第二十四話 レグナディア
赤黒い炎と青白い雷が、正面からぶつかった。
ゼノの剣から噴き上がった火が、セルファを呑み込もうと広がる。右の刀がその炎を裂き、ひるがえった服の裾が、熱風の中へ消えた。
私は杖を支えに、右手を向け続けていた。
腕が重い。息を吸うたび、熱い空気が胸へ入ってくる。膝はさっきから、曲がる理由を探しているみたいに震えていた。
脚に雷を流して走って、《ケラウディア》を落として。そのあとも、残った雷を動かし続けている。
もう、大きな魔法は出せない。
できればここで座りたい。冷たいものを飲んで、しばらく何も考えずにいたい。
もちろん、目の前のあれが許してくれればの話だけど。
ゼノが炎の剣を横へ振った。
セルファは右手の黎閃を立て、燃える刃を受ける。その瞬間、私は雷をそちらへ寄せていた。
青白い光が膨らみ、炎の剣が外へ流れる。
空いた胸元へ、左手の宵閃が走った。
今度は、そっち。
雷を移す。
刃がゼノの肩を裂き、離れた腕と身体を繋ぐ炎が大きく揺れた。
……また、合った。
セルファは振り返っていない。どちらへ流せとも言っていない。それなのに、必要になる場所へ、私の手が先に雷を送っている。
偶然なら、一回で終わってほしい。
何度も続いたら、気のせいにできなくなる。
ゼノの左腕がセルファの背後へ回った。宵閃が拳を受けるより先に、私の指はそちらへ向いていた。
雷が弾け、浮いた腕が大きく逸れる。
その間に、黎閃が本体へ届いた。
間に合わないと思った時ほど、考える前に手が動く。その背中を見つめていると、目の前の景色に、別の光景が重なった。
黒い空。
焼けた地面を照らす、青白い光。
視界の端で、自分の髪が揺れている。今より、少し長い。
目の前には、二本の刀を持った男がいた。
私は、その隣で――。
「ヤマハ!」
息を呑んだ瞬間、景色が消えた。
右手から伸びる光が細くなっていた。刀を包む雷がほどけかけている。
私は慌てて腕を上げ直した。
「まだいけるか」
「……いける! でも、ほんとにあと少し!」
言ってから、自分の身体へ確認したくなった。
いけますか。今、いけるって言っちゃったんですけど。
返ってくるのは、震える指先と、荒い呼吸だけだった。
セルファが頷き、迫った剣を受け流す。ゼノもすぐには追わなかった。剣を引き、周囲へ散っていた炎を刀身へ集めていく。
赤黒い刃が、濃く輝いた。
頬へ届く熱が強くなる。
セルファは半歩退き、腰を落とした。右の黎閃を低く、左の宵閃を肩の近くへ。二本の切っ先が、身体の両側へ開かれる。
その姿を見た瞬間、言葉が浮かんだ。
「……レグナディア」
自分の声だった。
何、それ。
口に出したあとで、戸惑った。聞いた覚えがない。セルファに教わったこともない。
それなのに、舌は少しも迷わなかった。
セルファの顔が、わずかにこちらへ向く。
目が見開かれていた。
「……ヤマハ」
「え、今の――」
ゼノが地面を蹴って、炎の剣が持ち上がる。
「繋いでいろ!」
私は右手を伸ばした。
知らない景色も、勝手に出てきた名前も、今は追いかけていられない。
目の前の二本へ。
残っている魔力を流した、その時だった。
刀身を包んでいた雷が、刃から浮いた。
ほどけたのかと思ったが違った。
黎閃から伸びた光が、宵閃へ渡っている。二本の間に何本もの細い雷が張られ、セルファが腕を開くにつれて、青白い筋が引き延ばされていった。
刀に雷を纏わせるだけじゃない。
二本で、雷そのものを引いている。
私の右腕まで引っ張られたような感覚が走った。思わず前へ倒れかけ、杖を地面へ突く。
光が細くなる。セルファの足元が沈んだ。
違う。今、緩めちゃいけない。
理由は分からなかった。でも、刀の間に張られた雷を見た瞬間、私は指を開き直していた。
まだ。
もう少しだけ、そのまま。
ゼノの剣が振り下ろされた。
セルファが黎閃を斜めに振り上げる。炎の刃を受け、その軌道を外へずらした。
刀の動いたあとに、雷の筋が残った。
青白い線が、空中を斜めに走っている。
消えない。
セルファはその線を背にするように踏み込み、宵閃を逆側から引いた。二本の間に張られた雷が狭まり、低い唸りが耳の奥へ響く。
ゼノが剣を引き戻した。
左の拳も、セルファの脇へ迫っている。
「左、来る!」
宵閃が返った。
その動きに引かれた雷が弧を描き、拳を横から打った。離れた腕が地面へ叩きつけられる。
けれど、その分だけ光が揺らいだ。
張り詰めていた筋が、一本、途切れる。
私の指が震えた。
身体の中を探っても、もう、ほとんど何も残っていない。なのに右手だけが、まだ足りないと訴えてくる。
分かってる。
分かってるけど、そんなに入ってないんだってば。
セルファの服の脇に、血が滲んでいた。
それでも、彼は退かなかった。迫る炎の剣を見たまま、宵閃を引き戻す。
ここで切らせたくない。
私は杖を握り締め、残っていた息ごと、魔力を押し出した。
「いけぇぇぇ!」
細くなった雷が、一斉に張った。
セルファが踏み込んだ。
「――《レグナディア》!」
宵閃が、黎閃の残した光を横切った。
青白い筋が交差する。
その瞬間、二本の刀の間に張られていた雷が、すべて交点へ引き絞られた。
光が、小さく縮む。
音が途切れたような気がした。
次の瞬間、それがゼノの眼前で開いた。
交差した二条の雷光が、炎の剣へ食い込んだ。
赤黒い刀身が一瞬たわみ、亀裂から火を噴く。ゼノが腕を引くより早く、雷は刃を割り、その向こうへ突き抜けた。
セルファの二本の刀が、続いた。
胸を斬り抜く刃。その軌道を広げるように雷が走り、ゼノの背後の地面まで交差した光が刻まれた。
轟音が響いた。
衝撃に膝を折られ、私はその場へ崩れ落ちた。杖を抱え込み、飛んでくる土から顔を庇う。
右手から、光が消えた。
……もう無理。本当に、空っぽ。
指を動かしても、火花すら出なかった。
◇
「セルファ……?」
顔を上げる。
土煙に遮られ、姿が見えない。さっきまで絶え間なく響いていた音がなくなって、それがかえって怖かった。
私は杖を引き寄せ、どうにか上体を起こした。
煙の向こうに、人影が見えた。
セルファだった。
立っている。
肩が大きく上下していた。刀に残った雷が、時折小さく弾けている。膝はわずかに曲がっていたけれど、切っ先はまだ前を向いていた。
その先に、ゼノもいた。
「……嘘でしょ」
まだ立ってる。
今ので駄目だったら、もう本当に何も出ないんだけど。
そう思った直後、ゼノの膝が地面へ落ちた。
胸から腹へ、交差した傷が走っている。燃える剣は消え、腕を繋ぐ炎も細くなっていた。
「……終わった?」
「まだ近づくな」
「近づけって言われても無理。今、立つのもだいぶ怪しいから」
杖に身体を預けたまま、ゼノを見た。
肩が動く。セルファの切っ先が上がった。
けれど、ゼノは攻撃しなかった。
「……そうか」
掠れた声だった。
二本の刀を見て、それから私へ目を向ける。怒っているようにも、悔しがっているようにも見えなかった。
何かを確かめ終えたような顔だった。
そのほうが、嫌だった。
「やはり――」
「言うな」
セルファが一歩、前へ出た。
低い声だった。
ゼノの言葉が止まる。
「……セルファ?」
聞き間違いじゃない。
何かを言おうとした。セルファは、それを止めた。
ゼノがゆっくり口元を上げる。
「なるほど」
胸の奥がざわついた。
「ちょっと待って。私の話してるよね? 私だけ分かってないまま、二人で納得しないでよ」
セルファはゼノを見据えたまま、答えなかった。
腕を繋いでいた炎が、ふっと消えた。
離れていた両腕が地面へ落ち、重い音が二つ響く。ゼノの身体が傾いた。それでも倒れず、顔だけを上げて私を見た。
「次は――」
口元から、赤黒い炎が漏れた。
さっき剣を引き抜いた時と同じ火だった。
でも、今度は口だけじゃない。目元から、裂けた胸からも炎が溢れていた。身体の内側で燃えているようにしか見えなかった。
なのに、悲鳴は上がらない。
ゼノは私を見たまま、笑った。
「……また、会おう」
背中がぞわっとした。
「いや、もういいって……」
炎が全身から噴き出す。
脚が黒い灰へ崩れ、胸も肩も形を失った。最後まで残った顔は、まだこちらを向いていた。
まだ、笑っている。
やめて。怖いって。
地面に落ちていた両腕も、炎の中で崩れた。右腕に嵌まっていた黒い冠だけが、その場へ転がる。
カラン、と乾いた音がした。
炎が消える。ゼノは、どこにもいなかった。
しばらく、その場所を見ていた。
もう拳は飛んでこない。炎も追ってこない。それを確かめて、私はようやく息を吐いた。上体を支えているのもつらくなり、杖を抱えたまま肩を落とす。
セルファはまだ動かなかった。
ゼノのいた場所と、落ちた冠を見ている。やがて刀に残った細い雷も消え、二本の切っ先がゆっくり下ろされた。
「セルファ」
「なんだ」
「なにあれ。最後まできもちわる」
少し間が空いた。
「……同感だ」
そこは合うんだ。
私は焼けた地面へ目を向けた。
黒冠、ゼノ。
本人も腕も灰になったのに、その冠だけは残っている。傷一つ見えない。焼けた土の上で、黒く光っていた。
「……あれ、どうするの?」
返事の前に、セルファが周囲を見渡した。
折れた木と、抉れた地面。枝の先には、まだ小さな火が残っている。
「先に、お前を火から離す」
「私、大丈夫――」
立とうとして、膝が動かなかった。
全然、大丈夫じゃない。
セルファが刀を納め、私の前で片膝をついた。差し出された手を見て、それから服の脇へ目がいく。
血の染みが、さっきより広がっていた。
私だけじゃない。セルファだって、休まないといけない。
手を借りて立ち上がる。身体が傾くと、すぐに腕を支えられた。
「雷、もう出ない」
「使うな」
「言われなくても出ないって。歩く分まで使い切った気がする」
冠が見える範囲で、火の残っていない木の根元へ向かう。ほんの数歩なのに、足がひどく重かった。
セルファの肩へ掴まりながら、その横顔を見る。
聞きたいことは、何一つ減っていない。
むしろ、増えた。
「ねえ。私、あの技の名前、知らなかったんだけど」
私を支える腕が、わずかに止まった。
「なのに出てきたの。考えたとか、適当に名前つけたとかじゃなくて……知ってる名前を呼ぶみたいに」
二本の刀へ目を落とした。
レグナディア。
心の中でもう一度呼ぶ。その響きだけが、妙に馴染んでいた。
「セルファも、驚いてたよね」
彼はすぐには答えなかった。
木の根元へ私を座らせ、そばに片膝をついてから、ようやく頷いた。
「……ああ」
「じゃあ、そこは気のせいじゃないんだ」
初めて聞いたはずの名前。
初めて見たはずの構え。
戦っている間、何度も浮かんだ知らない景色。
分からないことが自分の外にあるうちは、誰かに聞けばよかった。でも、自分の中にあるものを自分が知らないのは、どうしたらいいんだろう。
「帰ったら、ちゃんと話して。言えないことがあるなら、せめてそう言ってよ。私が変なのかなって、ずっと考えちゃうから」
セルファがこちらを見た。
何か言いかけ、口を閉じる。
また黙るのかと思ったところで、私の腕を支えていた手に力が入った。
「お前がおかしいわけじゃない」
「……ほんと?」
「ああ」
その一言で、少しだけ息がしやすくなった。
でも、納得したわけじゃない。
「忘れないからね。今の話」
「分かった」
私は頷き、杖を膝の上へ引き寄せた。
焼けた森に、灰が舞っている。
崩れた地面と、そこに残る黒い冠。
倒した。確かに、倒したはずだった。
それなのに、最後の言葉が耳から離れない。
――また、会おう。
セルファは、その言葉を否定しなかった。




