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第一話 魔法使いになる気はござらんか?

次に目を開けた時、辺り一面が真っ白だった。


天井も壁もない。身体を起こしてみても、どこまでが床で、どこからが空なのか分からなかった。お尻の下に硬い感触があるから、何かの上には座っているらしい。


「……なにここ」


足元には学校の鞄が転がっていた。制服もローファーもそのままで、身体に痛いところはない。顔へ手をやると、指先に眼鏡のフレームが当たった。


「あ、よかった」


昨日買い替えたばかりだ。


鞄を拾って立ち上がったところで、最後に見た車を思い出した。迫ってきた車体も、逃げようとしたことも覚えている。そこから先だけが、どうしても繋がらない。


「……天国?」

「少し違うの」

「うわっ!」


振り返ると、一人の老人が立っていた。


長い白髪に白い髭。白っぽい服を着て、手には杖。こんな何もない場所で、どこから来たんだろう。足音も聞こえなかった。


「誰?」

「……神じゃ」

「怪し」

「第一声がそれか?」

「だって怪しいし」

「どこがじゃ」

「全部」


老人は自分の服と杖を見て、首を傾げた。


「神らしいじゃろ」

「自分で神って言う人、大体神じゃないでしょ」

「ワシは本物じゃ」

「マジ?」

「マジじゃ」

「神様がマジとか言わないでよ」


思ってたより軽い。


もっとこう、ありがたいことを言ってくるものだと思っていた。まあ、神様に会ったことなんてないから知らないけど。


もう一度周りを見ても、出口らしいものはない。老人の後ろまで、同じ白が続いていた。


「じゃあ、私って死んだの?」

「うむ」


鞄の持ち手を握る。さっきまでこれを持って歩いていたのに、もう死んでいると言われても、ぴんとこなかった。


けれど、あの車を避けられたとも思えない。


「……そっか」


俯くと、見慣れたローファーのつま先が並んでいた。傷もないし、血もついていない。少し前の出来事が、急に遠く感じられた。


神様は黙って待っていた。


しばらくしてから顔を上げると、まだ同じ場所に立っている。


「……で、これからどうなるの?」

「選べる」

「何を?」

「一つは、元の世界へ戻ることじゃ。お主が事故に遭わなかった世界へな」

「え、戻れるんだ」


だったら話は早い。


そう思って口を開きかけたところで、神様が杖を持ち直した。


「もう一つある」

「なに?」

「汝、女子高校生から魔法使いになる気はござらんか?」

「……は?」


急に何の勧誘?


神様は冗談を言った顔でもなく、こちらの返事を待っていた。


「魔法使い?」

「うむ」

「私が?」

「そうじゃ。お主がいた世界とは、別の世界でな」


もう少し聞いてみると、剣を持って旅する人がいて、魔物がいて、魔法も本当に使える場所らしい。


「異世界ってこと?」

「そう呼ぶなら、そうじゃな」

「マジで?」

「マジじゃ」

「また言った」


さっきまで怪しかった杖も、そう聞くと気になってくる。あれで火を出したり、物を浮かせたりするんだろうか。


「私、何の魔法使えるの?」

「雷じゃ」

「雷?」


右手を開いてみる。


ここからバチバチッて出て、その先でドーンってなるやつ。映画やゲームで見るあれを、自分が使えるってこと?


「……かっこよ」

「そこなのか?」

「大事でしょ」


かなり大事だと思う。


「で、魔王倒してこいとか?」

「いや。気ままに冒険すればよい。気に入った町で暮らしても構わん」

「何してもいいの?」

「自分で決めればよい」


それ、普通に楽しそう。


魔法がある町って、どんな感じなんだろう。店に何が並んで、みんなどんな服を着ているんだろう。歩いていたら、剣を持った人やエルフとすれ違ったりするんだろうか。


神様の話を聞きながら、鞄を肩へかけ直した。


「じゃあ、なる」

「ん?」

「魔法使い。私、そっち行く」


神様は私の顔を見てから、ゆっくり頷いた。


「……そうか」

「うん。せっかくだし」


本当に行けるなら、見てみたい。


そう答えて待っていると、神様が何か思い出したように口を開いた。


「そうじゃ。天才は二十七歳で死ぬ、という話を知っておるか?」

「私、十七歳だけど」

「うむ」

「十歳足りないけど」

「うむ」

「関係ある?」

「全くない」

「何の話だったの?」

「一度、話してみたかった」


こいつマジか。


今から異世界に行く人に、その話する?


満足したらしい神様が杖を持ち上げると、足元に光が広がった。ローファーも制服の裾も、下から白く照らされていく。


「おお……」


見下ろしていたら、急に気づいた。


向こうのお金ないじゃん。


泊まる場所も知らない。そもそも、魔法の使い方も聞いてない。


慌てて質問したけれど、返ってきたのは「稼げ」「探せ」「感覚じゃ」「向こうで聞け」。


全部雑。


「ちょっと待って。せめて最初どこ行けば――」


足の裏から、床の感触がなくなった。


◇


頬を撫でる風で目を開けた。

今度は、空がある。


青く晴れたその下を、薄い雲が流れていた。顔の横では草の穂が揺れ、身体を起こすと、袖についていた葉が膝へ落ちる。


辺りは草原だった。風に押されて草が同じ方へ傾いていく。その向こうには山があり、反対側の遠くには、大きな城壁らしきものが見えた。


鳥の声もする。草の匂いもする。


「……マジで来た」


鞄を拾って立ち上がる。

制服もローファーも、そのままだった。眼鏡もあるし、顔にかかった髪を払えば、見慣れた金色が指の間を滑っていく。


異世界に行くんだから、何か変わるのかと思っていた。

耳が尖るとか、髪が銀色になるとか。背が伸びるとか。

胸が大きくなるとか。

自分の胸元を見下ろす。


「……そこはいいか」


別に期待してたわけじゃない。確認しただけ。


眼鏡を押し上げて辺りを見回したけれど、人はいないし、近くに建物もない。行き先になりそうなのは、遠くの城壁くらいだった。


「……あれ行くしかないよね」


鞄を肩にかけ、草の間へ足を踏み入れる。ローファーには早速土がついて、細い葉が足首に触れた。


神様。せめてもうちょっと近くに送ってよ。


◇


見えてるのに、全然近づかない。


地面はでこぼこしているし、草に隠れた石もある。最初は周りを見ていたのに、いつの間にか足元ばかり気にしていた。


ようやく門の形がはっきりしてきた頃には、足が痛い。異世界の第一印象、広すぎ。


それでも、人が見え始めると自然に顔が上がった。

荷物を積んだ馬車が道を進んでいる。その脇を歩く男の腰には剣が下がり、門へ向かう列には、長いローブを着た女の人もいた。


「おお……」


ちゃんとファンタジーだ。


揺れる鞘も、土を噛む車輪も、全部すぐそこにある。門へ続く列の最後尾に並んでからも、前の人の服をつい見てしまった。


上着には細かな刺繍が入っている。革のベルトに小さな鞄をいくつも下げている人もいて、ブーツの形や色もそれぞれ違った。


思ってたより服が可愛い。

特に、斜め前の女の人が履いている編み上げのブーツ。あれ欲しい。草原を歩くにも、絶対そっちの方がいい。


「次」

「あ、はい」


見すぎた。


慌てて進むと、門番の男が少し眉を寄せた。顔から制服へ、それから足元へと視線が下がる。


まあ、そうなるよね。


周りはローブだの革の服だのを着ているのに、私だけ制服に学校の鞄だ。


「どこから来た?」

「……」


異世界から来ました、はやめた方がよさそう。


「分かんないです」

「分からない?」

「記憶がなくて」


言ってから、これもだいぶ怪しいなと思った。

門番は私の顔を見ていたが、次は少しゆっくりと尋ねてきた。


「名前は?」

「霞《かすみ》ヤマハです」

「カスミ?」

「あ、そっち名字です。ヤマハでいいです」

「ヤマハか」


名前は伝わったらしい。


ほかにもいくつか聞かれたけど、この辺りの地名も、知り合いの名前も答えられなかった。そこは嘘じゃない。本当に何も知らない。


門番は少し考えてから、身元の分からない人向けの相談所を教えてくれた。仕事や宿の相談もできるらしい。


「ありがとうございます」


教わった道を頭の中で繰り返しながら、門を抜ける。

少し歩いて振り返ると、門番はもう次の人と話していた。こんな怪しい女を入れてくれるなんて、いい人だ。


でも、この国大丈夫か?


◇


城壁の中に入ると、もっと目が忙しくなった。


石造りの建物が並ぶ大通りを馬車が走り、商人が店先で声を張り上げている。屋台の匂いにつられて顔を向けると、反対側には武器屋があった。軒先に並んだ剣の刃が、人の動く向こうで光っている。


その少し先には、服屋もあった。


白いシャツに深い緑色のベスト。隣には淡い灰色のローブが掛かっていて、開いた店先からほかの服も見える。


「……可愛」


ベストの留め具を近くで見たくて足を向けかけ、財布には日本円しか入っていないことを思い出した。


さすがに使えないよね、千円札。


「あとで来よ」


お金ができたら、絶対来る。店の位置を確かめてから、教わった道へ戻った。


相談所は、大通りから少し入った場所にあった。


受付の女性に案内されて椅子へ座ると、やっと足が休まった。女性は私の名前を書き留めながら、ここがルノルシア王国という国だと教えてくれる。


身元が分からなくても、簡単な登録をすれば滞在できるらしい。仕事も宿も相談できると聞いて、ひとまず安心した。


神様の「向こうで聞け」って、こういうことか。


ほんとに全部こっちで聞いてるんだけど。


「使える魔法はありますか?」

「使えると思います。雷」


答えながら、机の下で右手を開く。

そうだった。町を見るのに夢中だったけど、私は魔法使いになったんだった。


向かいの女性のペンが止まった。


「……雷、ですか?」

「はい」

「空から落ちる、あの雷でしょうか」

「たぶんそれです」


ほかにどの雷があるんだろう。

女性は紙へ目を落としてから、もう一度私を見た。


「実際に使うことはできますか?」

「たぶん」

「たぶん?」

「まだ使ったことなくて」


困らせてる。めっちゃ困らせてる。

神様に言われただけです、は黙っておいた方がいい気がした。


「簡単な確認をしてみましょうか。裏に訓練場がありますので」

「やります」


返事だけはすぐに出た。


そういう場所あるんだ。魔法を試せるなら、早くやってみたい。


◇


建物の裏には、土の地面が広がっていた。


壁に囲まれた訓練場には木板が何枚か立てられていて、表面に傷や焦げた跡が残っている。ここでほかの人も魔法を使っているんだと思うと、ちょっと緊張した。


女性に示された位置に立ち、木板へ右手を向ける。


神様は、感覚と言っていた。

雷を想像してみる。白く光って、空から落ちてくるやつ。それを掌から前へ出すつもりで、指先に意識を集めた。


「んー……ほいっ」


何かが弾けた。


青白い火花が一つ飛び、木板に小さな黒い点を残す。あまりに一瞬で、腕を伸ばしたまま焦げ跡を見つめてしまった。


「ちっさ」


思ってたのと違う。

もっとこう、バチバチッてなって、ドーンってなるはずだったんだけど。


「……本当に」


振り返ると、女性が木板を見ていた。さっきまでの困った顔はなく、目を離さないまま、小さく言葉を続ける。


「本当に……雷」

「そうですけど」


私は小さすぎてがっかりしてるのに、向こうはずいぶん驚いていた。


「そんな珍しいんですか?」

「珍しいというより……昔話で、聞いたことがあります」

「昔話?」

「ずっと昔に、雷を自在に操る魔法使いがいたと。その方以外に、雷を扱えた者はいなかったそうです」

「へえ……」


そんな人がいたんだ。


木板の黒い点を見る。自在に操るというくらいだから、きっと私が想像していたような派手な魔法を使えたんだろう。


「雷戰《レグリア》という二つ名で知られていた方です」

「レグリア?」

「はい。私も子供の頃に聞いた昔話ですから、どこまで本当なのかは分かりませんが」

「伝説の魔法使いってこと?」

「そうですね」


伝説と比べると、私の焦げ跡、しょぼすぎない?


「……同じ雷でも、だいぶ差ありそう」

「そこですか?」

「だって伝説でしょ? 私の今の、めっちゃ小さかったし」


女性が少し困ったように笑った。

でも、出ることは分かった。さっきの火花だって、日本では絶対に出せなかったものだ。


今度こそ、と右手を上げ、腕に力を込める。


「力みすぎだ」


横から声がした。


振り向くと、少し離れた壁際に一人の男が立っていた。


黒に近い長い髪を後ろで束ね、腰には長さの違う二本の刀を差している。二十代後半くらいに見えるけれど、それより先に、髪の間から覗く耳が気になった。


先が少し尖っている。


「……エルフ?」

「そうだが」

「おお……」


本物だ。

見すぎるのは失礼かもしれない。でも、どうしても耳に目がいく。


「マジでいるんだ」

「何だと思ってた」

「いや、エルフ」

「そう言っただろ」


普通に返された。

異世界すご。


顔も整っていた。キリッとした目つきに、口元のほくろが妙に似合っている。

顔いいな。しかもエルフ。盛りすぎでは?


そこで、向こうも私を見ていることに気づいた。耳を見すぎたせいだろうか。目が合っても何も言われず、ついそのまま見返してしまう。


「……なに?」


男の視線が、私の右手へ下がった。


「肩の力を抜け。右足も少し引け」

「魔法、詳しいの?」

「少しはな」


女性の方を見たけれど、止める様子はなかった。勝手に入ってきた怪しい人、というわけでもなさそうだ。


言われた通りに右足を引き、肩を下ろす。


さっきより腕が楽になった。そのまま木板を見て、もう一度指先へ意識を集める。無理やり押し出すより、そこへ流していくつもりで手を向けた。


パチンッ、と乾いた音がした。

青白い光が木板へ伸び、表面に黒い筋を刻む。一瞬遅れて、焦げた匂いが風に混じった。


「おお……!」


今度は、ちゃんと見えた。


右手をひっくり返してみても、何も変わっていない。熱くもないし、痛くもない。それなのに、この手から雷が飛んだ。


「今の結構よくない?」

「初めてならな」

「そこ普通に褒めてくれてよくない?」

「できただろ」

「できたけど」


愛想はあんまりないらしい。


木板には、小さな点と、その横に黒い筋が残っていた。さっきより伸びた跡を見ていると、もう一度試したくなる。


「ありがと」

「ああ」


男は短く答えた。


名前を知らないことに気づいたけれど、その前に右手が上がっていた。肩の力を抜いて、右足を引く。

次はあの筋より、もう少し先まで。

木板へ狙いを定めると、指先で青白い火花が弾けた。

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