第十八話 黎閃と宵閃
馬車に乗れば、あとは座っているだけでレイゼルに着く。
私はそう思っていた。
最初のうちは、最高だった。
歩かなくていいし、荷物も持たなくていい。
窓の外には知らない景色が流れ、小さな村を通れば、エマちゃんがその土地の植物について教えてくれる。
旅って、全部これでよくない?
そう思っていたのに。
「……セルファ」
「何だ」
「まだ?」
「もう見えてる」
「見えてからが長いんだって」
乗合馬車は、途中の町でレイゼルへ向かう街道から分かれた。
そこから別の馬車に乗り継ぐには、次の便まで待つ必要があった。
歩いた方が早いと聞いて、私もそれでいいと言ったのだ。
選んだのは私だ。
でも、その日のうちに着くと思うじゃん。
野宿を挟み、今日も朝から歩いている。
隣のエマちゃんも、いつもより口数が少なかった。
「エマちゃん、大丈夫?」
「足が、少し……」
「分かる。私も」
大きな鞄はセルファが持っていた。
それでも歩く距離は変わらない。
エマちゃんの白い上着には土埃がつき、黒髪も風に吹かれて乱れている。
セルファだけは、いつもと同じ足取りだった。
街道の先には、高い外壁が長く続いていた。
中央の門を、荷馬車や人が絶えず出入りしている。
あれが、レイゼル。
門の近くまで来ると、私は道の脇で膝に手をついた。
「……着いた」
「まだ町に入ってないぞ」
「今、喜んでるとこ」
エマちゃんも隣で息を整えていた。セルファは鞄を地面へ置き、私たちを待つ。
「元気だねぇ。こっちは脚が重いのに、荷物まで持って普通に歩いてるじゃん」
「歩き慣れてるだけだ」
「刀取りに行けるからでしょ」
エマちゃんがセルファを見上げた。
「でも、町が見えてから、少し速くなったような」
「お前まで言うのか」
私とエマちゃんが顔を見合わせる。
味方がいるって、いい。
◇
門を抜けると、疲れていたはずなのに顔が上がった。
「おお……」
ソルネアより大きいとは聞いていたけれど、想像以上だった。
広い通りを荷車が行き交い、その両側には何階もある建物が並んでいる。
一階のほとんどが店で、食べ物や道具、布や革製品が店先まで置かれていた。
呼び込みの声に混じって、遠くから金属を叩く音が聞こえる。
どこかで肉を焼いているらしく、急にお腹まで空いてきた。
「めっちゃ都会じゃん」
「宿は、こっちだ」
セルファについて歩きながら、店先を見る。
服屋があった。その向かいにも、少し先にもある。
深い青の上着に、裾へ刺繍の入ったスカート。あの短いブーツも、可愛い。
「セルファ、ちょっとあそこ――」
「荷物を置いてからだ」
「まだ何も言ってないじゃん」
「何を見てるかは分かる」
エマちゃんも店へ顔を向けた。
「私も、あとで見たいです」
「だよね。行こ」
宿を取り、部屋へ荷物を運び込むと、エマちゃんが鞄を開いた。
並んだ本の背を確かめ、そっと蓋を閉じる。
「無事でした」
「本の確認が先なんだ」
「馬車で何度か大きく揺れましたので。瓶は布で包んでありますが、本の角までは全部守れなくて」
「持ち主も結構揺れてたけどね」
昼食を済ませて部屋へ戻ると、私は椅子に座って脚を伸ばした。
少し休んだら、買い物。
そう思っていると、扉のところでセルファが振り返る。
「俺は工房へ行く」
「あ、待って。私も行く」
「休まなくていいのか」
「刀は見たい」
二本になるところを、見逃すわけにはいかない。
エマちゃんも立ち上がった。
「私も、ご一緒していいですか?」
「ああ」
セルファが扉を開ける。
やっぱり少し、楽しみにしてるんじゃないだろうか。
◇
大通りを抜け、細い道を二度曲がると、工房らしい建物が増えた。
開いた扉の向こうで炉の火が揺れ、屋根からは煙が上がっている。
金属を叩く音があちこちから響き、通りには炭と油の匂いが漂っていた。
セルファは道を確かめることもなく、一軒の古い工房の前で止まった。
黒ずんだ木の壁に、小さな金属板が掛かっている。扉を開けると、熱気が顔へ押し寄せた。
「暑っ」
中の壁には剣や斧、槍が並んでいた。
奥に赤々と燃える炉があり、その前で一人の男が金槌を振るっている。
背は低い。けれど、肩も腕も分厚かった。顔の下半分を覆う立派な髭に、革の前掛けをつけている。
「……ドワーフ」
初めて見た。
エルフもいたけど、ドワーフも本当にいるんだ。
しかも、ちゃんと鍛冶をしている。
男が手を止め、こちらを振り返った。
「久々だな、ハイク」
セルファの声に、髭の奥で口元が緩む。
「おお、セルファか。ようやく顔を出しやがったな」 「預けたものを取りに来た」
「挨拶くらい、ゆっくりせんか。刀は逃げやせんぞ」
金槌を置いたハイクが、こちらへ歩いてくる。
その視線がエマちゃんを通り、私の顔で止まった。
「……お?」
目が合う。
ハイクは私を見たあと、セルファへ顔を向けた。セルファは腰の刀を外している。
「一緒に旅をしている。ヤマハとエマだ」
少し遅れて、ハイクが頷いた。
「そうか。ワシはハイクだ」
「ヤマハです。よろしく」
「エマと申します。よろしくお願いします」
エマちゃんが丁寧に頭を下げる。私も、それを見て少し頭を下げた。
ハイクの目が、もう一度こちらへ戻ってくる。
何か、顔についてる?
眼鏡を押し上げてみたけれど、彼はもうセルファの刀を受け取っていた。
「助かった」
「よく使ったようだな」
ハイクが鞘から刃を少し抜く。炉の火に照らされた刀身には、細かな傷が残っていた。
「こっちは手入れしておく。預かった二本も見てやったぞ。長く置いとくなら、たまには顔を出せ」
「すまんな」
「取りに来たなら、まあいい」
ハイクは刀を作業台へ置き、工房の奥へ入っていった。
私はセルファへ近づく。
「この人に預けてたんだ?」
「ああ」
「刀を作った人?」
「作ったのは別の奴だ。ハイクには手入れを頼んでる」
しばらくして、ハイクが細長い包みを二つ抱えて戻ってきた。
作業台へ並べ、厚い布を解く。
現れたのは、長さの違う二本の刀だった。
「……おお」
鞘は、二本とも黒かった。
余計な模様のない、すっきりした形。
表面には漆を塗ったような艶があり、ハイクが布をどけると、炉の明かりが細く映り込んだ。
黒い柄の頭からは紐が下がり、その先に小さな石がついている。
長い方を持ち上げると、石も作業台から離れ、紐の先で揺れた。
鍔は菱形だった。
角に丸みがあり、霞んだような金色をしている。
ぴかぴかと光る金ではなく、黒い柄や鞘に馴染む、落ち着いた色だった。
二本は同じ作りで、長さと反りが少し違う。短い方は細身で、反りも浅かった。
派手な飾りはない。
それなのに、二本並んでいるだけで目が離せなかった。
「かっこよ……」
短い方の柄には、古びた細い布が巻かれていた。
赤っぽく見えるけれど、色はかなり褪せている。
端も擦れていて、手入れされた刀の中で、そこだけ長く使われてきたように見えた。
セルファが長い方を手に取る。
親指で鍔を押し、少しだけ刃を抜いた。
「……なにこれ」
銀色の刀身に、炉の火が映る。
角度が変わると、その光の下に冷たい青白さが見えた。
髪の毛ほど細い筋が、刃先へ向かって伸びている。文字でも、ただの飾りでもなさそうだった。
「黎閃」
「れいせん?」
セルファが頷く。
刃を確かめ、静かに鞘へ戻した。続いて短い方を手に取ると、柄に巻かれた布を親指で一度撫でる。
それから、刀を抜いた。
こちらは光によって、淡い紫を帯びて見えた。細い筋の走り方も、長い方とは違う。
「宵閃」
「しょうせん。……刀にも名前ついてるんだ」
「ああ」
「いいな。二本とも、めっちゃかっこいい」
手に取った姿を見ると、長さの違いがよく分かった。セルファは短い方も刃を確かめ、ゆっくり鞘へ戻す。
柄の頭についた石が揺れ、それを指で押さえてから作業台へ置いた。
「そこに巻いてるのは?」
私が細い布を指すと、セルファは手元へ目を落とした。
「昔、もらったものだ」
「ずっと巻いてるの?」
「ああ」
短い答えだった。
けれど、さっき指で撫でていたところを見ると、ただ外すのが面倒なわけではなさそうだ。
私は改めて、長い方の刀へ目を向けた。
「刃に入ってた線は何なの?」
「魔力を通すためのものだ」
答えたのはハイクだった。
「普通の刀にも魔力は纏わせられる。こいつらは、その流れを刃全体へ通しやすいように鍛えてある。通せばそれで斬れる、というもんではないがな」
「扱う人も、上手くないと駄目ってこと?」
「そういうことだ。流れを乱せば、せっかくの魔力も逃げる。こいつは、それを扱うのが上手い」
ハイクがセルファを見る。
洞穴で見た光景が浮かんだ。
私の雷が刀へ流れ、そのまま魔物の脚を斬った。あの時は、借りた刀だった。
「フルメクタも、この二本で使うの?」
「ああ。受けた魔力の流れを刃に沿わせて、斬る時まで保つ」
「私の雷、結構一瞬じゃない? 撃ったらすぐ消えるし、当たったところがちょっと光るくらいでしょ。それを刀に残してたの?」
「受ける位置と、斬るまでの間を合わせる。長く置いておくわけじゃない」
「……そんなことしてたんだ」
私は言われたところへ撃つので精いっぱいだった。
その間にセルファは、雷を受けて、刃に沿わせて、斬るところまで考えていたらしい。
「じゃあ、この二本でやるところも見たい」
「練習する時にな」
「約束ね」
セルファが二本を腰へ差す。
長い黎閃と、短い宵閃。柄の位置を確かめるように手を添え、それから腕を下ろした。
黒い鞘が腰に並び、柄から下がった石が小さく揺れる。落ち着いた金色の鍔も、セルファの服によく合っていた。
今までの一本も、似合っていた。
でも、二本を差した姿を見た時、思ったより驚かなかった。
「なんか、そっちの方がセルファっぽいね」
「…初めて見ただろ」
「そうなんだけど」
もっと見慣れない感じになると思っていた。なのに、すっと収まって見える。
ハイクが髭を撫でながら笑った。
「久しぶりだな、その姿も。雷刃」
隣で、エマちゃんが顔を上げた。
「……雷刃?」
本を見つけた時とも、植物の話をする時とも違う顔だった。
セルファの顔を見て、尖った耳を確かめるように目を動かし、腰の二本へ視線を下ろす。
「エマちゃん、知ってるの?」
「古い記録で、名前を見たことがあります。長さの違う二本の刀を使う、エルフの剣士です」
「そのまんまじゃん」
セルファを見る。
「本人?」
「昔、そう呼ばれていた」
あっさり答えた。
記録に名前が残る人。
目立つから刀を預けていたと言ったのは、こういうことらしい。
エマちゃんが、二本の刀を見つめる。
「その記録には、刃に青白い雷が宿ったと書かれていました」
「……雷?」
思わず聞き返した。
「はい。ただ、どのように雷を宿していたのかは、はっきりしていません。刀の力だとする記述も、魔道具を使っていたとするものもあって、読んだものによって説明が違うんです」
ハイクが鼻を鳴らす。
「書いた奴が、全部見とったとは限らんからな」
「そうですね。記録だけでは分からないことが多いと思っていました」
私はセルファの腰を見る。
黎閃と宵閃。
魔力を通すための、刃の細い筋。
洞穴で私の雷を受けた時と、昔の戦い方は同じだったんだろうか。
「セルファは、雷の魔法は使えないんだよね?」
「ああ」
「刀も、勝手に雷を出すわけじゃない」
「そうだ」
だったら、誰かの雷を使っていたはずだ。
相談所で聞いた名前が、頭に浮かぶ。
雷戰。
雷を自在に操った、昔の魔法使い。その人以外には、雷を扱える者はいなかったという話だった。
「……雷戰と、一緒に戦ってたの?」
セルファへ顔を向ける。
彼はすぐには答えなかった。
ハイクも口を挟まず、作業台の包み布を畳んでいる。炉の中で、炭が小さく弾けた。
「セルファ?」
「その話は、また今度だ」
さっきまでと違って、適当に流した声ではなかった。
「今度、話してくれるの?」
「話せることならな」
全部ではないらしい。
何を話せて、何を話せないのか。それも、私には分からなかった。
エマちゃんがセルファを見てから、私へ視線を戻す。聞きたいことは、彼女にもありそうだった。
ハイクが畳んだ布を脇へ置く。
「まずは飯でも食わせてもらえ。こいつの昔話を聞くなら、立ち話じゃ終わらんぞ」
「さっき食べたところなんだけど」
「なら、茶だな」
返事を待たず、工房の奥へ声をかける。
私はもう一度、セルファの腰へ目を向けた。
二本の刀を見れば、少しはこの人のことが分かると思っていた。
名前も分かった。昔から使っていたことも、雷を宿す技も分かった。
けれど、その雷が誰のものだったのかは、答えてもらえなかった。
工房の奥から器の触れ合う音が聞こえる。セルファがそちらへ歩くと、短い刀の柄に巻かれた布も、小さく揺れた。
私はエマちゃんと一緒に、そのあとへ続いた。




