第十六話 知りたいこと
ギルドで報告を終えたあと、私たちはエマの様子を見に行った。
宿へ戻ると、彼女は部屋の窓際に座っていた。膝に開いた本を置き、何かを書き込んでいる。
「ただいま」
「あ、お帰りなさい」
顔を上げたエマが、ペンを置いた。
朝より顔色がいい。腕にはまだ包帯が残っていたけれど、椅子から立ち上がる時も、痛そうな様子はなかった。
「何してたの?」
「昨日調べたものを、書き留めていました。忘れないうちにと思って」
「休んでる間も研究?」
「外には出ていませんよ」
言われる前に答えた、みたいな顔だった。
「うん。そこは偉い」
そばまで歩くと、本には細かな文字と葉っぱの絵が並んでいた。
葉の形だけじゃなく、茎についている位置まで描かれている。
あんなことがあった翌日でも、残しておきたいらしい。
「お二人は、あの洞穴へ?」
「うん。教えてもらった入口、ちゃんと見つかったよ」
エマの表情が少し強張った。
「……魔物は?」
「いた。昨日のやつみたいなのが三匹と、もっと大きいやつ」
「そんなに……」
「見つけた分は倒した。あとはギルドが確認する」
セルファが答えると、エマはゆっくり息を吐いた。
「そうですか」
本を閉じ、膝の上で抱え直す。
あそこへ連れていかれた時のことを思い出したのかもしれない。少し待っていると、彼女の方から顔を上げた。
「お二人とも、お怪我はありませんか?」
「私は大丈夫。後ろから雷撃ってたし」
「それでも、危なかったんでしょう?」
「まあね。でも、ちゃんと援護できたよ」
隣のセルファを見る。
「認めてくれたもんね」
「ああ」
「聞いた?今の」
「はい」
エマが笑った。
「よかったですね」
「なんか子供褒められてるみたいなんだけど」
セルファは取り合わず、扉へ向かった。
「飯を食いに行く」
「あ、私もお腹すいた」
エマを見ると、彼女も立ち上がる。
「私も、ご一緒していいですか?」
「歩けそう?」
「はい。朝より楽になりました」
廊下へ出る足取りはしっかりしていた。
それでも、階段では少しだけ歩く速さを落とした。
◇
昼を過ぎたソルネアは、朝より人通りが落ち着いていた。
店先に野菜や果物が並び、軒先では洗った布が揺れている。荷物を抱えて通りを横切る人の間を、三人で歩いた。
隣のエマが、ときどきこちらを見る。
何か言いかけては、前へ向き直っていた。
「どうしたの?」
「……お二人は、このあとも旅を続けるんですよね?」
「うん。東の方へ」
「行き先は決まっているんですか?」
「海」
「海ですか」
エマの顔が少し明るくなる。
「海辺には、こちらでは育たない植物もあるんです。
潮の影響で、同じ種類でも――」
そこまで言って、口を止めた。
「……すみません」
「いや、いいよ。気になる」
「本当ですか?」
「うん。でも難しいのは、ちょっとずつでお願い」
エマは頷いた。
そのあと、また本を抱える手へ目を落とす。
話したいのは、植物のことだけじゃなさそうだった。
通りの端まで来たところで、彼女が足を止めた。
「お願いがあるんです」
「何?」
人の邪魔にならないよう脇へ寄ると、エマは私たちへ身体を向けた。
「私も、一緒に旅をさせてもらえませんか?」
思わずセルファと顔を見合わせる。
「一緒にって、私たちと?」
「はい」
エマは頷いた。
「一人で続けるのは危ないと、分かりました。でも……旅をやめたいとは、思えなくて」
抱えていた本を、胸元へ寄せる。
「調べたいものが、まだたくさんあるんです。森も、昔の建物も、その土地にしかない植物も。知らない場所へ行って、自分で確かめたいんです」
昨日、あんな目に遭ったばかりだ。
それでも、知らない場所へ行きたいと言う。
話しているうちに、俯いていた顔が上がっていた。
セルファは少し黙ってから、口を開いた。
「俺たちと来れば、安全になるわけじゃないぞ」
「はい」
「昨日みたいな魔物にも会う。いつでも守れるとは限らん」
エマは手首の包帯へ目を落とした。
「分かっています」
声はさっきより小さかった。けれど、すぐにこちらを見る。
「勝手に離れたり、調べ物のために危ない場所へ入ったりはしません。危険な時は、お二人の指示に従います」
「植物を見つけてもか?」
「……はい」
「今、ちょっと迷った?」
「気になるものだったら、と思ってしまいました」
「そこは正直なんだ」
セルファが腕を組む。
「戦えないんだろ」
「はい。ただ、薬や素材のことなら分かります。手当ても、多少はできますので」
エマは包帯の巻かれた腕を、少し持ち上げた。
「今は、自分が手当てされているんですけど」
「説得力ちょっと減っちゃったね」
「……そうですね」
困ったように笑う。
「それに、襲われたらお二人の後ろへ逃げます」
「俺たちを盾にする気か」
「頼らせていただこうかと」
「言い方変えた」
大人しくて真面目な子だと思っていたけれど、意外と引かない。
でも、昨日のことを軽く考えているようには見えなかった。一人では危ないと認めた上で、それでも続ける方法を探している。
私はセルファを見た。
「……私は、一緒に行きたい」
「お前はそう言うと思った」
「なんでよ」
「知らない場所へ行きたいんだろ。お前も」
「まあ、そうだけど」
エマと同じように、植物を調べたいわけじゃない。
でも、見たことのない町を歩きたい。そこにある店も、服も、食べ物も気になる。
そのためにルノルシアを出てきた。
「エマが知ってること、私も聞きたいし。薬草と毒の見分け方とか」
「まずは花びらの枚数を、きちんと数えてください」
「早速教えてくれた」
セルファがこちらへ目を向ける。
「お前も、人の心配をできるほど慣れてないだろ」
「それはそう。でも、出発した時よりはマシじゃない?」
「歩いて一時間で休みたがってたな」
「今それ言う?」
「野宿すると言った時も、嫌そうな顔をしてた」
「だって初めてだったし!」
エマが口元を押さえた。
旅に出る前は、もっと楽しそうなものを想像していた。
実際は、歩く時間が長い。足は痛くなるし、外で寝るし、魔物まで出てくる。
それでも、今さら戻りたいとは思っていなかった。
「私、帰るとは言ってないでしょ」
「ああ」
「じゃあ、そこは褒めてよ」
「歩けるようになったな」
「小さい子じゃないんだけど」
エマが声を出して笑った。
私も少し笑ってしまい、言い返すタイミングを逃す。
セルファは小さく息を吐いた。
「……来たいなら、来ればいい」
エマが顔を上げる。
「いいんですか?」
「ああ。ただし、危険だと思ったら俺の言うことを聞け」
「はい」
「まずは、その傷を治してからだ」
エマは包帯へ目を落とし、今度は迷わず頷いた。
「分かりました。ありがとうございます」
本を抱えていた手が、少し緩んだ。
私も彼女へ向き直る。
「じゃあ、よろしくね。エマ……ちゃん?」
口にしてから、ふと気づいた。
「てか、何歳?」
見た感じ、私とそんなに離れてはいなさそうだ。でも、年上には見える。
「二十歳です」
「二十歳?やっぱ年上じゃん」
「ヤマハさんは?」
「十七」
「では、私の方が三つ上ですね」
「急にエマちゃんって呼びづらくなったんだけど」
「私は気にしませんよ」
「じゃあエマちゃんで」
悩んだ時間、数秒。
本人がいいなら、いいだろう。
「はい。よろしくお願いします」
エマちゃんが笑い、私も頷いた。
そういえば、もう一人の年齢も知らない。
「セルファは?」
「何がだ」
「何歳?」
セルファがこちらを見た。
尖った耳。見た目だけなら二十代後半くらいだけれど、エルフは長生きするらしい。
「細かくは数えてない」
「細かくなくていいよ。大体」
「飯を食いに行くんじゃなかったのか」
「今から行くけど、歩きながら答えられるじゃん」
セルファが歩き出す。私とエマちゃんも、その横へ並んだ。
「百歳くらいでしょうか」
エマちゃんが、ぽつりと言った。
「え、そんな?」
「エルフなら、あり得ます」
「勝手に決めるな」
セルファが振り向く。
「違うの?」
「予想するなと言ってる」
「じゃあ教えてよ」
「嫌だ」
余計に気になる。
私は指先で眼鏡を持ち上げた。
スチャ。
「これは調査が必要ですね」
「何の真似だ」
「研究者っぽくしてみた」
エマちゃんを見ると、彼女までセルファの顔をじっと見ていた。
「何か分かる?」
「見た目だけでは、難しいですね」
「二人で調べるな」
「じゃあ本人から聞くしかないね」
「飯だ」
前を向いたセルファの歩く速さが、少し上がった。
私とエマちゃんは顔を見合わせる。先に笑ったのは、エマちゃんだった。
「行こっか」
「はい」
二人で、その背中を追う。
三人で旅をすることになった。
エマちゃんが植物の前で足を止めたら、私も一緒に覗き込んでしまいそうだ。
そうなったら、セルファは二人まとめて呼び戻すんだろう。
歩いていく先で、彼が食堂の扉を開けた。
「先に入れ」
「年齢の話、まだ終わってないからね」
「終わりだ」
エマちゃんがまた笑った。
扉の向こうから漂ってきた温かい匂いに、今度は私のお腹が鳴る。
ひとまず、続きは食べながらにしよう。




