第二十三話 雷龍、降る
八重霞の斬撃が、ゼノの身体を走った。
八つの光が重なり、土が跳ね上がる。折れた枝が頭上を飛び、私は杖を抱えたまま顔を庇った。
……入った。
今のは、絶対に。
「まだだ」
セルファの声に顔を上げる。
彼は二本の刀を構えたまま、舞い上がる土煙を見据えていた。その向こうで、浮いた腕が動く。
ゼノは立っていた。
服は裂け、胸から脇腹にかけて深い傷が走っている。頬を伝う血を指で拭い、赤く染まった指先を眺めた。
「……やるな」
あれを受けて、その一言?
倒れるどころか、腕を繋ぐ炎も消えていない。
黒冠は七人。
こういうのが、あと六人いるってこと?
ちょっと、聞いてたより無理なんだけど。まじで。
セルファが右手の黎閃を持ち直した。左手の宵閃も、刃先をゼノへ向けている。
ゼノの右腕が上がった。
掌に炎が膨らむ。
セルファが横へ踏み込んだが、ゼノは彼を狙っていなかった。
その向こうにいる、私へ。
「えっ、またこっち!?」
地面を蹴る。
背中へ迫る熱に、頭の中が真っ白になった。
もっと速く。
腕から雷を出す時と同じように、脚へ魔力を流した。
次の瞬間、身体が前へ放り出された。
「うわっ!?」
景色が、一気に流れる。
踏み出した足が思っていた場所を通り過ぎた。次の一歩を出す前に身体が傾き、そのまま肩から転がる。
杖を握りしめ、顔を打たないように腕をついた。
背後で炎が弾ける。
さっきまで立っていた場所が、真っ赤に燃えていた。
「あっぶな……」
起き上がろうとして、自分の足を見る。
靴の周りに、青白い火花が残っていた。
今の、雷?脚に流したから、速くなった?
考えている間にも、刀と拳がぶつかる音が響いた。セルファが腕を受け流し、逸れた拳が木の幹を砕く。
ここにいたら、また狙われる。
私は脚へ、さっきより少しだけ魔力を流した。
一歩踏み出す。
それでも思ったより遠くへ進み、慌てて近くの木へ手をついた。
「……止まる方、むっず」
速くなるのは分かった。
ただ、走り方まで分かったわけじゃない。転がった肩も痛いし、膝には変な力が入っていた。
木陰から顔を出す。
セルファが、ゼノの腕を弾いていた。
踏み込もうとしたところへ別の腕が回り、宵閃がそれを受け流す。
服の脇には、血が滲んでいた。
あのまま、戦わせておけない。
私にも、できることがある。
ゼノの視線がセルファへ向いた隙に、木から木へ移った。脚に流す魔力を抑えながら、二人の横へ回り込む。
止まる前に、魔力を弱める。
早めに足をつく。
それでも勢いが余り、最後は木の幹へ肩をぶつけた。
「いった……」
さっき打った方。最悪。
けれど、そこからならゼノがよく見えた。セルファは、その向こう側にいる。
腕を一つ弾くだけでは、もう片方が来る。本体を狙っても、すぐに腕が戻って守る。
だったら、上から。
あいつが動けなくなるくらいの、一発。
左手で杖を握り直し、右手を空へ向けた。
雷が集まり、頭上から落ちるところを思い浮かべる。
大きく、長く。
あの二本の腕ごと呑み込めるように。
「……龍とか、よくない?」
指先から、青白い光が伸びた。
腕の中を流れる魔力が、次々に空へ抜けていく。髪がふわりと浮き、眼鏡の縁で小さな火花が散った。
頭上で、雷が鳴る。
森に落ちる光が薄くなった。
見上げると、黒い雲が広がっていた。
その中を走る白い筋が、一か所へ集まっていく。
長い胴がうねり、先端に大きな顎が形作られる。枝分かれした雷が角になり、雲の下へ青白い龍が現れた。
「……おお」
自分でやってるのに、ちょっと引いた。
想像してたより、だいぶでかい。
ゼノが顔を上げる。
セルファも、空を見た。
「セルファ、離れて!」
彼はすぐに地面を蹴った。
迫る腕を避け、私とは反対側へ飛び退く。その姿が龍の真下から抜けたのを確かめ、右手を振り下ろした。
「《ケラウディア》!」
龍が落ちた。
青白い顎がゼノを呑み、森が白く染まる。
音が消えたと思った直後、身体ごと叩かれるような轟音が響いた。
私は木の陰へしゃがみ込み、頭を庇う。熱を含んだ風が吹き抜け、枝と土が背中へ降ってきた。
地面の震えが、足の裏から伝わってくる。
やがて、光が収まった。
顔を上げ、立とうとする。
膝から力が抜けた。
「あれ……」
杖を地面につき、どうにか身体を支える。
腕も重い。
さっきまで流せていた魔力が、うまく集まらなかった。
……使いすぎた?
もう一回、同じのは無理。
そこだけは、試さなくても分かった。
煙の向こうで、ゼノが膝をついていた。
足元の土は黒く抉れ、裂けた服から細い煙が上がっている。浮いていた腕の一つが低く垂れ、身体と繋がる炎も途切れかけていた。
効いてる。よかった。
本当に、効いて――。
ゼノの顔が、こちらへ向いた。
目が合った瞬間、背中が冷たくなる。
ゆっくりと、立ち上がった。
その周りに、火が灯る。
一つ、二つ。
数えようとして、やめた。
十個以上ある。
どれも人の頭くらいの大きさで、ゼノの周囲に浮いていた。揺れていた炎の先が、一斉にこちらへ向く。
「……それは、無理」
脚へ魔力を流そうとする。
火花は散った。
けれど、さっきのように身体を押し出す力が来ない。
炎が飛んだ。
逃げようと立ち上がった、その前へ黒い背中が滑り込む。
「下がれ」
セルファだった。
黎閃が、最初の炎を斜めに斬り上げる。割れた火が頭上を抜け、続く二つへ宵閃が走った。
「焔返し《ほむらがえし》」
刃に沿って炎が走る。
触れた火の塊が軌道を変え、左右の地面へ突き刺さった。
爆発が続く。
セルファの髪が風に煽られた。それでも足は崩れず、右の刀を返した時には、左の刃が次の炎へ届いている。
私は言われた通りに下がった。
足元の根に引っかかりそうになりながら、彼の背中から離れすぎないようにする。
最後の一つが、二つに裂けた。
両脇で炎が弾け、熱い風が頬を掠める。
私のいる場所には、届かなかった。
「……ありがと」
声が掠れた。
セルファは振り返らず、短く息を吐く。
「まだ後ろにいろ」
「うん」
今度は、素直に頷いた。
止めたかった。
逃げられるようにしたかった。
でも、あれで倒れなかった時のことまで考えていなかった。立つのもやっとでは、セルファが作ってくれた隙にも逃げられない。
杖を握り直す。
まだ少しは、魔力が残っている。
大きいのは無理でも、脚へ流す分くらいは残しておかなきゃ。
ゼノは、抉れた地面の上に立っていた。
胸の傷は塞がっていない。片腕を繋ぐ炎も、細く揺れている。
それでも、こちらへ歩き始めた。
セルファが二本の刀を構える。
「俺が止める。道が空いたら走れ」
「セルファは?」
「すぐ行く」
その横顔を見る。
口元には、まだ血が残っていた。
「……ちゃんと来てよ」
「ああ」
森のあちこちで、小さな火が燃えている。
折れた枝の先から煙が上がり、焦げた匂いが喉に張りついた。
その中で、ゼノの腕を繋ぐ炎が膨らんだ。
途切れかけていた火が太くなる。
赤い光が肩から胸へ広がり、裂けた服の上を這った。
何かが、おかしい。
さっきまでこちらへ飛ばしていた炎が、今度はゼノ自身へまとわりついている。
私は杖を持ち上げた。
セルファが、低く言う。
「来るぞ」
ゼノの足元から、炎が噴き上がった。
赤黒い火が全身を包み、その姿を覆い隠していく。
炎の中で、二つの目だけがこちらを見ていた。
ゼノを包む赤黒い炎が、周囲の空気を揺らしていた。
焼けた地面を這っていた火まで、少しずつその身体へ集まっていく。離れている私のところにも熱が届き、頬に張りついた髪を払った。
セルファは二本の刀を構えたまま、炎の向こうを見ている。
その中で、ゼノがゆっくりと口を開いた。
「……なに?」
喉の奥が、赤く光る。
口元から炎が漏れ、細長いものがせり出してきた。浮いていた右腕がそれを掴み、そのまま引き抜く。
剣だった。
赤と黒の炎が絡み合い、長い刀身を形作っている。縁は絶えず揺れ、崩れたところから新しい火が噴き上がっていた。
……いや、それより。
「うぇ、きもちわるー」
口から出したし、しまう時もそこなの?
セルファが二本の刀を握り直し、腰を落とした。
「下がれ、ヤマハ」
「下がってるって」
「もっとだ」
私は杖を抱え直し、後ろへ下がった。
ゼノが燃える剣を持ち上げる。その動きに合わせて炎が伸び、近くの枝が触れる前から焦げ始めた。
腕を飛ばして、炎を飛ばして、岩まで溶かしていた。
あれで、まだ剣を出してなかったんだ。
「……ねえ、帰れる?」
「隙を作る。見逃すな」
頷いた瞬間、ゼノが踏み込んだ。
燃える刃が、セルファの頭上へ迫る。
二本の刀が交差し、剣を受け止めた。衝突したところから炎が散り、セルファの足元で焼けた土が崩れる。
けれど、彼は押し切られなかった。
右の刀を傾けて剣を滑らせ、左の刃をゼノの脇腹へ走らせる。ゼノは身体を捻り、引き戻した剣でそれを弾いた。
次の音が、すぐに響く。
刀が剣を弾き、その脇へもう一本が入る。ゼノが退けばセルファが追い、浮いた左腕が横から拳を叩き込む。
セルファは宵閃で拳を逸らし、黎閃を振り下ろした。
さっきより、ずっと速い。
目で追えているつもりでも、気づけば別の場所で火花が散っていた。
ゼノが剣を振り下ろす。
セルファは横へ身体を滑らせ、刃を添えて軌道を外した。地面に叩きつけられた炎が広がり、近くの木の幹を焼き切る。
軋む音に顔を上げ、私は慌てて横へ逃げた。
倒れた木が地面を打つ。
葉と灰が舞い上がり、顔の前を枝が掠めた。
……あの中には入れない。
脚に雷を流せば、速く動ける。
だからって、二人の間へ飛び込めるわけじゃない。そんなことをしたら、速く死ぬだけだ。
そもそも、今は脚を動かす魔力だって惜しい。
杖を支えに息を整えていると、足元で青白い光が瞬いた。
《ケラウディア》が落ちた場所から、細い雷が伸びている。岩の隙間や木の根元にも、消えきらない光が残っていた。
右手を向けてみる。
指先に意識を集めると、一番近くの光がわずかに動いた。
「……あ」
まだ、動かせる。
新しく大きな雷を出すのは無理でも、残っているこれなら。
腰を落とし、右手を地面へ近づけた。
細い光が土の上を走る。
木の根に沿わせ、岩の横を抜けさせる。
額に汗が滲んだけれど、雷は思った方へ進んだ。
ゼノの背後へ。
セルファの刀と炎の剣がぶつかった瞬間、足元を狙って光を走らせた。
ゼノが足を引く。そこへ、黎閃が入った。
炎の剣が刀を受け止めた隙に、別の光を横から寄せる。ゼノの脇腹を掠め、赤黒い炎の一部を弾き飛ばした。
「――ッ」
いける。
倒せなくても、動きを邪魔できる。
私は木陰に身を寄せたまま、散らばった雷へ意識を向けた。
セルファが右へ抜けるなら、左から。
宵閃を振り上げるなら、その下を通す。
不思議だった。
二人とも速い。一瞬前にいた場所には、もういない。
それなのに、セルファが次にどこへ動くのか、分かる時があった。
刀を構える角度や、足の向き。
それを見て考えるより先に、指が雷の進む方を変えている。
前に魔物と戦った時は、言われた場所へ撃つだけだった。
こんなふうに動きを読んで合わせたことなんて、ないはずなのに。
頭の奥に、何かが引っかかった。
暗い空と、荒れた地面。
赤黒い炎の前に立つ、二本の刀を持った背中。
そのすぐ近くに、誰かが――。
「っ……」
こめかみが痛んだ。
雷の一本が軌道を外れ、木の根元で弾ける。
「ヤマハ!」
顔を上げると、ゼノの剣が横へ振られていた。
セルファが後ろへ跳ぶ。
刃から広がる炎を見て、私は幹の後ろへ身体を引いた。熱い風がすぐ横を抜け、頭上の葉がぱちぱちと燃え始める。
息を止めていたことに気づき、ゆっくり吐いた。
……考えるのは、後。
今は、ここから帰る方が先。
もう一度、右手を地面へ向ける。
残っている光が、さっきより細くなっていた。
何度も追いかけ回していたら、全部消えてしまう。
だったら、動く場所を減らせばいい。
私はゼノの周囲へ雷を寄せた。
左右と、背後。
地面を這わせるだけでなく、先端を少しずつ持ち上げる。細長く伸びた青白い光が、内側へ曲がった。
「《ヴェルティア》」
雷の棘が、ゼノを囲む。
「……うわ」
できた。
思ってたより、見た目が怖い。
ゼノが横へ動いた。
その方向にある棘を近づけると、足が止まる。セルファが踏み込み、二本の刀を続けて振るった。
剣で弾いたゼノが、後ろへ下がろうとする。
今度は、背後の棘を寄せた。
逃げようとした方から塞ぐ。
全部を一度に動かさず、必要なところだけ。
それでも指先は震え、呼吸が浅くなっていった。杖を握る左手にも、力が入りすぎている。
ゼノが炎の剣で正面の雷を払った。
そこへ、横から別の一本を滑り込ませる。空いた場所を塞ぐたび、ゼノの動ける範囲が狭くなった。
「これ、めっちゃ嫌だな……」
私なら、絶対くらいたくない。
右手をゆっくり握る。
棘の先端が内側を向き、囲んだ空間が縮まった。
もう少し。
このまま、閉じれば――。
「……あ」
ゼノの目の前に、セルファがいる。
「ちょ、待って! これセルファも閉じ込めてない!?」
炎の剣を受けながら、彼が一瞬こちらを見た。
「俺の出る場所を残せ」
「ごめん、今開ける!」
「待て。そのまま保て」
開こうとした指が止まる。
どっち!?
セルファが剣を弾き、半歩だけ距離を取った。
「その雷、刀へ流せ」
「全部?」
「ああ」
二本の刀を見る。
そうだ。《フルメクタ》。
今度は、新しく雷を出さなくてもいい。ここに残っているものを、あそこへ集めれば。
「……分かった!」
右手を開き、刀へ向けた。
ゼノを囲んでいた光の先端が、一斉に向きを変える。
最初の一本が、黎閃へ触れた。
青白い光が刀身へ巻きつき、刃に沿って伸びていく。次の一本は宵閃へ。
岩の横や木の根元に残ったものも、細い筋となって二本の刀へ集まった。
雷が触れるたび、セルファが手首を返す。
受けた光は散らず、刀身の上で重なっていった。
ゼノが踏み込む。
セルファは雷を纏った黎閃で炎の剣を受け、宵閃を横から走らせた。
青白い光が、赤黒い火を裂く。
ゼノが大きく距離を取った。
「……なにそれ、かっこよ」
ずる。
私の雷なのに、セルファが使うと急に完成した感じになる。
でも、見惚れている余裕はなかった。
光を集める右腕が重い。少し気を抜くだけで、細い雷が途中から途切れそうになる。
杖を地面に突き、身体を支えた。
ゼノは、二本の刀を見ていた。
「……その雷」
低い声が漏れる。
視線が、ゆっくり私へ移った。
「そうか」
その一言で、胸の奥が冷たくなった。
さっきも、同じように私の雷を見ていた。
何かを知ってる。
「雷刃と――」
「ゼノ」
セルファの声が遮った。
雷を纏う刀の切っ先が、ゼノへ向く。
「お前の相手は俺だ」
ゼノの口元が、わずかに歪んだ。
セルファは振り返らなかった。
代わりに、問いが返ってくる。
「ヤマハ、あと少し保てるか」
右手を見ると指先が震えていた。
残っている魔力も、もう多くない。
「……長くは無理」
「それでいい」
聞きたいことが、また増えた。
ハイクの言葉も、セルファが答えなかったことも、今のゼノの反応も。
全部、私に繋がっている気がする。
だからこそ、こんなところで終わってたまるか。
「帰ったら、話聞くからね」
セルファが、わずかに頷いた。
私は途切れかけた光を繋ぎ直す。
最後の細い筋が、二本の刀へ収まった。
足元に残っていた青白い光も、もうない。
ゼノが剣を構える。
炎が膨らみ、赤黒い刀身がさらに長くなった。
セルファは腰を落とし、二本の刀を引く。
その背中を見ていると、胸の奥が妙にざわついた。
雷を流すのは、初めてじゃない。
けれど、二本の刀を光らせて構える姿は、初めて見るはずだった。
それなのに、知っている気がする。
あの足の置き方も、刀を引く角度も。
「ヤマハ」
セルファが顔だけを、わずかに向けた。
「いくぞ」
何をするのか、まだ聞いていない。
どちらへ動くかも、合図をどうするかも。
それなのに私は、右手を向け直していた。
「……うん」
残っている魔力を、細く繋ぐ。
刀身の雷が、一際強く輝いた。
セルファとゼノが、同時に地面を蹴った。




