重かった。


「……これ全部?」

「ああ。今回の追加分だ」


持ち上げてから、セルファを見る。


「めっちゃある」

「命をかけたからな」


そう言われると、急に浮かれていいのか分からなくなった。

でも、しばらくお金には困らない。

それは素直に嬉しかった。



◇

次の日の朝、食堂で朝食を終えると、セルファがカップを置いた。


「そろそろ出るか」


エマちゃんが顔を上げ、私も最後のパンを飲み込む。


「次、どこ?」

「俺の家だな」

「……家?」


聞き返すと、セルファがこちらを見た。


「俺の」

「そこは分かった。持ち家あんの?」

「ああ」

「金持ちじゃん」

「なんでそうなる」


いや、家あるんでしょ。

十七歳の私からすれば、自分の家を持っているだけで十分すごい。

ずっと宿か野宿だったせいで、こいつにも帰る場所があることを、あまり考えたことがなかった。


「そこで、今後のことを考える。落ち着いて使える場所があった方がいい」

「冠も持ってくんだよね」

「ああ」


荷物へ目を向ける。

嫌なものが一緒なのは変わらない。

けれど、何をするか決める場所ができるのは、少しありがたかった。


「どんな家?」

「普通の家だ」

「部屋ある?」

「家だからな」

「そうじゃなくて、私たちの分! 寝る場所ある? って聞いてんの」

「ああ。二人とも使えばいい」


隣でエマちゃんが、小さく頭を下げた。


「ありがとうございます」

「エマちゃん、返事早」

「宿代がかからないのは助かりますから」


現実的だった。

私も今さら、お金の袋へ目を向ける。

確かに。

いっぱいある時ほど、雑に使ったら駄目な気がする。


「で、どれくらいかかるの?」

「馬車で一か月くらいだ」

「一か月?」


思っていたより、だいぶ遠い。

隣町にちょっと寄るみたいな口ぶりで言わないでほしい。


「歩いたら?」

「もっとかかる」

「馬車にしよ」

「そのつもりだ」


話が早かった。

エマちゃんはもう、途中でどんな町を通るのか聞いている。

セルファが説明する横で、私は空になった皿を脇へ寄せた。


一か月先にある、セルファの家。

家具は少なそうだし、服も似たようなものばかり置いてありそう。

でも、意外と全然違うかもしれない。

刀を使わず、ご飯を食べて、眠っていた場所。

私の知らないセルファが、そこで暮らしていた。


「……ちょっと楽しみかも」

「何がだ」

「家。セルファ、宿でも荷物少ないじゃん。家もそんな感じなのかなって」

「大したものはないぞ」

「それは見てから決める」


セルファは何か言いかけたけれど、結局カップを持ち上げただけだった。

食堂の窓から、町を歩く人が見える。

もう少し休んでいたい気もした。

それでも、ここを出た先に気になる場所ができると、荷物をまとめるのも悪くない。

私は椅子から立ち上がった。

今度の行き先は、誰かの帰る場所だった。


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