第十五話 四本の腕
洞穴の奥から聞こえていた音は、進むほどはっきりしてきた。
硬いものを岩の上で引きずる音に、低い唸り声が混じっている。正面だけじゃない。右手の暗がりからも、重たい足音が聞こえた。
セルファが持つ小さな明かりが、岩肌と足元を照らしている。
「……セルファ」
「何だ」
「音、増えてない?」
セルファは足を止め、奥を見た。
私も口を閉じる。岩を擦る音が途切れた直後、別の場所から唸り声が響いた。
「後ろにいろ」
「うん」
杖を左手で握り直し、右手を空ける。
セルファは脇の岩棚へ明かりを置いた。
その右手が刀の柄へ伸びた時、暗闇の奥で大きな影が動いた。
「来るぞ」
低い唸り声とともに、一体の魔物が明かりの中へ飛び出してきた。
くすんだ緑色の皮膚に、長い腕。拾い集めたような鉄板を身体に巻きつけ、錆びた剣を握っている。
昨日と同じだ。
その後ろから、もう一体。
さらに右の岩陰から、別の影が出てきた。
「……三匹いるじゃん」
「三匹だな」
「なんでそんな普通なの」
一番前の魔物が地面を蹴った。
巨体から想像するより速い。
剣を持っていない方の拳が、セルファの頭へ振り下ろされる。
セルファは半歩だけ身体をずらした。
拳が横を抜け、岩へ叩きつけられる。
その腕を刀で斬り、続けて膝の裏へ刃を入れた。
脚が崩れ、魔物の頭が下がる。
セルファが首を斬り抜けた時には、二匹目が剣を振り上げていた。
「……速」
見てる場合じゃない。
右にいた三匹目が、セルファを避けるようにこちらへ回り込んでくる。
喉がきゅっと縮まった。
けれど、右手は下ろさなかった。
セルファは二匹目の相手をしている。
だったら、私はこっちを止めないと。
踏み出してくる脚へ、狙いを定める。
「《トリルス》!」
指先を横へ払うと、青白い雷が地面すれすれを走り、魔物の膝へ直撃した。
大きな身体がぐらつく。
倒れない。でも、次の一歩が出なかった。
もう一度撃とうと手を向けたところで、セルファが横から踏み込んだ。
踏ん張れなくなった脚へ刀が入り、魔物が片膝をつく。続く一閃が首元を横切り、巨体が私の前へ倒れた。
残り一匹。
慌てて目を戻すと、二匹目も膝をついていた。
剣が手から滑り落ち、そのまま前へ倒れる。
「……え?」
重い音が洞穴に響いた。
舞い上がった砂埃が明かりの中を漂っている。セルファは周囲を確かめてから、刀の血を払った。
「終わりだ」
「ちょっと待って」
倒れた三体を見比べる。
確かに、全部動かない。二匹目の首元にも、深い傷があった。
「そっち、いつ斬ったの?」
「お前が撃ってる間だ」
「全然見てなかった」
自分の雷を当てることに精いっぱいだった。
昨日より数が増えているのに、セルファは息一つ乱していない。
「……やっぱセルファ強くない?」
「今さら何を言ってる」
「いや、昨日より思った」
セルファは足元へ視線を落とした。
私もつられて見ると、倒れた魔物の向こうにも足跡が続いていた。
まだ、奥があるらしい。
「十匹とかいたら帰ろうね」
「無理なら引く」
「その無理、私の方に合わせてね」
セルファが明かりを取り、刀を鞘へ戻す。
私は倒れた魔物を避け、その後ろについた。
◇
通路は少しずつ広くなり、天井も高くなっていった。
唸り声は聞こえない。私たちの足音だけが岩壁に反響している。
やがてセルファが立ち止まった。
その先には、大きく開けた空間があった。
「……広」
明かりだけでは、奥まで見えない。
地面には壊れた木箱や錆びた武器が散らばっている。白っぽいものを踏みかけて足を引くと、それは何かの骨だった。
誰かが使っていた場所なのか。
魔物が外から持ち込んだのか。
その一番奥に、大きな塊があった。
岩かと思った。けれど、動いた。
太い腕が二本、地面につく。その上で、さらに何かが動いた。
「……セルファ」
「静かにしろ」
「いや、でも」
三本目の腕が見えた。
反対側から、四本目。
思わず眼鏡を押し上げる。見間違いじゃない。
「腕、四本あるんだけど」
「見えてる」
そいつが、ゆっくり立ち上がった。
昨日の魔物より明らかに大きい。三メートルはありそうな身体に、分厚い胸板。
緑色の皮膚には古い傷がいくつも走っていた。
上の二本の腕には、大きな斧を握っている。刃だけで、私の上半身くらいありそうだった。
「……バカでか」
一歩踏み出しただけで、足元へ振動が伝わってくる。
さっきの三匹に似ている。
でも、同じようには見えなかった。
魔物がこちらを向き、四本の腕を広げる。
セルファは入口脇へ明かりを置き、刀を抜いた。
「ここにいろ」
「これもいけんの?」
「ああ」
即答だった。
「後ろも見ておけ。他に来るかもしれん」
言われて、背後を見る。
目の前の大きいやつばかり見ていた。
後ろから別の魔物が来たら、気づけなかったかもしれない。
「分かった」
セルファが前へ出る。
魔物が吠え、右の斧を横薙ぎに振るった。
セルファは下がらず、刃が届く前にその内側へ踏み込んだ。
柄を握る腕へ刀を走らせると、皮膚が裂け、魔物の肘が跳ねる。
すぐ下から、空いていた手が伸びた。
セルファは身を沈め、その脇を抜ける。
頭のすぐ上で太い指が空を掴み、続けて左の斧が振り下ろされた。
岩へ叩きつけられた刃が、石を砕く。
慌てて腕で顔を庇った。
欠片が足元へ転がってきて、ローファーのつま先に当たる。
顔を上げると、セルファは魔物の横にいた。
膝の裏へ、刀が走る。
魔物が身体を捻り、下の腕を振り回した。
セルファが退いたところへ、右の斧が追いかける。
どこを見ればいいのか、私には分からない。
けれど、セルファは止まらなかった。
斧が振り下ろされる前に懐へ入り、空いた手が伸びてくれば、その外へ抜ける。
大きな攻撃が空を切るたび、腕や脚に傷が増えていった。
首へ近づけそうな時にも、別の手が動くとすぐに退く。
無理に上へ行かず、同じ脚を何度も斬っていた。
魔物が片脚を庇い始める。身体を捻るのが遅くなり、セルファを追おうとしても足がついてこない。
私は背後の通路を確かめ、もう一度前へ目を戻した。
セルファが脚へ近づくと、右の斧がその前を塞ぐ。刃が岩へぶつかり、彼は一歩外へ退いた。
「ヤマハ」
「はい!」
「右の斧を落とせ」
右手を伸ばす。
斧そのものじゃない。握っている手。
セルファが左へ動き、魔物の顔がそちらを追った。右の斧が持ち上がる。
今なら、手が見える。
昨日、鎖のつなぎ目を狙った時みたいに。広げすぎず、あそこへ。
「《トリルス》!」
横へ走った雷が、柄を握る手を打った。
指が開き、斧が落ちる。
岩へぶつかる音と同時に、セルファが踏み込んだ。
何度も斬っていた膝の裏へ、もう一度刃を入れる。魔物の脚が支えを失い、巨体が大きく傾いた。
魔物は吠え、残った左の斧を振り上げる。
セルファはその腕の内側へ入り、脇の下へ刀を突き立てた。引き抜いて横へ抜けると、二本目の斧も地面に落ちた。
下の二本の手がセルファを追う。
けれど、片膝をついた魔物は、すぐに向き直れなかった。
背後へ回ったセルファが腰を落とす。
刀を引き、低くなった首へ刃を走らせた。
魔物の動きが止まる。
巨体が前へ傾き、岩の地面へ倒れた。
足元が震え、砂埃が広がった。口元を袖で覆いながら、セルファの姿を探す。
彼は倒れた魔物の横で、まだ刀を構えていた。
しばらくして、ようやく刃を下ろす。
「……倒した」
「ああ」
血を払い、鞘へ戻す。
息は乱れていないし、怪我も見当たらなかった。
さっきの三匹よりは時間がかかった。
でも、途中から何を狙っているのか、少しだけ分かった。
私は落ちた斧を見る。
「私が撃たなくても、倒せた?」
「倒せる」
「だよね」
「だが、助かった」
顔を上げる。
セルファは魔物の脚へ視線を向けていた。
「斧が一本減ったから、脚を崩せた。早く済んだ」
「……じゃあ、ちゃんと援護できたってこと?」
「ああ」
杖を握り直す。
一人で倒せる人の隣でも、私のやることはあるらしい。
「でもさでもさ〜、腕四本ってずるくない?」
「動きは大きい。隙もある」
「私は途中から、どの腕見ればいいか分かんなかった」
「まずは武器を持ってる方を見ろ。空いてる手も忘れるな」
「結局、全部じゃん」
セルファは答えず、魔物へ近づいた。
四本の腕と、一本の刀。
さっきの動きを思い返しながら、彼の腰へ目を向ける。
「刀一本で、よくあんなの相手にできるね」
「二本の方が慣れてる」
「……二本?」
セルファが魔物のそばへしゃがんだ。
「普段は二本使う」
「へえ。じゃあ、もう一本は?」
視線がこちらへ戻る。
「自分の刀は置いてきてる。これは借り物だ」
「え、借りたやつだったの?」
「ああ」
持ち主、あの戦い見たらびっくりしない?
セルファは魔物の腕や口元を調べ始めた。
私は少し離れ、その背中を見ていた。
刀が二本。
さっきの動きだけでも、目で追うのがやっとだった。もう一本あったら、どうなるんだろう。
「いつか見てみたいな」
「何を」
「二本で戦うとこ」
セルファは手を動かしたまま、短く答えた。
「機会があればな」
◇
洞穴をさらに調べたあと、私たちはソルネアへ戻った。
あの広間より奥に、魔物の姿はなかった。
ダンジョンへ繋がる道も確かめられたが、ほかに外へ出られる場所は見つからない。
少なくとも、調べた範囲にはもう残っていなかった。
ギルドへ着く頃には、昼を少し過ぎていた。
セルファが調査の結果を順番に説明する。
ダンジョンの新しい通路が、外の岩場にある洞穴へ繋がっていたこと。
その中で三体の魔物と、四本腕の大きな個体を倒したこと。
最後に、持ち帰った牙を受付台へ置いた。
受付の男の人がそれを手に取り、角度を変えて確かめる。
「ああ、これは……《グラウガ》ですね」
「グラウガ?」
初めて聞く名前だった。
受付台へ身を乗り出し、牙を覗き込む。
「有名なの?」
「確認されている魔物ですが、人里の近くに出ることはほとんどありません」
男の人は牙を置き、セルファへ顔を向けた。
「この辺りの魔物と比べれば、危険度は高いですね。初級のダンジョンで遭遇するような相手ではありません」
「やっぱり」
思わずセルファを見る。
「ほら。強いやつだったじゃん」
「この辺りにしてはな」
「そこ強調しなくてよくない?」
私からしたら、十分化け物だった。
男の人が書類へ書き込む。
「大型の個体も、同じ特徴でしたか?」
「ああ。ただし、腕が四本あった。大きさも、ほかのものより一回り以上でかい」
ペンが止まった。
「……それも倒されたんですか?」
「ああ」
「お二人で?」
「ああ」
男の人がセルファを見て、それから私を見る。
杖へ視線が下がったので、つい口を挟んだ。
「私もちゃんとやったよ。斧、落としたし」
「ヤマハ」
「何?」
「聞かれたのは、倒したかどうかだ」
「今、お二人でって聞いてたじゃん」
男の人が少し笑った。
「失礼しました。助け合って討伐されたんですね」
「そう。そういうこと」
セルファはそのまま、岩場の場所や洞穴の広さについて説明を続けた。
ギルドからも確認に向かい、必要なら外の入口を封鎖するらしい。
外へ出た足跡のことも伝えると、周辺の調査も手配すると言ってくれた。
男の人が書類を閉じる。
「では、今回の調査依頼は完了とさせていただきます」
完了。
その言葉で、忘れかけていたものを思い出した。
セルファを見ると、目が合う。
「……何だ」
「報酬」
「急に元気になったな」
「いくら?」
セルファが面倒そうに眉を寄せた。
「お前はそこだけ忘れないな」
「仕事したじゃん、私も」
昨日はエマを助け、鎖も切った。
今日だって、ちゃんと援護した。
もう見学扱いは納得できない。
手を出すと。
「というわけで、半分ね」
「何が『というわけで』なんだ」
「報酬」
「先に金額を聞いてたんじゃないのか」
「そうだった。いくら?」
「落ち着け」
「じゃあ、とりあえず四割」
「何も落ち着いてないな」
「三割?」
「下がるのか」
「じゃあ五割」
「戻すな」
受付の向こうから、また笑い声が聞こえた。
そっちを見ると、男の人が口元を押さえている。
「……今、笑ったよね?」
「すみません」
今度は認めた。
セルファが報酬を受け取り、歩き出す。
「帰るぞ」
「ちょ、まだ話終わってない!」
慌てて後を追い、ギルドの外へ出た。
昼の通りには、焼いた肉の匂いが漂っている。
さっきまで平気だったお腹が、急に空いてきた。
「じゃあ、ご飯おごって」
「取り分はどうした」
「それはそれ」
「増えてるぞ」
私の雷が役に立ったのは、セルファだって認めた。
だったら、少しくらい取り分があってもいいはずだ。
結局いくらだったのか。それだけは、宿に戻るまでに聞き出そうと思う。




