第二十七話 噂の向こうに
男が町へ着いた頃には、空の端が赤く染まり始めていた。
門を抜けた先で、商人たちが店先の商品を片づけている。荷車を押す者と仕事帰りの者が通りを行き交い、酒場の開いた扉からは賑やかな声が漏れていた。
男はその間を、一人で歩いていく。
背中には、身の丈を超える長い武器があった。
柄の先に鋭い穂先と湾曲した斧刃があり、その反対側には鉤が突き出している。柄の途中に組み込まれた金具が、歩くたびに小さく鳴った。
すれ違う者が振り返っても、男は気にしなかった。
通りの途中に服屋があった。
店先に並ぶ二人の女のうち、一人の金色の髪が目に入る。
何気なく、顔を確かめた。
そのまま通り過ぎる。
金色の髪を見かけるたびに顔まで見る癖が、いつからついたのかは覚えていない。
期待して近づいたこともある。声をかけ、怪訝な顔をされたこともあった。
今では、考えるより先に目が向く。
男は宿を見つけ、一晩分の金を払った。
案内された二階の部屋へ荷物を置き、武器を壁際に立てかける。窓の外には、さっき歩いてきた通りが見えた。
明日はギルドへ行く。
探し物の手がかりがなければ、仕事を受けて路銀を足し、次の町へ向かえばいい。
ひとまずそう決め、一階の食堂へ降りた。
夕食時の席は、半分ほど埋まっていた。
壁際の椅子へ腰を下ろし、肉料理と酒を頼む。背中の武器がないだけで、ずいぶん身軽だった。
運ばれてきた酒に口をつけ、向かいの空いた椅子を見る。
昔は、一つの卓を囲むだけで騒がしかった。
誰かが料理を選べば、横から勝手に注文が増える。食べきれなくなると、今度は残りを誰が食べるかで揉めた。
自分で頼んだものくらい食え。
そう言ったところで、皿はこちらへ回ってきた。
男は杯を置き、届いた肉へナイフを入れた。
その時、近くの席から聞き覚えのある地名が耳に入る。
「レイゼルで出たらしいぞ。黒冠」
「誰だよ」
「ゼノ」
肉を切る手が止まった。
男は顔を上げず、続きを聞いた。
「町は大丈夫なのか?」
「無事だってよ。ゼノの方が倒されたらしい」
「……誰に?」
「雷刃がいたんだと」
セルファ。
男はナイフを皿の端へ置いた。
あいつがレイゼルにいること自体は、不思議でもない。互いの行き先を逐一知らせているわけでもなかった。
ただ、ゼノを倒したとなれば話は違う。
「でも、一人じゃなかったらしいぞ。女の魔法使いが一緒だったって」
「何の魔法だ?」
「雷らしい」
杯へ伸ばしかけた手が、その手前で止まった。
「雷? 昔話でしか聞いたことねえぞ」
「俺もそう思ったよ」
「あれだろ。雷を使う女。雷戰だったか」
「ああ。国を救った英雄だって話もあるし、戦場を丸ごと吹き飛ばしたって話もある」
「話、でかくなってねえか?」
男はゆっくり顔を上げた。
二つ離れた卓で、男が二人、酒を飲んでいる。
椅子を引き、そちらへ歩いた。
「……悪い」
声をかけると、二人が振り返った。
「今の話、もう少し聞かせてくれ」
「レイゼルの?」
「ああ。その魔法使いだ」
近い方の男が、こちらの身体を見上げる。
「あんた、でけえな……」
「飯の邪魔はしねえよ。少し聞きたいだけだ」
もう一人が笑い、杯を置いた。
「俺たちも直接見たわけじゃないぞ。レイゼルから来た商人に聞いただけだ」
「それでいい」
「ギルドに報告があったらしい。町の近くの森で戦ったんだと」
「女の方は?」
「若かったってよ。十代か、二十歳くらいか」
「見た目は」
「金髪で……眼鏡をかけてたって言ってたな」
男は黙った。
食堂の奥で、店の女が次の料理を呼んでいる。隣の卓から笑い声が上がり、誰かが椅子を引いた。
返事を待っていた二人が、顔を見合わせる。
「知り合いか?」
すぐには答えられなかった。
金色の髪も、眼鏡も、それだけなら珍しいものではない。
雷については、何かの見間違いかもしれない。人づてに伝わる間に、話が変わった可能性もある。
似たような噂を確かめに行ったことは、これまでにもあった。
会ってみれば別人だった。
そもそも、魔法すら使えなかったこともある。
今回も、そうかもしれない。
だが、その女の隣にはセルファがいる。
「……その二人が、ゼノと戦ったんだな?」
「ああ。商人はそう言ってた」
「女の名前は?」
「そこまでは聞いてねえ。悪いな」
「いや。助かった」
男は礼を言い、自分の卓へ戻った。
肉は、まだ半分以上残っていた。杯にも酒がある。
腰を下ろしかけて、やめた。
今から出れば、眠っている間にも先へ進める。
皿を見下ろし、ナイフとフォークを揃えて置いた。代金を卓へ置き、厨房へ声をかける。
「部屋、もう出る」
「え? 今からですか?」
「ああ」
「宿代はお返しできませんよ」
「構わねえ。飯、残して悪かったな」
店の女が何か言う前に、男は階段を上がった。
部屋へ戻り、荷物の口を確かめる。
壁際の武器を持ち上げ、慣れた動作で背中へ回した。金具が鳴り、肩へいつもの重さが戻ってくる。
ほんの少し前までは、ここで一晩眠るつもりだった。
男は扉へ手をかけたところで、一度だけ止まる。
確かめに行って、違っていたら。
その時は、また次へ行けばいい。
何度も、そうしてきた。
それなのに、扉を握る手から力が抜けなかった。
「……見つけたのか、セルファ」
誰もいない部屋へ呟き、扉を開ける。
外へ出ると、通りには灯りがともり始めていた。
酒場へ向かう人の流れを抜け、入ってきたばかりの門へ足を向ける。
今夜の行き先は、もう決まっていた。
レイゼル。
あいつが誰といるのか、自分の目で確かめなければならなかった。




